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ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

コロナワクチン接種の顛末

2021年06月25日 | 日記(?)
コロナワクチン接種の2回目が23日に終わった。
1回目は6月2日で、このときの副反応は、注射した部分の筋肉痛がかなり強くて、
左を下にして寝ることができなかったが、翌日には痛みが引いた。

今回は2回目なので、副反応が気になっていた。
巷では噂話も含めて、虚実ない交ぜた副反応の話題があって、気にしない方が無理というものである。
風呂で会う老人が6月1日に2回目を終えたというので、副反応について訊いたところ、
「な~も無かったバイ」とのことだった。

もう一人、孫の同級生の母親で、介護施設に勤務している女性に聞いたところ、
発熱・頭痛・倦怠感があったそうで、倦怠感が一番辛かったということだった。
若い女性に副反応が出やすいという報告もあり、なるほどと思われた。
なんにしても個人差はあるのので、注射を打ってみないことには分からんじゃろと覚悟は決めた。



注射をした日は1回目同様筋肉痛があったが、1回目の時より軽い。
翌日24日、朝起きるときから下半身がだるくて重い。
熱は36.6度で、平熱に近い。
午後になると、体温は37度を超え、時間がたつほどに少しずつ上がっていく。
それと同時に、起きているのが辛く、ほとんどの時間をベッドで過ごす。

頭痛はないが、午後2時に解熱剤としてアセトアミノフェン系の鎮痛剤であるタイレノール(カロナールと同じ成分)を飲む。
夕方6時頃には体温が36.7度になり少し楽になったが、下半身のだるさは取れていない。
9時半にはベッドに入ったが、熱を測ると37.9度ある。
タイレノールは8時間の間を空けて服用する方がいいようなので、
10時まで本を読んで、1錠服用してから寝る。

そして3日目の朝がきて、起き抜けの体温は36.9度。
だが、下半身の状況はほぼ改善し、だるさも重さも感じない。
あれが倦怠感というやつだったのだろうか。
10時現在、体温は36.4度で平熱に戻った。

専門家が言うように、副反応は接種翌日の1日か2日後には収まったということだ。
友人が、接種後の感想をメールで送ってきたが、その中に、
「肩が上がらんくらいの筋肉痛と発熱があった。しかし、これが抗体を作るための反応と思うとちょっと嬉しいような」
とあった。また、
「副反応が出たというのは、まだまだ俺も若い」
とも書いてあった。
ということは、私もまだまだ若いってこと?
因みに、我が奥方も私同様の発熱はあったが、倦怠感は無かったそうな。
ということは、私の方が肉体的には若いってこと?

以上、コロナワクチン接種の顛末でした。

お茶と梅

2021年06月09日 | 日記(?)
先日、所用があって友人の家を訪問した。
こちらから渡すものがあったのだが、行ってみると、梅が欲しいかと訊かれた。
彼の家には立派な梅の木が4本ほどあって、今が収穫時だという。
ということで、友人夫妻と我々夫婦で、地面にブルーシートを敷いて、
私が梅の木を叩いて梅の実を落とす。
そうやってシートの上に落ちた梅の実を収穫するのだ。
小一時間かかってほぼ収穫を終える。

その後、畑の方を見ると、これも立派な茶畑があって、半分近くは茶葉の収穫がされていない。
話を聞くと、今年は収穫時期が遅れてしまって、製茶工場が既に稼働を終えたので、
製茶できないなら仕方ないということで、放ってあるとのこと。
「じゃあ、少し貰っていいですか」と、上部の柔らかい葉の部分だけを収穫した。

家に帰り、私は先ず煎茶作りに挑戦した。
電子レンジを使った方法で、ネットの情報通りに作業するとなんとかそれらしくなった。
味は薄くてコクが足りないが、新茶の香りはほのかにある。
残りの葉は一晩置いて、翌日やはりネットの教えに従って紅茶を作った。
これもそれらしくできて、色は立派な紅茶だが、いまいちコクが無いけど、それなりに紅茶の香りと味がする。
緑茶も紅茶も、素人の限界はあって、やはりプロはたいしたもんだと認識を新たにする。

