菅家 利和氏、佐藤博史氏の共著。
菅家氏は「足利事件」冤罪被害者。1991年栃木県足利市で幼女が殺害された事件で逮捕。公判で無実を訴えつづけるも、2000年に無期懲役が確定し収監。09年4月DNA再鑑定の結果、無罪が明らかになり逮捕後17年半ぶりに釈放された。
佐藤氏は弁護士、早稲田大学客員教授。二審より足利事件の弁護にあたり、菅家氏の無罪を主張しつづけてきた。現在も足利事件の真実を明らかにすべく、検察・裁判所と闘い続けている。
現在、検察官の不祥事と言ひますか、検察の横暴により起訴され無罪となつた事件や検察の証拠改竄等の事件が報道されてゐますが、本件は警察(含科警研)・検察・裁判所の一体となつた「犯罪」だと思ひます。(一審に関しては、担当した弁護士の怠慢といふか職を全うする気の無い対応に関し、これもある意味犯罪だと思ひます)
警察(含科警研)・検察・裁判所の一体となつた「犯罪」、と書きましたが、個人的には一番ひどいのは裁判所だと思ふ。
裁判所といふのは本来、検察と弁護士(含被告人)のどちらがほんたうのことを言つてゐるのかを見極めるべく、当人の「自白」とされてゐる記述が物的証拠、解剖所見と矛盾が無いのかを精査していく立場ではないのでせうか?
佐藤氏が本書で疑問を呈してゐるやうに(「第四章 弁護人、検察官、裁判官はなぜ無実を見抜けなかったのか」(P86-128))、この裁判はおかしい。素人のあたくしですら、順を追つて読んでゐて、「菅家さんの供述が、犯行の場所も違ひ、被害者の衣服の棄て方も現物とは違ふ棄て方を言ふ等、ことごとく矛盾してゐるなかなぜ誰も菅家さんは無罪では?と思はなかつたのか?」と思ひました。
犯人ですら、自分はやつてないと嘘を吐いて逃れるやうな事件において、犯人であると「自白」してゐる人が犯行場所や殺害方法などの嘘を吐くのは一体だういふことなのか、なぜ証拠と供述に矛盾があるのかを判定を下す肝心の立場の裁判所が全く考慮しなかつたことになります。
DNA鑑定が誤りだつた、といふのはかなりの衝撃を世に与えたことは間違ひない。それだけ、当時(今もさうだらうが)DNA鑑定は絶対である、といふ思ひにより裁判所はろくに証拠の供述の検討をしなかつたやうです。
しかも、佐藤氏らは菅家さんの「DNA再鑑定をしてほしい」といふ要望を叶へるべく手を尽くすのですが、裁判所より「再鑑定は不要」として却下されます。(「第五章 DNA再鑑定までの長い道のり」)
やうやく再鑑定と思つたら、裁判所の言ひ分がまた呆れるものであつた。(「第七章 裁判所は真実を闇に葬るつもりなのか」)
ここまで読むと、裁判所は役人つながりなのか(これまで検察関係の本で度々指摘されてゐることでもあるが)警察・検察の味方なのかと思はざるをへません。
謝罪は勿論ですが、謝つてもらつても・・・・といふくらい、年月が流れてゐます。しかも、佐藤氏らは12年前から当時のDNA鑑定に疑問を抱き、再鑑定を要求してゐたのです。つまらないプライドや配慮などをしてゐる暇があつたら、「真実は何か」に時間を割くべきだと思ひます。