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ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

台風10号

2020年09月07日 | 日記(?)
今日、台風10号が通り過ぎました。
近年まれに見る強くて大型の台風でした。
3日前くらいから、気象庁が最大限の警戒を呼びかけていました。

それもあって、1991年の台風19号(りんご台風と言われた)の時を思い出しました。
個人的には、りんご台風等という可愛い名前を付けては欲しくありません。
ともかく強烈な台風でした。

あのときの状況は今でも一種のトラウマとなって残っています。
居間の広い窓のサッシが強風でたわんだのを、畳を剥がしてサッシに立てかけ、支えにして防いだこと。
国道の電柱が軒並み倒れていたこと。
台風の恐怖をしみじみと経験した台風でした。

あの恐怖がまた来るのか、ともかく気象庁の言うように命を守る行動をしようと、
台風の進路に嫌な予感がしたので、3日に熊本市内のホテルを予約しました。
予約したその後、4日にテレビで避難先にホテルなどという話が出たので、
5日の朝に確認してみると6日のホテルは軒並み満室でした。

家の守りは最大限にして、6日の13時に出発して14時過ぎに熊本市内のホテルに着いたものの、
契約駐車場は満杯。仕方なく駐車場を探すこと30分ほどで、やっと平場の駐車場を確保しました。
娘家族と6人だったので、まだ穏やかな新市街に繰り出し、
夕食がてら居酒屋で生ビールを飲み、美味い料理に孫達は無邪気に大喜び。
子どもにとっては、台風様々だったのでしょう。
因みに、新市街から下通の一部までに開いていた飲食店はほんのわずかでした。

ホテルの部屋は、隣のビルに隣接していたために風の音もなくしっかり寝ました。
家にいたら、一晩中眠れなかったでしょう。
連泊でチェックインしていましたが、もう大丈夫ということで、今日の一晩はキャンセルして9時半にチェックアウト。
帰る途中の道もあまり荒れていなくて、29年前の台風よりも被害は軽かったようです。
我が家の方も、29年前には倒れたアンテナも無事で、瓦にも被害はありませんでした。

東横インの宿泊客と数人話をしましたが、ほとんど避難客でした。
熊本市内に住んでいて泊まった人もいました。
このコロナ禍の中、行政が設けた避難所に不安を覚える人もいたのでしょう。
我々はただ台風が怖いだけのことだったのですが・・・。

災害避難でこれだけホテルが注目されたのは初めてのことでしょう。
進路に当たる九州のほとんどの場所でホテルが満室になったようです。
3日に予約したときは余裕で空き室があったのですがね、テレビでホテルを避難先に示唆したからでしょう。
テレビの影響は非常に大きいのです。

これが台風10号の、我が家の顛末でした。
帰った後も、午後5時頃までは時々強風が吹きました。
吹き返しの風もバカになりません。
今日いっぱいは家に籠もりましょう。

緩み 世代間格差?

2020年07月28日 | 日記(?)
阿蘇市の温泉施設で、50mプールやトレーニングルームも備えた施設がある。
我々はここの温泉に毎日通っているのだが、
最近気持ちよくここに行けない状況になっている。

その理由は、コロナ感染の第2波の状況下にもかかわらず、
阿蘇市以外からの来館者(主にプール利用のファミリー)の振る舞いにある。

手指の消毒はしない、マスクもしない、くっついて話したり飲食したりと、
入り口に貼ってある注意書きは全く無視されている。
一度緩んだ人の気持ちは、2度と引き締めはできないのだろうか。

我々は既に高齢者なので、非常に気分が悪い。

最初の感染対策の時、みんなあんなに用心したじゃないか。
自分がコロナにうつらないためだけじゃなく、
特に高齢者にうつさないためにしっかり自制したじゃない。
日本人に特有の美徳だと思っていたが、あれは幻だったのか。

誰かが世界に向かって自慢たらたらで言った「日本モデル」?
そんなものは端からなかったのだろう。

熊本でもクラスターが起こって、感染者数は既に100人を超えた。
つい先日まで50人以下だったのに。
こんな状況でも、「GO TO トラブル」で、イケイケ。

用心して旅行に行けだって?
国民に丸投げかよ。
だからこうなってんじゃないか。

阿蘇は観光地だ。
毎日ホテルの前を通るので、宿泊施設の苦境は十分知っている。
だが、住民の大半は今の状況を恐れている。

先に書いた温泉施設の来客の行動を見ると、
その恐れが、いつか現実のものになるのではないかと恐れている。
阿蘇の住民の高齢化は如実で、だから私も相当に恐れている。

政治が全く当てにならない状況で、ひたすら自衛するしかないのか。

ア○ノマスク 番外編

2020年05月27日 | 日記(?)
番外編なので、実質的にはマスクの話題ではない。
一昨日だったか、国の緊急事態制限解除の記者会見における、
ア○クンの発言に唖然としたというか、それを通り越して吐き気がしてきた。
彼が得意気に広言した「日本モデル」とは一体何なのか。
具体的には何も示さなかったように思う。というより具体的に示せるようなものはなかったと言っていい。