さて、梅の方だが、今年は2.5㎏ほどを梅干し作りにする。
残りは梅酒を作ることにした。
今年の梅酒のアルコール材料は、ホワイトリカー、日本酒、RAKI、泡盛と米焼酎の5種類。
RAKIというのはブドウから作ったトルコの蒸留酒で、誰かの土産で貰ったものなのだろうが、
ラベルを見るとずいぶん古くて、いつ誰に貰ったかの記憶も無い。
しかし、蒸留酒でアルコール度数も45%と高いので、梅酒向きと判断して使用する。
日本酒がどのように変貌するのか、これも楽しみである。

それでも梅が余った。計ってみると1.3㎏ほどある。
これは炊飯ジャーを使って梅シロップを作る。
梅に串で穴を20カ所ほど開けて、ジャーの中に梅、氷砂糖、梅、氷砂糖と3段重ねする。
蓋を閉じて保温状態で7時間ほど置いておく。

昨夜の9時にスイッチを切っておいたので、今朝は梅を取り出してシロップを少し加熱する。
取り出した梅は奥方が一部を梅ジャムにする。
残りはそのまま冷蔵するしておくようだ。
シロップは濾してペットボトルに入れて冷蔵庫に保存する。
飲むときは、シロップ1に炭酸水3くらいが適当な割合のようだ。
多分、ほとんど奥方の口に入るんだろうなぁ。

友人のおかげで、この2日間はずいぶん楽しませてもらった。
多謝!!!

熊本駅リニューアルオープン

2021年04月30日 | 日記(?)
4月23日(金)にあみゅぷらざ熊本がオープンし、新しい熊本駅が完全リニューアルとなった。
で、駅前の好立地にある「ニューホテル」に1泊し、探検してきた。
ホテルは、1泊2日でツインに2人で泊まって一人5,000円という格安プラン。
もちろん、2食付き(ビュッフェではあったが)のルックアップ熊本等の補助金を利用した。


ザ・ニューホテル(確か以前は、ニューオオタニホテルだったと記憶している)

阿蘇駅の近くに車を停め、豊肥線の肥後大津で乗り換えて、熊本駅までのんびりと普通列車で行く。
連れの友人夫妻や私の奥方も久しぶりの列車に大喜び。
私は、豊肥線が震災から復旧したときに孫を連れて乗っているので、それほどの感慨はない。

阿蘇駅のホームで話しているリクルートスーツの3人の女性の言葉がどうやらベトナム語のようだ。
早速話しかけたら、ハノイの方から、福岡の短大に留学していて、
阿蘇にあるホテルに就職するための面接に来たと達者な日本語で説明してくれた。
もし、阿蘇で仕事するようになったら連絡してネ、といって名刺を渡した。

午後2時半頃出て、大津駅乗り継ぎで4時過ぎに熊本駅に到着。
すぐにホテルにチェックインする。
夕食は少々早いが、午後5時の設定になっていたので、先ずは夕食を先に摂る。
密を避けるために、ビュッフェ利用の時間が事前に分散されているようだ。

6時30分になったので、熊本駅を挟んで対面にあるあみゅぷらざ熊本を冒険する。
夕食をたらふく食べたので、6,7階のレストラン街はスルーして、ユニクロだけ覗き、友人夫と2人でビッグカメラに行く。
ほとんどが若者向きの店という印象。じっ様とばっ様のカップルには縁が無い。
ばっ様達は孫達の土産になるものを買って帰る。


アミュプラザくまもとのオープン初日の23日は長蛇の列ができたそうだ

翌日は朝食後、9時にチェックアウトして、駅構内の肥後よかもん市場をうろついて、
10時過ぎの肥後大津駅行き普通列車に乗る。大津駅で乗り換えて阿蘇に帰る。
あみゅぷらざ熊本も若者には魅力的かもしれないが、我々にはあまり縁が無いかな。
これにて小旅行は終わり。

熊本地震の後遺症

2021年04月12日 | 日記(?)
昨日、婿が単身赴任で使っていたマンショの取り壊し手続きに行ってきた。
このマンションは購入して約25年になる、3LDKの物件である。
なぜ取り壊しという結末になったかというと、5年前の今の時期に起こった熊本地震に原因がある。

