ファルハド・ホスロハヴァル氏の著書。
ファルハド氏はイラン・テヘラン生まれ、テヘランの文化高等教育省科学政策センター
准教授、米国イェール大学、ハーバード大学客員研究員等を経て現在フランス国立社会科学
高等研究委員教授であり、イラン問題と仏蘭西におけるイスラム問題の権威であられます。
本書は、イスラムの殉教には二つの殉教があると説明するところから始まり、イスラムの説明、国家単位のイスラム共同体(イラン、パレスチナ、レバノン)、国境を越えた新たなイスラム共同体(アルカイダ)の章に分かれてをり、イスラムを知らない人が読んでもイスラムの殉教を理解するところから可能で、大変わかりやすくなつてをります。 (訳者の早良哲夫氏の貢献も大きいと思ひます)
読んでゐる途中から思つたのは・・・・・
イスラムに対する誤解が多いやうに思はれる、特にコーランといふイスラムの教へに対する誤解は多いであらう。
イスラムの教への解釈が多々あり、殉教を行なふ共同体は個々の解釈によつて殉教をしてゐるので複雑であり、一言で片付けられるものではない。
イスラム共同体が戦いの相手としてゐるのは、宗教的に言ふとキリスト教とユダヤ教であるが、パレスチナのガザ地区のやうに、イスラエルによる「不当」な弾圧や侵略が背景にあり、そのイスラエルを支援してゐるアメリカがある・・・といふ政治的な背景が問題の第一歩なのかといふ気がした。
国家単位のイスラム共同体に関しては、政治的・宗教的背景が大きく影響してゐると思ふのだが、国境を越えた新たなイスラム共同体(アルカイダ)の背景はまた違ふものである。著者は刑務所に服役中の人たちからのインタビューを経て、国境を越えた新たなイスラム共同体の背景を探りだしたと言へやう。
あたくしも驚いたが、国境を越えた新たなイスラム共同体の構成員たちは、欧米諸国に生まれたり移住していたり、欧米で学んだりして中流家庭の人が多く近代化した欧米の中に一見溶け込んでゐるやうに見える人たちなのである。これに関しては、P169以降に詳細が述べられてゐるが、読んでゐて共感したのは、「高慢ちきな欧米のやつら」(P173、インタビューに応じた一人の容疑者の表現)である。
別の表現で「白人のご都合主義」とも言はれるとも思ふ。
ここの部分は、読んでゐて大変共感したし(テロ行為への共感ではなく、欧米への感情の共感である)ああ、背景にはやはりかういふことがあるのだなとしみぢみ思つたのであつた。
なので、アルカイダの活動といふのは国家単位のイスラム共同体の目的とは異なるものであり、著者の解説・分析は大変その点をわかりやすく記述してゐる。
イスラムを全然知らなかつた自分にとつて、大変勉強になつた著書であつた。
また、読んでゐて日本人とイスラム共同体の人々の違ひを思つたが・・・・
イスラムの人々は「欧米のやうな近代化」により、人間が堕落してゐるといふ危惧をもつてゐる。
それは、イスラムの教へが男女の役割を分けてをり男女平等として性別による役割を分けてゐない欧米の生活はイスラムの教へに反するものであり、イスラムを堅持しやうといふ気持ちが大変強ひといふことである。
日本もイスラムと似たやうな感じがあると思ふ。「女性の社会進出」と言ふ言葉が使はれることが証明してゐる。昔は男性が働き、女性は家にゐるもので「共働き」などといふ言葉があり女性が働くのは珍しひことであつたらう。
しかし、今男性も「女性にも働いてほしい」と考える人が多くなり、育児休暇も取得し企業もそれを認可しないととんでもないことになりさうな方向にある。別にこれがいいとか悪いとかの話ではない。
日本人がイスラムの人と違ふのは、「欧米の生活習慣による近代化」で日本古来の生活習慣が変化してきたけれども、別にそれを危惧とは取らづ逆に欧米の女性の上司率・大臣率を引き合いに出して女性の社会進出はまだまだだ、と考へてゐるところであり殆どの人が日本古来の生活のやうに女性は家に戻るべきだ、とは考へてゐないことである。
仏教や神道に「男女の役割」をはつきり分けた教へがあるのかだうか知らないが、(少なくとも聞いたことはない)
日本人は、開国以前から外国の文化や習慣を上手く取り入れて「同化」させてきたやうだ。イスラムの人のやうに区別したり、自分たちの生活習慣に強く固執することはさうさう無ひと思はれる。
ここが大きな違ひなのかなあと思ふ・・・・・・
イスラムの人たちは「イスラム」と言ふものを非常に大事にしてゐる人たちなのだなあと思ふ。