Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(253)

2018-01-29 01:32:30 | コラム
趣味と呼べる最初のものは、切手収集だったと思う。

なぜか学校で切手ブームが起こり、自分もその流れに乗ったと。

知識はさほど有しておらず、収集を始めて3ヶ月が経つころも、1日目で知る有名な切手『月に雁』『見返り美人』くらいしかソラでいうことは出来なかった。




町の郵便局に行けば、昔の記念切手が手に入る―そんな「まちがいだらけの」認識だったからね、
額面通りで手に入れられれば、収集家だって苦労しないだろうよ。

というか、苦労なく手に入るとなれば、収集家なんて居なくなってしまうかもしれない。


ともあれ。
知的欲求が刺激されなかったということは、ほんとうは切手に興味がなかったのだろう。
クラスメイトが騒いでいるから、とりあえず・・・みたいな。

少しでも興味があれば、どんどん知ろうとするはずだもの。


後年、日本郵政が「遊びの余裕」を見せ始めたあたりから、やっとこさ、ほんとうの意味で切手に興味を持っていくようになった。

ほら、ガンダム切手とか発売したからね。




話を戻して。
そんなガキだったので、興味は切手ではない方向に向いていく。
それが、切手収集家の会報誌に載っていた「友達になりませんか」の『文通相手募集』コーナーだった。


「ごくわずか」ではあるものの、投稿者には女子も居た。

しかし。
トシゴロというには若過ぎた自分は、敢えて同年代の同性を選んだ―ということは、よく覚えている。


文通相手は、同年代の男子、趣味は切手収集、彼は北陸に住んでいる。
覚えていることといえば、これだけなんじゃないか。

文通の内容は、忘れてしまった。

たぶん・・・というか、絶対、切手のことがメインだったはずで。

ただ「なんとなく、こうだった気が」しているのは、切手好きによる文通なので、封筒を彩る? 切手が、なかなかに凝っていたと。

1円切手を60枚、表と裏に貼りつける―そんなひとも居たらしいが、そこまでではないものの、自分の気に入りの記念切手を貼ったりしていた、、、ん、じゃ、ないかな。

半分は予想だが、たぶん正解。

じゃあなんだよ、けっこう楽しんでいたんじゃないかって?

そう思うんだよ、回想してみれば。

ただ当時はそれほどハマらず、3~4回のやりとりで最初の文通相手とは破局・笑、
すぐにパートナーを見つけたが、それも長つづきはしなかった。


やがて切手と文通への興味は薄れ、ふと気づいたら映画に夢中になっていた。

流れに乗って・・・というものではなかったので、知的好奇心がびんびんだったのはガキでも分かったよ。


切手収集を頑張ったころが「つまらなかった」わけではないけれど!

収集そのものに「そこまでハマらなかったからこそ」文通が出来た、と結ぶことも出来るので、まぁよい経験だったのかな。


おわり。


※ウェブでのやりとりは、金さえ払えばコンピューターが勝手に送受信してくれるが、手紙の場合は郵便屋さんが不可欠。

このひとたちは、もっと高収入でもいいと思うな、誰も文句いわないよ。

彼らに敬意を表して、『ポストマン・ブルース』(97)の予告編を。



…………………………………………

明日のコラムは・・・

『GOOD-BYE青春』
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初体験 リッジモント・ハイ... | トップ | GOOD-BYE青春 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
切手とか 必ずクラスに数人 (̴夢見)
2018-01-29 09:23:21
集めている主に男子がいましたっけ

今も様々なテーマの切手は売り出されておりますがー

手紙
書いたものが残るということ

昔はのどかであったかなと
今は犯罪めいたものがあり恐ろしい時代でもあるかなと思います
返信する
切手 (oyajisann)
2018-01-29 22:17:48
切手私も小学生の頃集めてました。
高価なもので歌麿のビードロが最高だったかな?
記念切手の発売日に並んだ事もありました。
同じく切手からレーコド・音楽に変りました。
ポストマンと言うとケビンコスナ―の作品かな?
月並みで・・・ぺこり
返信する

コメントを投稿

コラム」カテゴリの最新記事