当時最も被害が大きかった益城町のすぐそばにあった12階建ての、
建物を支える地下に埋設された柱が沈み、結果として1階部分は、
逆に1m近く床が盛り上がる形になってしまった。
1階部分の住人は住めなくなって、マンションを出て行ってしまったのだが、
不思議なことに、3階にあった部屋は、地震の影響によるひび割れもなく、傾斜もなく、
住むのに全く支障が無かったのだ。

エレベーターや水道も、しばらくして使えるようになり、これなら2階以上の住人には何ら問題ないと思われた。
しかしその後の調査によって、地下部分のマンションを支える柱の破損が確認され、
マンションは全壊認定された。
全壊認定されたので、取り壊しにかかる費用は全額補助で賄えるはずだったが、
現状何ら従来と変わらない生活が送れる住人の中には、取り壊して行き先がなくなる人もいれば、
またいくらかローンが残っている住民もいて、賛否両論が渦巻き、結論が出ないまま時が過ぎていった。

補助金申請の期限も過ぎ、一体どうなることやろと思っていたら、
熊本市から、再び全壊マンションの取り壊しについて9割補助する通知があり、
この機会を逃がしたら、いつか廃屋になるやもしれないという思いが住民に芽生えたのか、
何とか全住民の合意が取り付けられて、昨日の手続きとなったのである。

一軒家と違って、マンションという共同住宅は、
災害に遭ったときに、とてつもなく面倒だということがよく分かった。
リーダーシップを取ってくれる住民がいなかったらここまでは至らなかっただろう。
うちは幸いローンが残っていなかったが、
ローンのある人は、これから住まいを購入するとなると、2重ローンになるというのも気の毒である。

一時期、ここに住めなくなった住民の一部が、
取り壊しに賛成しないで住み続けるという人たちを相手に、
自己所有部分の買い取り請求を起こしたことがある。
地震の影響で既に財産ではなく、負債と化したマンションの所有部分を買い取れとは、
それも同じ境遇の人間にそういう提訴をすることに、怒りさえ感じたことがある。

そういった人間模様が延々と繰り返されたこの5年間だった。
何とか全員の合意の元、20日から取り壊しに入る。
更地にされたら、土地を売却して、住民に還元されるそうだが、試算によればほんの僅かの金額で、
長年の問題が解決したことに胸をなで下ろすしかないかという感じである。

立地の便利が良く、一軒家ほど高価でなく所有できるなどと、マンショのいいところはたくさんあるが、
それとは逆のマンションという共同住宅の陰の部分を見せつけられたこの5年間でもあった。

マンションの購入にはくれぐれもご注意を。そしてよくよく考えて購入しましょう。

南回り九州道

2020年10月16日 | 日記(?)
先日所用があって鹿児島まで自家用車で行った。
最近は年齢のこともあって、高速バスで行くことが多かったが、
自家用車の方がコロナに対しては安全ということと、
もう一つは、鹿児島に着いた後に少し動き回らないと行けないので、それもあって車にした。

最近、九州道の南回りルートが、熊本側では水俣まで開通したし、
出水・阿久根間も開通、川内から鹿児島インターまでも繋がり、
平道区間はかなり短くなったようなので、こちらを通ってみることにした。

延べで見ると高速道の割合がかなり高くなって、それも無料通行できる区間がかなりある。
ETC割引もあって、益城インターから鹿児島インターまで1,600円くらいだった。
九州道区間と比べると約半額で済んだことになる。

また、阿久根から薩摩川内水引インターまでは、平道だが海沿いの道で、
天気が良かったのもあって、碧い海を眺めながらの快適なドライブだった。
途中、宮原SAで昼食を兼ねてゆっくり休んだり、阿久根道の駅に寄ったりしたのを除くと、
阿蘇から4時間弱で鹿児島中央駅近辺のホテルに着いたことになる。
南回りのルートでも大差はないという感じである。

鹿児島に着いた日は、大学の先輩や後輩等一緒に6人で久しぶりにテーブルを囲んで焼酎を飲んだ。
コロナ禍の中で、居酒屋の土曜日にもかかわらず客の入りは半分ほどで、通りの人出も少なかった。

翌日曜日には、その朝大学病院を退院した同級生と、サンロイヤルホテルのロビーで待ち合わて2年ぶりに歓談し、
昼前に鹿児島北インターから九州道に乗り、一目散に帰った。
ドライブ自体は結構楽しめたのだが、やはり年のせいか、帰ったときは疲れが出てしまった。