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ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

日本代表はいかに -3-

2010年06月26日 | 日記(?)
日本代表の第3戦がある日は、丁度中国旅行から帰った日で、
結構ハードな日程で帰国したため、
とても3:30からの試合を見る気にはなれなかった。

翌朝、6時過ぎに目覚めると、上さんは既に起きていて、
ニュースでは日本勝利の熱狂が放送されていた。
ああ、勝ったんだなぁ、よかったよかったと思ったが、
テレビほど浮かれた気にはならなかった。

昼から、録画しておいたデンマークとの試合を見た。
日本の身の丈にあった戦術と選手起用は従来通りで、
FK2発の先制という、日本の得点パターンが決まった試合だった。
本田のフリーキックはもちろん素晴らしかったが、
遠藤のフリーキックは実に素晴らしかった。
今回名だたる選手が失敗しているカーブのかかるボールを、
見事にゴールに運んだ技術は世界レベルだった。

最後の3点目は岡崎のゴールだったが、アシストした本田が素晴らしかった。
W杯の前までの本田は、レギュラー獲得のためか、
ゴールを狙うことにガツガツし過ぎて、独りよがりな部分が目に付いたが、
ここ3試合は不動のレギュラーというか、チームの核になったゆとりがあって、
そのゆとりが岡崎への見事なアシストになったといっていい。

1次リーグを見ていると、松井のテクニックと、大久保の攻守にいとわぬ動き。
すっかり切れを取り戻した遠藤、共に中盤を支える長谷部と阿部。
サイドの長友のつきぬ運動量とファイティングスピリット溢れるマーク。
ブレークした川島のファインセーブ等々、選手は非常に素晴らしかった。

指揮官は、やりたいサッカーはあるが、現実路線を取らざるを得なかったといった発言をしているが、
彼が現実路線に気づいたのはいつなのだろうかという疑問は消えない。
思うに、選手選考以前ではないだろう。
もしそれ以前なら、選ばなかった選手の一人や二人はいただろう。

やりたいサッカーが現実路線とは異なっていたというのは、なんと虚しい結論なのだろう。
世界のサッカーに対する認識の甘さを問われてしかるべきなのに、
今はただ1次リーグ突破の熱狂に浮かれて、全ては置き去りにされている。
このリーグ突破の賞賛されるべきは選手であり、指揮官ではない。

海外のメディアでは、カメルーン戦の日本の戦いはこき下ろされている。
今回W杯で最低の試合だと。それでも選手の健闘は評価されてしかるべきだ。
オシムは言っている。「守りは簡単だ。相手の創造をこわすだけだから。」と。
今の日本の実力では、この戦いしかないだろうということを、とっくに気づいてしかるべきだった。
そしてこの戦い方を2年間掛けて研ぎ澄ますべきだったのだ。

今年のW杯では、フランスやイタリアがほぼ予想通りに敗退した。
フランスは以前から監督と選手の確執が言われていたし、
イタリアは、カンナバーロやガッツーゾに頼っているようでは将来はない。
イングランドも薄氷のリーグ突破だったが、次は期待できそうだ。

ブラジルは優勝候補の1番手の実力だが、面白味はない。
その点、ある意味日本と同様に、監督に頼らないアルゼンチンは、
その個人技の高さと攻撃性でダークホースに躍り出ている。
今夜からベスト16のトーナメント。
まさに一発勝負の真剣試合だ。

日本代表はいかに -2-

2010年06月16日 | 日記(?)
不屈のライオン、カメルーンを破った日本代表。
司令塔のソングが不可思議な欠場とはいえ、
予想外の勝利は、選手たちのファイティングスピリットの賜だった。
特に、攻撃と守備に駆けずり回った松井と大久保は賞賛に値する。
だが、松井の個人技から繋がれた本田のシュートは、
日本人のサッカーで世界を驚かすというシュートではなかった。
そういう意味では指揮官への評価に変わりはない。

