【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

ある夏の日の“徒然なる光景”

2008-07-06 17:12:27 | 心の宝石箱





   今日も朝から真夏の様相です。
  梅雨が明けたかのような、そんな空。

   そう言えば、九州、山口地方では、
  明けたそうですね。

   それでも朝早くから蝶が、
  ヒラヒラ舞っています。

   白い 「半夏生」(はんげしょう) に
  蝶が止まったかと思うと・・。
  俄かに、黄色い蝶もお出ましです。

   そして、あまりにも背が高くなって、
  全然、気付かなかった、白い薔薇も・・。

   いつかのアゲハ蝶などは、
  家の中にまで入って来ようとして? 網戸の周りをグルグル・・。

   それは、まるで私を挑発しているかのよう。
  このアゲハ蝶、どういう訳か、
  「ベルガモット」 の赤い花が、大好きだったのですよね。

   赤と言えば、今日 「カンナ」 の赤い花が咲いたのですが、
  この蝶は、一向に止まる気配すら、ありません。

   どうやら、赤なら何でもいいという事では、ないようですね。
  ベルガモットの花が終わった今、落ち着かないのも仕方ないのかも知れません。
  そうそう、今日は今年初めて、蜻蛉(とんぼ) が、やって来ました。

   アゲハ蝶はカンナには、見向きもしませんが、
  この蜻蛉は、カンナが大好きなのでした。

   こんな小さな庭にも、ちょっとしたドラマがあって、
  なかなか退屈させません。

   こんな風に・・家の中から窓越しに、庭を眺めていますと・・。
  ふと、正岡子規の 『病牀六尺』 を思い出します。

   明治35年、35歳で9月19日に亡くなる子規が、
  その2日前まで4ヶ月余り、病床で書き続けた随筆集です。

   肺結核から脊椎(せきつい)カリエスを患っていた子規は、
  「病状六尺、これが我世界」
という、境遇にあったと言います。

   蒲団の外に出られないばかりか、度々襲う激痛に、
  号泣する日々でもあったとか。その心痛は、いかばかりだったでしょう。

   果物や、草花の写生を楽しむ一方、教育論等など・・。
  それでも、一向に衰える事のない好奇心には、目を見張らされます。

   子規が伏していたのは、東京根岸の下町。
  明治時代の下町の、馥郁(ふくいく) とするような、
  ほのぼのとした人情を感じさせる話も、多数収められています。

   それにしても、暑いですね。暑いからと言って、ダランとして、
  こんな弛緩した気持ちでいては、いけませんね。アンを見習わなければ!!

   “・・・今日のような輝く夏の日には、
  アンは一番美しく見えた。
  彼女は、夏の日と共に輝くかと思われ、
  黄金色の大気の中をギリシャの壺から抜け出た、
  ほっそりとした人影のように動き回った。
  アンが入って来ると、又となく鬱陶しい部屋も輝き ――
  生き生きとなった。”
                  【「アンの幸福」 13.】