Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

小僧の祈り

2012-03-11 00:05:00 | コラム
たくさん書きたいことがある。

ふだんから拡声器を持ってわーわーぎゃんぎゃん騒ぎだてるような文章を書いているのだから、その調子でいけばいいのだが、
そんなザーメン髭坊主AV狂いの映画小僧でも、きょうくらいは「しおらしく」いこうかな、、、とも思う。


あの日以降、多くの旧友と再会を果たし、また多くのひとと知り合った。
「呑もう」と誘ったのは悉く自分であり、そのなかには嫌いなヤツだって含まれる。
別れ際には「楽しかった、企画してくれてありがとう」と感謝されることが多かったが、いいや、これは全部、自分のためだったんだと思う。きっと、誰かとつながっていたかったんだ。

けっこう脆いのね、自分・・・と。

「誰かとつながりたいなんて、暴力だ」と、劇作家の本谷有希子は新作でいう。
3.11後の全体主義っぽい空気に敢えて斬り込む本谷なりの主張だが、それも分かる。
分かるけれども、それでも誰かと話したかった。

つまり甘ちゃんなのだろう、自分は。


怖いもの見たさ―もあるのか、現在でもときどきYoutubeなどで、津波の映像を観る。繰り返し観る。

映画の映像であらゆる衝撃を知っていたはずだが、そのどれともちがう衝撃が自分を襲う。

この日に亡くなったであろうK子の話は、前ブログに書いた。
死因は「溺死」で、K子もK子の母親も遺体に外傷はなかった。ただふたりとも、安らかとはいえない死に顔をしていた。

ひとり残された、K子の父親―このひとから、今年の元旦に「敢えて」という書き出しで、年賀状が届いた。

「敢えて謹賀新年と書きます」から始まり、
「去年は、K子に会いに来てくれてありがとう」と続く。

現在も兄弟の家に住まわせてもらっているという父親は、大好きな焼酎を呑みながら大好きな自分のブログを読むのが日課だという。
だから年賀状の最後には、「もっと“はったり”かまして、いいんだと思うよ」と記されていた。


自分の文章を欲してくれるひとが居るというだけで、救われる。
救われている場合ではないのに。
戦わなくちゃ、いけないのに。


とはいえ。
きょうだけは、休戦。

K子に吸わせたかった1000円Peaceを代わりに吸いながら、
被害に遭ったすべてのひとに祈りを捧げたい。


・・・・・こんな風な終わりかただと、
K子にもK子の父親にも「らしくない」と叱られそうな気がするので、
「でも、自慰はするよ」とだけ書いておく。

これがきょう発信出来る、自分にとって精一杯の「はったり」なんだ。
コメント (4)
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