Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(56)

2013-10-23 01:02:08 | コラム
みふねとしろ「う」→「う」ぉーげーむ

現実では起こりそうもない展開を「現実でも起こり得る」ように描く物語を「トンデモ系」という。
だから、広義の―繰り返すが広義の意味では、SFというジャンルは「すべてトンデモ系」であると。


ただテクノロジーの進歩は著しく、かつては「そんなこと、ムリムリ!」と誰もが思っていたことが現実的になったりして、
つまり時代によって「トンデモ系」は変わると。

いちばん驚いたのが、『フェイス/オフ』(97)の皮膚移植が最新医学の世界では「出来そうな段階」に到達していること。


中国の中年男性が事故で鼻を失う

自分の額に鼻を作る

それを自分の「鼻があった場所」に移植する


すげーな、と思う。

いつかは『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』(89)のホバーボート(飛ぶスケボー)も現実のものとなるだろう。
理屈でいえば、DNA技術を駆使して恐竜を作りだすことだって可能。

しかし。
いくらテクノロジーが進歩しても、時間軸をいじくるのは不可能。
スーパーマンが何十周と地球を周ろうが時間は元には戻らないし、
ブラウン博士が次元転移装置を発明しようが、タイムスリップは無理。

ほかにも無理なことはいくつかあって・・・

というか、無理だからこそ面白い映画が出来る―それを分かっている映画監督たちによって、トンデモ系が創られる、そういうわけ。

80年代はトンデモ系の宝庫で、NASAの見学にやってきた少年少女を乗せたスペースシャトルがほんとうに宇宙に向けて飛んで行っちゃう『スペースキャンプ』(86)なんて、その最たる例かと。

それに比べれば『ウォー・ゲーム』(83)は、だいぶマシというか、この話が「あり得る」のかと問われれば「もちろん、あり得ない」のだが、初めて観たのが小学生のころで、そのときは「あり得るかも、、、」と思ったからねぇ。

それにコンピューター中心の社会になると、誤作動でなにかが起こるという可能性はゼロではないし、
現に2000年問題ではメディアはこぞって煽ったわけだし。

『ウォー・ゲーム』の主人公デビッド(マシュー・ブロデリック)は、パソコンオタク。というか、パソコンの天才。
偶然見つけた米国とソ連(当時)の核戦争をシミュレーションするゲームを彼女(アリー・シーディ)と遊んでいると、どういうわけか現実世界でも核戦争へのカウントダウンが始まってしまうのだった・・・。

そのゲームの管理をするのが人工知能だったために引き起こされたとか、ちゃんとした理屈がいくつも用意されているのだけれども、そういうのは分からなくてもいい。
監督は職人のジョン・バダム(最近、どうしてる? と思ったら、もう74歳なのか!)なので、からくりが分からなくても充分楽しめる。


博士が発狂して核ボタン押しちゃう「より」現実的な映画もあれば、
少々SF入っている「やや」非現実的な映画もある。

逆になったほうが恐ろしいよね、SF入っているほうが「より」現実的になっちゃったら。


そうそう、この映画にはもうひとつ楽しみかたがあって。

映画史に残るNGとして、アリー・シーディの髪の毛が長くなったり短くなったりする、、、というのがある。

これから観るひとは、そのへんも楽しんでね。


※日本語吹き替え版のオープニングを発見…そうだ、マイケル・マドセンも出ていたんだっけ





次回のしりとりは・・・
うぉーげー「む」→「む」らきと、なみ。

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明日のコラムは・・・

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コメント (1)
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