Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(224)

2017-10-09 06:20:22 | コラム
とこ「や」→「や」く(ヤク)

薬をカタカナ表記にしてクスリ、あるいは音読みのカタカナ表記にしてヤク(というか、「マヤク」の「ヤク」)、それから英語のままでドラッグ。

これらは一般的な薬を指す場合もあるけれど、カタカナ表記にすると途端に怪しい雰囲気(=麻薬的な)をまとう。

自分?

合法とされる麻薬だけですよ、やっているのは。

法の「裏をかいて」という意味ではなく、煙草のこと。


映画はエロスと暴力であるからして、ヤク―ここでは、そう呼ぼう―と無縁ではいられない。

そういう要素が微塵も出てこない映画だってある、そういうのしか観ないというひとも居る。

気持ちは分かるが、映画好きをやっていると「そういう場面に出くわさない」確率って、モノスゴ低いと思うんだ。

そのくらい、映画とヤクは相性が? いい。


本音をいえば、、、ですよ。

いま現在は、ヤクをやりたいとは思わない。

自分が、自分でなくなるような気がするから。

ただ、あした死ぬと確定しているのであれば、アムステルダムにでも行ってヤクをばんばん試してみたい、、、という思いはあるよね。

どんな感じになるのかと。


以下、個人的に印象に残る「映画のなかのヤク」。


(1)『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000…トップ画像)

ヤク中になった男女の悲惨な末路を描き、ビッグインパクトを残す。


ナイマンを「もっと病的にした感じ」の、クリント・マンセルによるスコアもいい。




(2)『シャブ極道』(96)

役所広司、大熱演。

スイカには塩、でなくて、ヤクをかけて喰おう!!

(3)『スカーフェイス』(83)

鼻を真っ赤にして格好悪くても、ヤクはやめられない。



(4)『イージー・ライダー』(69)

ラリっている感じを映像で―アメリカン・ニューシネマとは、「そういう表現を模索していた時代」という意味もある。

(5)『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)

それから40年が経つと、ラリった感じはコメディと直結するようになった。

タコのような動きをして、頑張って車を運転しようとするレオくんに爆笑。

(6)『ドラッグストア・カウボーイ』(89)

ヤクなしでは生きられない若者を、クールに描いた。

伝説の作家ウィリアム・バロウズが特別出演を果たしている。



(7)『裸のランチ』(91)

そんなバロウズの原作、映像との相性は悪いように思うが、クローネンバーグが「頑張って」映画化している。

物語はともかく雰囲気はバツグン、日本でもスマッシュヒットを記録した。

(8)『トレインスポッティング』(96)

ヤクとおさらばし、スクリーンの「向こう」ではなく「こっち側」にやってきた主人公―この結末が痛快だった。


続編も、きっちり時代を取り入れていて悪くない。




(9)『パルプ・フィクション』(94)

トラボルタがヤクをキメて、運転するシーン。

QTタランティーノが「最高にクールに撮れた」と自画自賛しているが、個人的には、それよかキメ過ぎたユマ・サーマンの失神? だろう笑

(10)『インファナル・アフェア』(2002)

トニー・レオンが鼻から吸う。

アジア人は注射しか似合わない、、、というのが持論だったが、そういうわけでもなさそうだ。


次回のしりとりは・・・
や「く」→「く」び。

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明日のコラムは・・・

『おじいちゃんが生協』
コメント (1)
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