政府指導で何をしたというのだ。
対策に後手に回って、思いつきで政策を打ち出しては迷走したではないか。
検査数を増やすと言って、ひと月以上たっても何も改善されなかったことを国民は皆知っている。
その間、全国の自治体では、首長を初めとして、医療関係者などなどの獅子奮迅の奮闘があったから今があるのではないのか。

私の周りでも、このふた月ほど営業を止めているホテルを初めとしたサービス業の人々が喘ぐように我慢して、
もう終わりかもしれないという境界を彷徨っている人たちの頑張りではなかったのか。
それらの全てを十把一絡げにして、全部が自分の手柄のごとく「日本モデル」を声高に発表するあんたは、
まだ届かないマスクを配っただけじゃないか。

100兆円の200兆円のという財政支出の大風呂敷を広げているが、
そりゃあ人の金だから、どんなに広げても胸も懐も痛みはしないだろう。
しかし、生活苦に晒されている人にとっては、大風呂敷の中の派手な御馳走も、自分の口に入らなきゃ絵に描いた餅に過ぎない。
相変わらずの口先男の面目躍如だ。
耳ざわりのいい、空虚な言葉を口にすることは得意なくせに、
いざ追い詰められたら、あたふたと逃げ回っているのは誰だ。

かって、高校野球の監督に話を聞いたことがある。
監督の役目は敗北の責を全面的に負うことにあるという。
高校野球では、勝利は選手のものであり、敗北は監督のものであると言われている。
彼は、野球の監督は孤独なのだという。
試合中に勝っているとき、選手は盛り上がっていても、自分は常に冷静で次の手を探っておく必要があり、
選手と同じような熱量で試合に臨むことはできないとも言っていた。
次のような話もしてくれた。
地方大会の準々決勝で、選手にスクイズを命じたが、選手がバンド空振りをして結果的に敗戦したという。
失敗した選手自身はもちろん自分を責めたし、後方の保護者席からも選手を責めるような声があったが、
監督はそうじゃないと言った。責任は自分にあるのだと。
「スクイズというのは非常にデリケートな作戦で、プレッシャーも半端ではない。そういう状況でスクイズを成功させるまでに、選手の技量とメンタルを高めてやれなかったのは自分の責任である」と。
高校野球の監督もまた過酷なのだと。

翻って、国家の監督ともいうべきア○クンの一昨日の発言は、高校野球の監督のあり方とは真逆で、
自分が典型的な反面教師ということを世に知らしめた。
コロナの沈静化がある程度成功したのは自分のおかげ。
そして検察官の定年延長については、法案を出したのも、当該検察官の不祥事に対する処分も、自分はあずかり知らぬ。
全部、検察庁や法務省に問題があったように言う。
先の監督の発言があまりに潔かったのを思い起こして、ア○の発言に腐臭のようなものを感じて私は吐きそうになったのだ。

小沢一郎が、「彼は息をするように嘘をつく」と言っていたが、まさにその通り。
自分だけならまだしも、検察官処分の件では、法務大臣の発言も一転させ、嘘をつかせている。
モリカケ問題以降、いやその前から、自分が嘘をついたことで、多くの人が巻き込まれ、
心ならずも(とばかりも言えない、正直に生きることもできたはずだが、そうしなかったのはそれぞれの責任である)嘘つきになってしまった。
それだけでもア○クンの責任は重い。
だけど、そういう自覚は全くないだろうなぁ。あったらこういう人間は恥ずかしくて穴から出てこられないに違いない。

終わったつもりが、吐きそうになるほど怒ったのでまた書いてしまった。
本当に最後にしよう。
ア○クン、お願いだからもう余計なことは言わないでね。
本当にお終いにしたいの。

ア○○ノマスク その3

2020年05月18日 | 日記(?)
まさかこの話題で、第3弾まで行くとは思いもよらなかった。
先日、熊本日日新聞に、ア○さんが、政府配布のマスクについて、
「この政策があったから、今日のマスク販売価格が値下がりした。一定の成果はあった。」
というような発言があったらしい。

この発言に、ネットでは「荒唐無稽」などの反応があったということも書いてあった。
言い得て妙。
専門家の意見としては、中国等の国で需要が少なくなったのと、
供給源が増えて供給過多で値が下がっただけで、マスクの配布とは関係ないということらしい。

そりゃあそうだろう。
日本国内でマスクが届いているのは10%にもなるまい。
届いていないものをもって、一定の成果云々と言われても、まさに荒唐無稽、笑い話にもなりゃしない。
今後届いたときは、小中学生がいる家庭では、学校再開の折に、給食用マスクで使用することを勧めます。
夏休みまでに間に合えばの話だが。

