Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

怒れる牡牛の物語

2014-05-09 07:46:00 | コラム
第18部「デニス・ホッパーの物語」~第3章~

前回のあらすじ

「この長い映画の歴史のなかで、重要視される5作品をあなたが選ぶとしたら、どの作品を選びますか?」
「『市民ケーン』、『黄金』、『大人は判ってくれない』、『第七の封印』。それと黒澤やヴィットリオ・デ・シーカの作品かな」(デニス・ホッパーへのインタビュー)

「いっけん平和でのどかな日常生活にも、ひと皮めくれば、その裏側にはどす黒くよどんだ醜悪な世界がひそんでいる。監督リンチは、そういうものをスリラーとして描いた」(今野雄二、『ブルーベルベッド』を評する)

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本稿を書くにあたって久し振りに『ラストムービー』(71)を観返してみた。

ホッパーの「その後のキャリア」を決定的にした問題作―とされているが、現代の感覚でいうと、それほどメチャクチャな映画とも思えない。
思えないが、時代が時代である。
皮肉めいたタイトルといい、それが忘れたころ(始まって30分くらい経過したころ)に表示されたりするところなど完全にひとを喰っていて、そういうものも含めて当時の映画関係者の逆鱗に触れてしまった。

業界から干されたホッパーを庇い、俳優として起用し続けたのは盟友のフランシス・フォード・コッポラと、一発当ててやろうとする野心的な新人監督くらいだった。

しかし、善意に満ちたコッポラのオファーを「素直に感謝」出来る精神状態になかった―ということなのだろうか、『地獄の黙示録』(79)の撮影現場に現れたホッパーは完全にジャンキーで台詞を一切覚えておらず、また、不潔極まりなかったことから多くのクルーに嫌われてしまうのである。

コッポラはそれでもホッパーを見捨てずに起用をつづけた。
どんな精神状態にあっても「演技はピカイチ」と信じていたから、、、なのかもしれない。

その激しいキャリアに注目し、熱烈なオファーを送ったのが鬼才デヴィッド・リンチ。
こうして『ブルーベルベット』(86)は制作され、酸素吸入器でスーハースーハーしながらドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)を犯す最凶キャラ「フランク」は誕生した。

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筆者が映画小僧を自称するようになるのは90年代に突入してからであり、80年代の後半はその前夜にあたる。

映画に関連する知識や情報であれば「なんでも」吸収しようとする最も貪欲な時期―だったと思うが、まだリンチの映画にもアメリカン・ニューシネマにも出会っていなかった。
だから、ホッパーの「映画的な、あまりに映画的な」キャリアを理解していなかったのである。

当時の筆者にとって大事な情報源は、雑誌『ロードショー』と『キネマ旬報』、そして日本テレビの深夜番組『11PM』。
のちに始まる『EXテレビ』もそうだったが、『11PM』の映画紹介コーナーを担当していたのは批評家の今野雄二であり、いつもは穏やかな口調なのに、贔屓とするデ・パルマやリンチの映画を語るときだけ「体温2度上昇」っぽい感じになるさまがキュート? だった。

ホッパーの(実質的な)監督復帰作『カラーズ 天使の消えた街』(88)を紹介する際も、「体温やや上昇」の口調。

「あのホッパーが、いよいよ…」
「ホッパーならではのテーマを盛り込み…」
「問題児らしい切り口で…」

なんだ、なんだ??

ホッパーって、そんなに凄くてひどい? ひとなのか。

筆者はこうしてホッパーのキャリアを遡って知っていくことになる。
アメリカン・ニューシネマに出会うのは、このことがきっかけだったのだ。
(そういう意味で今野氏にはたいへん感謝していて、後年、手紙を送り、たいへん丁寧な返信をいただいた。だから自死をしたというニュースを目にしたときは、数日間くらい信じることが出来なかったな…)


そんな『カラーズ』は、ストリートギャングと警官たちの衝突を描いた犯罪アクション映画である。
新米警官ショーン・ペンとベテラン警官ロバート・デュバルの衝突をサブストーリーとしていて、つまり二重の衝突が発生しているわけだが、演出そのものに熱はなく、一貫してクール。
ドラッグ「絶ち」を成功させたかのような演出に感心するか失望するかは観客によって分かれるところで、はっきりいって筆者は後者であった。

先に『イージーライダー』(69)を観てしまったために、「ああいうもの」を期待したのかもしれない。

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それでも『カラーズ』は一定の評価を受け、映画界はホッパーを完全に受け入れるようになった。

気をよくしたホッパーは翌年にも映画を制作。
しかし、ヒロインにジョディ・フォスターを起用した『ハートに火をつけて』(89)は編集段階でプロダクションと揉めに揉め、激怒したホッパーは(撮影が終了しているにも関わらず)監督を降板する。

結局、『ハートに火をつけて』は監督アラン・スミシー名義で公開され、
後年、ホッパーの意図通りに演出・編集されたオリジナル版『バックトラック』が発表されることになった。


アラン・スミシーという「呪われた架空の映画監督」については、次回述べることにしよう。

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※全体の評価はけっして高くないかもしれないが、ホッパー流リアリズムに溢れている・・・という意味で新鮮な『カラーズ』、その予告編




つづく。

次回は、6月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

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明日のコラムは・・・

『sun-glasses』

コメント (1)
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