Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(73)

2014-05-11 02:55:12 | コラム
「○○の日」などと無関係に、「ほぼ映画」について書き散らしている本ブログではあるが・・・
たまには世間とあわせて? みようか、
というわけで初体験シリーズ、今回は「母の日」でいってみることにする。

「自分のかーちゃんではなく」自分が母親からイメージすることばは、やっぱり「強く」「優しい」となり、それは結局、自分のかーちゃんにも当てはまることだったりする。
きょうのトップ画像は、前者「強く」をイメージして『エイリアン2』(86)を選んでみた。(あすは、「優しい」からイメージしてみよう)


さて。
実家で暮らしていたころの「母の日」の記憶はない。
まったく、ない。
小学生のころとか「たぶん」なにかを贈ったはずだが、どうやっても思い出せない。

だから「記憶に残る、いちばん最初の母の日」となると、18歳のころになっちまう。

自立してからのほうが、親の存在とか強く意識するようになるものだから―などとイイワケかましてみたが、覚えているひとはしっかり覚えているのだろうね。

上京した92年の5月、自分はかーちゃんに真っ赤な財布を贈った。
そのころのエピソードを綴るが、きょうはそれを受けた「かーちゃんからの手紙」の全文を載せることにする。

何度も載せているものだが、えらく好評なんだよね。

自分?

うん、もらったときは「それほど…」だったのだけれども、死んだ数週間後かな、読み直して号泣。
それ以降、これに敵う文章に出会えなくなっちゃった。

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光永、お元気ですか。
母の日のプレゼント、有難う。

集金はそんなに大変だとは思いませんでした。でも、「ご苦労様」って言われると、うれしいでしょう。
早いもので、光永が行ってから、2ヶ月経ちました。学校と配達と、両方大変でしょう。1人が家に居ないっていう事はさびしいですよ。
今は矢代のおばあちゃんが夕方来て話していきますので退屈しませんが、7時頃、お姉ちゃんが帰ってくるまで1人でテレビ見てもつまんないし、光永が居る頃はいろいろ話したり、6時過ぎると夕食でしたが、今では3人そろってからです。
その前に鍵をかけてお風呂に入って、そのうちお姉ちゃんが帰ってきます。
この前、お姉ちゃんはお風呂で気を失って右の耳の下をぶっつけて、ワーワー泣きました。ちょうど連休中だったので良かったのですが、3日間くらい、大変でした。
今年は休み中、お父さんもお姉ちゃんも、掃除でどこへも出掛けませんでした。
お母さんも、おかげでゆっくり出来ました。
今日は、11日(月)。会社を休んで血の検査に行ってきました。お姉ちゃんは土曜日に仕事に出て、月曜に休んで連れてってくれました。
お姉ちゃんには洋服を母の日のプレゼントに買ってもらい、家へ帰ってきたら、光永のが届いていました。
うれしかったです。(涙が出ました)
お母さんは、幸福だと思います。
お父さんは10日は放送大学だったので、「お母さん、アイス買ってきたよ。それとこれから、靴を買いにいってあげよう」って言ってくれました。
お父さんも、お姉ちゃんも、よくやってくれています。
お姉ちゃんは毎日、起こさなくてもちゃんと起きてくるし、お父さんもこの前、人間ドッグに行ったけれど、全然、悪い所ナシ、少し太り過ぎだそうです。
お母さんも、今の所、大丈夫です。
何か送ってもらいたいものがあったら、言ってください。(遠慮しないで)
このテレホンカードは、会社の人とツツジを見にいったり、足利の藤を見にいった時に買ったものです。(会社の人に笑われました)「また、子供に送るんでしょう?」って。
色々と書きたい事あるんですが、いざ書こうとすると、中々、光永みたいにはいきません。字はヘタだし。
とりあえず、この辺で、プレゼント有難う。
大事に使います。又、書きます。読みづらいでしょう。
体に気を付けて。

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母をテーマにした曲




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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(74)』

コメント (2)
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