Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

「もも」「クローム」ではなく、「モノクローム」

2012-12-08 00:15:00 | コラム
ときどきカラーの「はず」なのに、モノクロームっぽい印象を抱かせる映画が出現する。

古い作品でいうと名作『男と女』(66)とか、
銀残しという技術を用いた『おとうと』(60)や、あるシーンにおける『セブン』(95)なども。

しかし「そういう印象を抱く」というだけで、実際はカラー映画なのである。


現在、「そういう印象を抱く」というのではなく、ほんとうにモノクロで発表される映画は年に1割にも満たない。
満たないが、毎年必ず登場することも確かで。

カラーが当然である時代にモノクロームを選択するのは、「それなりの意図」があってのこと。

たとえば。
既にカラー時代が訪れていた『お熱いのがお好き』(59)は、女装する俳優を「ゲテモノっぽく見せない」ために敢えてモノクロで撮られている。
ここいらへんの計算、さすがビリー・ワイルダーだと思う。

「逆に」お洒落っぽく見えるからと、ただそれだけの理由でモノクロを選ぶ監督も。
なんだか批判っぽく書いたが、効果的であれば、それもいいだろうし。


写真の世界におけるモノクロ表現は、映画に比べると遥かに受け入れられ易い。
しかし映画の場合は、撮るほうも観るほうも「構える」傾向にある。

何故なんだろう。

モノクロというだけで「観る気が起きない」なんていう、極端なひとまで居たり。

色つきではないものは退屈―そんなイメージでもあるのだろうか。
確かに本年のオスカー受賞作『アーティスト』(2011)は、なかなかの盛況だったけれど、劇場を埋めたのは中高年であり、自分が若いほうに入るほど「真の若者」は少なかった。

なんかちょっと、もったいないと思った。

以下は、米タイム誌が選出した「カラー時代のモノクロ映画トップテン」。


『エレファント・マン』(80…トップ画像)
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)
『ベルリン・天使の詩』(87)
『レイジング・ブル』(80)
『ペーパー・ムーン』(73)
『シンドラーのリスト』(93)
『サタンタンゴ』(94)
『アーティスト』
『マンハッタン』(79)
『世界で一番悲しい音楽』(2003)


概ね納得。

自分だったら・・・
ウディ・アレンなら『マンハッタン』ではなく、『カメレオンマン』(83)を選出したい。
それからティム・バートンの『エド・ウッド』(94)、一部モノクロなオリバー・ストーンの『JFK』(91)も巧い。
日本からは塚本晋也の『鉄男』(89)、イマヘイの『黒い雨』(89)、そして青山真治の大傑作『ユリイカ』(2000)あたりだろうか。
『ユリイカ』は、厳密にいえばモノクロではない、、、のだけれども。


モノクロにチャレンジしてほしい監督というのも居る。

たとえば北野武なんか、本人もやりたいと思ってそう。
「敢えて」チャレンジしてほしいのが、「極彩色」なイメージが強い中島哲也や蜷川実花。
コーエン兄弟、それからソフィア・コッポラなんていうのも面白いかもしれない。


もちろん「物語」「主題」ありきで始めないと、おかしなことになっちゃうわけで。
ゆえに撮るほうは「構えてしまう」ということなのだろう。

観るほうの「構え」は、イメージに捉われ過ぎている気がしないでもないが。


※『ユリイカ』とは「発見」の意だが、この映画の最大の発見は、やっぱり宮崎あおいだったのだろう




…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『酔いどれは、チャリをパスする』

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« トラビスは不眠症 | トップ | 酔いどれは、チャリをパスする »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
記憶は大変あやふやで (夢見)
2012-12-08 10:10:39
子供の頃に観て 白黒と思ったものがカラーだったり 逆だったり。。。。も あります

それはモノクロ画面に自分で色をつけてしまって記憶しているのでしょうか

自分でも不思議に思うことです
返信する

コメントを投稿

コラム」カテゴリの最新記事