風呂のセンサーというのか、自動設定で湯を溜めても湯量を感知しなくなり、いつも溢れてしまうようになったので、東京ガスに電話をした。
すると「公社の住宅にお住まいのかたは、公社のお客様相談センターを通して修理を依頼してください」と返される。
いわれたとおり相談センターに電話、不調の内容を伝えると「了解しました。それでは東京ガスさんに電話していただいて、修理の日にちなどを相談してください」などという。
だからさっき都合のいい日にちまで提示していたんだっての、
また電話し直さなきゃいけないの?
面倒だなぁ、、、と思ったのだが、こうすることにより、費用は公社が持ってくれるのだという。
なんだ、いくら要するのかとヒヤヒヤしていたのに。
出張費を含め2~3万はいくだろうなと覚悟していたわけで、これはなんだか得したなぁと。
というわけで。
負担ゼロで風呂の修理を終えハッピー、そのために降ろした金は口座に戻さず、酒代と肉代? と腰痛に効きそうな入浴剤などに使ってやったい。
猛暑が続いているから基本的にはシャワーばかりだが、ときどき熱い湯に浸かりたくなる。
疲れが取れそうな気がするし、ビールを「より」美味に感じることが出来るからだ。
風呂から出たあとは、ソファにバスタオルを敷いて全裸で寝転び、ビールを呑みながら大好きな映画を観る。
汗が完全にひいてから服を着て、ちんちんをいじっていると、いつの間にかzzz……みたいな、そんな日常を送っている。
風呂と映画といえば、今年スマッシュヒットを記録した『テルマエ・ロマエ』があるが、面白さは原作の10分の1くらいだった。
あれだけの俳優をそろえたのに、実にもったいない。
『テルマエ・ロマエ』のように素材自体を風呂としなくても、映画と風呂は相性がよく、じつに沢山の入浴シーンが存在する。
映画の本質が、性と暴力にあること―も、ひょっとしたら関係しているのかもしれない。
以下は、自分がセレクトする「映画に登場する風呂のシーン」。
恐怖描写の背景として風呂を使用する作品が目立つが、それは、ホラー作家たちが「性と暴力こそ映画」と信じて疑わないから、、、なのではないだろうか。
(1)『皆月』(99)
物語の前半―えらく狭い浴槽のなかで、奥田瑛二と荻野目慶子がセックスをしている。
狭いのがポイントで、とにかく羨ましかった。
(2)『サイコ』(60)
同じテーマでアンケートを取ったら、たぶんこの作品がトップに輝く。
シャワーシーンのエロスと、殺害シーンのバイオレンス。
しかし。
ナイフが突き刺さるショット「そのもの」がないこと、気づいてた?
矢継ぎ早のショットで編集することにより、「殺されたように」見せているだけ―という、ヒッチコックの超絶技巧が冴えるのだ。
(3)『キャリー』(76)
冒頭のシャワーシーン。
このシーンにも「血」は登場するが、殺しではなく「初潮」のほう。
現在、「あの」クロエ・グレース・モレッツによりリメイク制作中。
ちょっとちょっと、あんなに可憐な子ではキャリーの「どんくさ」感が出ないような気もするが、
しかしシャワーシーンだけは期待してしまう。
(4)『死んでもいい』(92)
白いタイルに、鮮血―室田日出男の殺害シーン。
誰かが石井隆のことを「血のアーティストだ」と評したが、確かにこのシーンの血の広がりかたは、なんというか、美しい。
(5)『漂流教室』(87)
つまらん映画だったが、
主人公が歯磨きしながらシャワーを浴び、マウンテンバイクで登校する冒頭だけは、ワクワクさせてくれた。
(6)『殺しのドレス』(80)
デ・パルマ、二作選出。
どちらもエロスが際立つシャワーシーンだが、このころのナンシー・アレンの「ちょうどいい」肉づきのよさといったら、ない。
(7)『エルム街の悪夢』(84)
殺人鬼フレディよりも、風呂のなかで眠るヒロインのショットが気になってしょうがなかった。
男子は、みんなそうだったろう。
(8)『トゥー・ムーン』(88)
物語としては超のつく駄作だが、とにかく主演のシェリリン・フェンにつきる。
フェンがやたらめったら脱いでいて、ソフトAVみたいな創りだった。
また、「ミラ」と名乗っていたころの「ミラ・ジョヴォビッチ」のデビュー作でもある。
(9)『キャンディマン』(92)
隠れた名作ホラー。
面白いうえに、ヴァージニア・マドセンの裸も拝める。
しかし、こんな可憐なひとの兄貴が、「あの」マイケル・マドセンなんて。(いや、好きなんだけど)
(10)『ふたり』(91)
入浴中の石田ひかり(妹)に、死んだ中嶋朋子(姉)が話しかける。
好みとしては、逆がよかったんだけれど。
※ヒッチコックのユーモアが際立った予告編
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛の物語』
すると「公社の住宅にお住まいのかたは、公社のお客様相談センターを通して修理を依頼してください」と返される。
いわれたとおり相談センターに電話、不調の内容を伝えると「了解しました。それでは東京ガスさんに電話していただいて、修理の日にちなどを相談してください」などという。
だからさっき都合のいい日にちまで提示していたんだっての、
また電話し直さなきゃいけないの?