相変わらず自分の発言や行為に拘泥して非を認めないのはいかにもで、
やはり、この人はずいぶん甘やかされて育ったようだ。
政治家の一家に育ったのなら、親は帝王学の一端でも教育してこなかったのか。
世襲政治家の限界と劣化が垣間見えて、この国の現状に暗澹たる思いを抱く。

コロナ禍が始まる前までは、テレビで日本の人や物、その技術等を礼賛する番組が目白押しだった。
そんな番組を見た多くの人は、自分の国を、少なからず心地よく、かつ自慢に思うこともあっただろう。
しかし、コロナ禍という未曾有災難の中で、日本の政治というものの本質があぶり出され、
自分が住んでいる国の現実を突きつけられて、ただ愕然とする人もまた、いたのではないだろうか。
「俺の住んでいる国はこんなに酷かったのか!」と。

もとより個人的には、責任=無責任という風に新解釈(解釈を変えるのはこの人の得意技)した人がトップであることを容認していたことは一瞬たりともない。
しかしながら、ここまでとは。

火事場泥棒のように国会審議を進めた検察庁法改正案は、今国会での成立を見送るという情勢だが、
いつかまた、自分や近しいもののために、再提出するだろう。
批判の矛先も、そのうち下火になるだろうと高を括っているし、既にそういう状況を何度も学習しているから。

マスク騒動についてはこれで終としよう。
何故か、書くたびに虚しい気分が心を占めている割合が大きくなっていくようで、どうにもやるせない。

アベノマスク その2

2020年05月02日 | 日記(?)
前回、アベノマスクの受取拒否について書いたが、既に受け取ってしまった。
と言っても我々夫婦ではなく、小学校に通う孫2人の話だ。
長引く休校措置の中、4月30日に臨時登校があり、その時もらってきた。
その前日のこと。

どうやら、明日の登校日にマスクは配られるらしいと聞いて、夕食時にその話題になった。
私が、この政策をほとんどぼろくそに貶していることを、孫は聞いていたようで、
下のが、「僕は要らないから先生に返す」と言うと、
兄の方が「先生に返しても、先生が困るとバイ」と至極まっとうな意見を述べた。
彼ら二人の話を聞いて、迂闊にめったなことは言えないと反省したものである。

ところで、先日ネットで以下のような記事を見た。
聖路加大の大西一成准教授(公衆衛生学)はアベノマスクの漏れ率(マスクの内側に粒子が入り込む率)を計測した。
5回とも100%の漏れ率。つまり、外に浮遊している粒子が全て内側に入ってしまう。
ということは、逆に言えば、内にいるウィルスも全て外に漏れるってことじゃないのって思うのだが、はて?
つまり、実験上、このマスクは感染を防ぐという目的には、全くの役立たずということになる。

本人だけが装着して、他の閣僚が誰も同じマスクをしていないのを見れば、自明のことではある。
国会の質疑で、466億円もの予算を無駄に使わずに、医療支援に回したらどうかという意見に、
色をなして反論する様や、決して自説を譲らない頑なな態度を見ていると、
「ああ、この人は相当甘やかされて育ったんだなぁ」と感じてしまう。

この人の操縦は、コツを掴めば結構容易いのだろう。
今周りにいる奸臣が、べんちゃらを言ってはすり寄り、思うがままに操ろうとしている図が見える。
陰に隠れて、一国の首相を貶めるような政策や助言をする奸臣共。
陰に隠れていないで、「でてこいやー!」
というか、こんな連中を誰も切れんのか~い。

政界というところは、嫌われても構わんから、この難局を何とかしようという気骨のあるやつはいないのか。
ま、いないわな。
どっちをとっても給料の2割削減でお茶を濁すような連中だから、
生活苦や、疲弊した医療従事者に思いを馳せるような、想像力は持ち合わせてはおらんだろう。

このコロナ禍は人類にとって多大なる厄災であるが、唯一収穫があったとすれば、
人の本質が見えるようになったことである。
アベノマスクのご本人や、政府関係者に国会議員、厚労省、財務省などの省庁や官僚、
都道府県の知事、市町村長の長、そして民間人。
今回のコロナ禍はそれに対応する過程で、人間性までも炙り出しているように思える。

どれだけ想像力を働かせて、国民・住民に思いを馳せているのか、それとも全く思いやっていないのか。
私なりの結論です。頑張っている一番手は同じ民間人の方々です。
そして地方自治体の首長のみなさん、頭が下がります。
最後に国を動かしている方々、もう後手後手の、行き当たりばったりの対応は終りにしましょう。
「先手必勝」という素晴らしい4字熟語があるじゃないですか、日本には。

コクミンの皆さん!今の状況で、国の宰相や自治体の首長、国会議員に地方自治体の議員がどういう動きをして、
どれくらい国民や住民を思いやっているのか、よ~~~く見ておきましょう。
今度彼らを選ぶ機会には、我々が、今の彼らの態度を決して忘れていないということを思い知らせてやりましょう。