Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(68)

2014-03-10 00:30:00 | コラム
小学3年のころだった、、、と記憶する。

たぶんクラスの人気者が広めたのだろう、
興味があったかなかったか、それさえも分からず「とりあえず」切手の収集を始めた。

切手よりも「まず」知識がほしくて、カタログを買ってみたり。
切手を保管するアルバムや、ピンセットを買ってみたり。
月に何枚かの記念切手をくれる、切手クラブ? の会員になってみたり。

(そんなはずはないのに)郵便局に行けば、昔の記念切手でさえ手に入れることが出来る―その程度の知識だったんだ、実際、自転車に乗って館林だけでなく隣の太田や大泉の郵便局まで行って「○○の記念切手、ありますか」なんて聞いていたっけ。

局員さんも「また来たか・・・」みたいな対応だったはずで、つまり自分のようなガキが沢山居たんだね。

80年代前半―全国的には「ファミコン」が流行、たしかに裕福なクラスメイトは切手なんぞに興味を抱かず、「○○のゲームソフト買ったよ。うちに遊びにこない?」なんて自慢げにいっていた。
こっちも意地になっていたのだろう、興味はあるけどファミコンに浮かれたい自分の思いを殺し、切手収集に集中しようとしていた・・・って、少し大袈裟だし、切手にも失礼かな。

とはいえ。
極めようとすれば、切手だってたいへんな金を要する。

自分たちは消印のついた使用済み切手から「そこそこ価値のあるもの」を探し出すことだけで満足していたが、

たとえばトップ画像の左「見返り美人」や右「月に雁」は、状態のいいものであれば1万円を超える。

記憶が確かならばクラスでいちばんのコレクターは松沢くんで、

彼はそのどちらも持っている、
でも貴重なものだから見せてもくれない、
ケチだよね、
けど自分が持っていたとしても見せないかもね、
とかなんとか友人と話したんだっけか。

金はないなりに、自分たちも必死で切手を集めた。
もっと知識がほしくて、もっと珍しい切手がほしくて、それで始めたのが「文通」であったと記憶する。

会員になった切手サークルの会報みたいなものに、「文通しませんか」のコーナーがあったんだ。

いまやるとしたら相手の条件は絶対に「女子であること」がいちばんのはずだが、まだ勃起さえ知らなかったガキのころである、
東京に住むという2つ年上の男子に「文通を希望します」なんていう手紙を送ったのであった。

半年のあいだに10通くらいのやりとりをしただろうか、先輩から教えてもらうことばかりで、こっちからはなにも差し出すものはなかった、
それなのに興味を失ったのは自分のほうで、「家庭の事情で引越しをするから」なんていう見え透いた嘘を書いて文通を終わらせてしまうのである。

実際、切手への興味は小学4年生になった途端に「ほぼゼロ」になった。

「プロレス」と「女子」、そして「映画」に出会ってしまったから。

「プロレス」から「真剣格闘技」へと興味は移ったものの、この3つへの「飽くなき想い?」は変わらないでいる。

10歳くらいだから、もう30年も「執着」し続けている。
長い付き合いだねぇ。


ところで切手も、昭和の終わりくらいから随分とユーモアが分かる世界になってきた。
熱中したころにはあり得なかった『ガンダム』の切手が平成になってから発売されたりして、このときは久しぶりに「切手のニュースで歓喜」し、発売初日に窓口へ走ったっけ。

「郵便も、忘れないでね」―ネット時代だからね、あの手この手で奮闘する郵便事業、涙ぐましいじゃないか。

消費税増税にともなって切手も値上がりするけれど、ときどきは手紙を書いていきたい・・・そう思う元「切手収集野郎」40歳なのだった。


※映画との出会いは、これだった。
ふざけた予告編だねぇ。




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明日のコラムは・・・

『おだまり!!』

コメント (4)
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