面倒だなぁ、、、と思ったのだが、こうすることにより、費用は公社が持ってくれるのだという。
なんだ、いくら要するのかとヒヤヒヤしていたのに。
出張費を含め2~3万はいくだろうなと覚悟していたわけで、これはなんだか得したなぁと。
というわけで。
負担ゼロで風呂の修理を終えハッピー、そのために降ろした金は口座に戻さず、酒代と肉代? と腰痛に効きそうな入浴剤などに使ってやったい。
猛暑が続いているから基本的にはシャワーばかりだが、ときどき熱い湯に浸かりたくなる。
疲れが取れそうな気がするし、ビールを「より」美味に感じることが出来るからだ。
風呂から出たあとは、ソファにバスタオルを敷いて全裸で寝転び、ビールを呑みながら大好きな映画を観る。
汗が完全にひいてから服を着て、ちんちんをいじっていると、いつの間にかzzz……みたいな、そんな日常を送っている。
風呂と映画といえば、今年スマッシュヒットを記録した『テルマエ・ロマエ』があるが、面白さは原作の10分の1くらいだった。
あれだけの俳優をそろえたのに、実にもったいない。
『テルマエ・ロマエ』のように素材自体を風呂としなくても、映画と風呂は相性がよく、じつに沢山の入浴シーンが存在する。
映画の本質が、性と暴力にあること―も、ひょっとしたら関係しているのかもしれない。
以下は、自分がセレクトする「映画に登場する風呂のシーン」。
恐怖描写の背景として風呂を使用する作品が目立つが、それは、ホラー作家たちが「性と暴力こそ映画」と信じて疑わないから、、、なのではないだろうか。
(1)『皆月』(99)
物語の前半―えらく狭い浴槽のなかで、奥田瑛二と荻野目慶子がセックスをしている。
狭いのがポイントで、とにかく羨ましかった。
(2)『サイコ』(60)
同じテーマでアンケートを取ったら、たぶんこの作品がトップに輝く。
シャワーシーンのエロスと、殺害シーンのバイオレンス。
しかし。
ナイフが突き刺さるショット「そのもの」がないこと、気づいてた?
矢継ぎ早のショットで編集することにより、「殺されたように」見せているだけ―という、ヒッチコックの超絶技巧が冴えるのだ。
(3)『キャリー』(76)
冒頭のシャワーシーン。
このシーンにも「血」は登場するが、殺しではなく「初潮」のほう。
現在、「あの」クロエ・グレース・モレッツによりリメイク制作中。
ちょっとちょっと、あんなに可憐な子ではキャリーの「どんくさ」感が出ないような気もするが、
しかしシャワーシーンだけは期待してしまう。
(4)『死んでもいい』(92)
白いタイルに、鮮血―室田日出男の殺害シーン。
誰かが石井隆のことを「血のアーティストだ」と評したが、確かにこのシーンの血の広がりかたは、なんというか、美しい。
(5)『漂流教室』(87)
つまらん映画だったが、
主人公が歯磨きしながらシャワーを浴び、マウンテンバイクで登校する冒頭だけは、ワクワクさせてくれた。
(6)『殺しのドレス』(80)
デ・パルマ、二作選出。
どちらもエロスが際立つシャワーシーンだが、このころのナンシー・アレンの「ちょうどいい」肉づきのよさといったら、ない。
(7)『エルム街の悪夢』(84)
殺人鬼フレディよりも、風呂のなかで眠るヒロインのショットが気になってしょうがなかった。
男子は、みんなそうだったろう。
(8)『トゥー・ムーン』(88)
物語としては超のつく駄作だが、とにかく主演のシェリリン・フェンにつきる。
フェンがやたらめったら脱いでいて、ソフトAVみたいな創りだった。
また、「ミラ」と名乗っていたころの「ミラ・ジョヴォビッチ」のデビュー作でもある。
(9)『キャンディマン』(92)
隠れた名作ホラー。
面白いうえに、ヴァージニア・マドセンの裸も拝める。
しかし、こんな可憐なひとの兄貴が、「あの」マイケル・マドセンなんて。(いや、好きなんだけど)
(10)『ふたり』(91)
入浴中の石田ひかり(妹)に、死んだ中嶋朋子(姉)が話しかける。
好みとしては、逆がよかったんだけれど。
※ヒッチコックのユーモアが際立った予告編
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