Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

トラビス→キャリー ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.1~

2012-03-01 00:05:00 | コラム
ブログにおける自分の文章は、
複数の連載をひたすら繰り返して展開する―という、いわゆるロンド形式と呼ばれるもの。

とはいえ新参者がいきなり長文の連載を連日更新していっても「誰だ、こいつ?」となるであろうから、
とりあえず数日間は、自我を構成する「あらゆるモノ・コト」について、好き勝手に綴ってみることにする。


というわけで最初の数日は遠慮して短めの文章だが、
徐々に呆れるほどの長文になっていく―と思われ、、、


(1)トラビス

映画小僧を名乗るようになるのは、上京後の19歳くらいのころから。
それまでは単なる? 映画少年だったはずで、
ただ、自分を劇的に変えたのは高校生のころに観た70年代の米映画であり、その自覚? はなかったものの、16~17歳の時点で小僧へと変貌を遂げていたのだと思う。

少年と小僧のちがい?

ニュアンスの問題ね。

少年は、いつかはおとなに成長するものだけれど、小僧は一生、小僧のまま。

なーーーーーんも、成長しない。

グローイング・アップ?
知らん知らん、みたいな。

敬愛する漱石は小説のなかで「向上心のないものは、馬鹿だ」と書いたが、この際、それでいいんだと思う―そう開き直ったものが、自分の辞書のなかでは小僧となる。

自分をそんな小僧にしてしまったひとりの男―彼の名は、トラビス・ビックルという。

日本では『ビックル』という名の清涼飲料水があるために、身体に優しく、可愛らしいイメージを持つかもしれないが、

実際のトラビス・ビックルは、こうだ


入院した脚本家ポール・シュレイダーが、圧倒的な孤独を味わいながら一気に書き上げたという悪夢のストーリー。

モノスゴ大雑把にいえば、ひとごろしの物語である。

「わけがわからん」というひとも多い映画『タクシードライバー』(76)は、しかし、一部の若者に強烈なインパクトを与えた。
その多くが「自分と同じだ」と、トラビスと自身を重ねたようだが、もちろん自分もその例に漏れない。

若さと勢いで突っ走っていた監督スコセッシと主演デ・ニーロが、「怒り」だけで創り上げた映画は神話となり、21世紀になった現在でも「これ一本だけで、ほかはいい」という映画小僧が生まれ続けている。

この映画が好きだというだけで仲良くなれるであろうし、
きのうまで知らなかったひとでも、連帯保証人になってあげる。

というのは大袈裟か、そもそも自分は「元」多重債務者だから、恐らく連帯保証人の審査が通らないのであった。

ガッデム!!


物語について書き出すと、500000字を要することになるので割愛。


ところで『タクシードライバー』が生まれた76年というのは映画史的にとても重要で、もう一本、どえらい傑作が誕生している。
『タクシードライバー』の脚本を「君が創るべきだ」と、スコセッシに譲ったブライアン・デ・パルマによる『キャリー』である。

ジャンル的にはホラーになるのだろうが、『タクシードライバー』と同様、「怒り」が充満した映画なのだった。


※このメロディを目覚まし音楽にしていたら、心地良すぎて一生起きないことに気づく。





つづく。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

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明日のコラムは・・・

『キャリー→スタローン ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.2~』


コメント (3)
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