今回の日本代表の布陣は、ワールドカップで勝つための窮余の一策とも言える布陣である。
指揮官が追い求めてきたサッカーの形は、
遠藤のパフォーマンスの中に一瞬見られたに過ぎない。
2年近く追い求めてきた日本のサッカーのあり方は間違っていたけれど、
日本中が勝利に浮かれて、それで全てが許されるなら、
その2年に費やした選手の努力、使った費用・時間は虚しい。
これからの日本のサッカーは何を何処を目指せばいいのか、
サッカー協会の幹部に問いたい。

今年のワールドカップは、
日本の試合も世界基準の試合の一つとしてそれほど熱くならずに見ている。
まず、オランダはさすがの試合。
これに左ウィングのロッペンが絡んだらと思うと、日本には大いなる脅威である。
トータルフットボール発祥の国であることを改めて認識する試合だった。

開幕試合のメキシコも、実にメキシコらしい試合運びで、
これまた、らしい南アフリカに先制されたが、スタイルを変えることなく同点に追いついた。
セルビアとガーナの試合は、非常にレベルの高い試合で、
よく統一され、スピードも豊かなガーナが勝ち点3を獲得したが、
これを見れば、同じグループのドイツも安閑とはしていられないだろう。

同じアジアの雄、韓国は素晴らしい試合をした。
選手個々の力と、伝統のファイティングスピリットは1次リーグ突破の予感を抱かせる。
メッシが世界ナンバー1のパフォーマンスを見せたアルゼンチンは、
同国の英雄マラドーナ監督は、別にいなくてもいいんじゃないかと思われ、
優勝候補の一角、イングランドとイタリアはいささか不安な開幕戦となった。
イングランドはキーパーのミスが大きいが、イタリアは4年前に比べると明らかに力が落ちている。
ともかくどの試合を見ても、勝つことは容易ではないということをひしひしと感じさせる試合ばかりだ。

さて、日本代表のオランダとの第2試合。
エトーに頼ったカメルーンに比べると、オランダは攻守とも相当に上にある。
指揮官は勝った試合のメンバーで臨むだろう。
だが、カメルーン戦では、後半の特に残り20分ほどには、日本の選手たちの体力の消耗が激しくなり、
前半ほとんどなかった左サイドからの攻撃を立て続けに受けていた。

世界的な司令塔のシュナイデルを中心に速くかつ多彩な攻撃をするオランダに対し、
後半もどれだけ引かずに守ることができるのか、
そして一瞬の隙を突いたカウンターの攻撃ができるのか、
選手たちのあくなき闘争心に期待したい。

日本代表はいかに

2010年06月11日 | 日記(?)
いよいよワールドカップが開幕する。
4年前、ドイツ大会の終了後は、現地に見に行く気持ちは満々だった。
何故断念したのか。
一昨年、世界一周中にペルーの宿で、ザンビア在中の日本人夫婦に会い、
治安の悪さを理由に行かない方がいいと諭されたからである。
アフリカに住んでいる人間が言うほど治安が悪いのは余程のことだろう。

ワールドカップはもちろん見たいが、
アフリカを旅する際のイベントの一つと考えていて、
それだけが目的なら、少々高くてもツアーで行っただろう。
しかし、40年ぶりのアフリカなら、ひと月ほど掛けて回る自由がなくては成らず、
個人行動が極端に危険な状況の国には行く理由がない。

さて、日本代表のここ最近の状況を見ていると、
サッカーファンで、1勝でもできると思っている者は8割方いないだろう。
親善試合の戦い方や結果だけで言っているのではない。
代表監督の節操のなさに呆れているからだ。

2008年にオシムの後を受けた現監督は、
俺のやり方でやると言ってチームコンセプトを徹底したのではないか。
「接近、連続、展開」などという、ラグビーで有名になった戦術を掲げて。
そのための合宿練習や親善試合を重ねてきて、約2年の歳月が経った。

それが今、1次リーグで戦う強豪を前にして、
そのコンセプトをかなぐり捨てて、極端な守りに入ろうとしている。
はっきり言って、完全なビビリである。
この2年間は何だったの、と言いたい。

指揮官が迷いに迷い、本大会前に選手たちを鼓舞することすらできないでいる。
世界が相手なら、対戦相手全てが強豪であることは分かっていたはずだ。
日本の弱さをやっと認識したというのか。アジアレベルが世界と思っていたのか。

今更ながらの布陣を敷くなら、何故内田を代表に入れたのか。
右SBに何故徳永を招集しなかったのか。
カメルーンの左サイドはゴールの起点になる、非常に危険な選手だ。
それをサイドの経験のない今野に任せるつもりなのか。

カメルーンの左サイドを上がらせないために、内田の攻撃力を使うのも手。
ガツガツ削らせるためには、今野より徳永の方がスペシャリスト。
今野はサイドで生きる選手とは思えない。
もしかして、代表を決めてからこの戦術でないと駄目だと、やっと気づいたのか。

イングランドとの親善試合から、日本代表の監督は替わったのかと思える戦術。
戦略も戦術もない指揮官を見ていると、期待は全く持てない。
あとは、各選手たちの奮起に奇跡を望むのみだ。

ミヤマキリシマ

2010年05月22日 | 日記(?)
阿蘇山は登れる火山である。
その阿蘇山登山口が玄関口なら、仙酔峡は勝手口みたいなものだろう。
その仙酔峡は今の時期になると、一面にミヤマキリシマの花を咲かせる。

先日、幾分曇ってはいたが、まいいかと車で登ってみた。
途中口蹄疫の予防のための消石灰が撒いてあったりというようなことがあったが、
牛は元気に草を食んでいた。


 仏舎利塔の先に広がる阿蘇谷

ロープウェイの発着口にある駐車場は結構な車が止まっていて、
年配のグループや夫婦らしき人たちで賑わっていた。
花は丁度盛りの時期で、一面薄紫と緑の模様の絨毯を敷いたような景色で、
そこから見るカルデラの遠景の風情も格別だった。


 花の先には、晴れた日には高岳が見えるのだが、この日は濃い霧だった

千枚田といわれる阿蘇谷の田んぼには水が張られ、
晴れていたなら、日光を映してさぞやに燦めいていただろう。
外輪山を登り下りする通勤は、通算8年ほどあり、
山から見下ろす今の時期の阿蘇谷の風景もまた気持ちを和ませてくれたものだった。


 外輪山の中に開けた千枚田

久しぶりの仙酔峡を1時間ほど堪能して降りた。
研究会の総会の時は、数人で弁当を持って来て、
ミヤマキリシマを眺めながら昼食時間を楽しんだことを思い出した。

中江神楽

2010年05月04日 | 日記(?)
今日は、波野の神楽苑に行ってきた。
13:00から中江地区の神楽があり、久しぶりに神楽を見た。

中江の神楽を初めて見たのは、平成2年の1月。
熊本県立劇場で、一昼夜を費やして演じられた三十三座。
見る者を圧倒する舞台だった。

波野という、何ら産業もない高冷地野菜の産地の地。
農業従事者がほとんどの、冴えないおじさんたちが演じた神楽は、
生半可な演劇や歌の舞台など比較にならないスケールで見る者に迫ったものだった。

その公演で、波野在住の知人がいた関係で、
舞台袖からしばらく見ることができた。
舞台袖では次の出番を待つ波野の人が、談笑したり着替えたり、
茶を飲んだり、つまみをかじったり、
一段落した畑で茶を飲んでいるような和やかな雰囲気である。

しかし、出番が迫り面を着けた途端にその雰囲気は一変する。
ピーンと背筋が張り、何処にでもいるおじさんは既になく、
自分が演じる役に成りきって、笛と太鼓に誘われるように舞台へと出ていく。
その変わり身は今でも強烈に印象に残っている。

今日もその一端を垣間見ることができて、当時の記憶が蘇った。
ただ、あの当時の人は演者にはほとんどいなく、
それでも、中江の神楽が連綿と引き継がれていることは実に素晴らしいことなのだ。
その思いを抱いて帰途に着いた。