五十嵐 貴久氏の作品。「交渉人 遠野麻衣子」シリイズ3弾。
警視庁の通信センタア(110番)に一本の電話が入る。
電話の主は喫茶店の店主。店主は現在来店してゐる客8人を武器で脅し誘拐・監禁してゐると告げる。
なんのためにそんなことをしてゐるのか?
人質救出のため、特殊犯操作係から交渉人として岡部、遠野、戸井田が派遣され犯人との交渉を開始する。
犯人の素性を調べていくと、3年前に6歳の娘を当時15歳だつた少年に殺されてゐたといふことがわかつた。犯人は少年法の下「処罰」よりも「更生」を目的に、そして精神鑑定の結果解離性同一性障害といふ病気に罹患してゐるとされ、医療刑務所で治療をうけて先日出所してゐた。
犯人である父親の目的は・・・・
警察関連の色々な小説を読むと、少年犯罪をテエマにした小説が多いことに気付く。警察関連の小説でなくてとも、被害者の親の心情や世間・マスゴミの動向をテエマとした作品が多い。
自分も、「少年法」の存在の意味がわからない。「更生」を目的とすることは理解できるが、あまりに保護されすぎではないか?この物語の中で、父親が言ふ台詞があるがまったく同感である。
「加害者は名前も顔も隠され、完全に保護されるのに被害者は名前も顔もさらされ、いつどこで生まれてどのやうに育つてきたか、等プライバシーのすべてが公表される」
全く同ぢ疑問を持つてゐた。作品の中で父親は「ほつておいてほしい」と吐露するが、マスゴミの被害者に関するプライバシーへの暴挙は異常である。個人的に、他人のプライバシーに興味が無いので、ワイドシヨウなどはほとんど観ないし観たとしても、プライバシーに触れだしたら観ない。なぜそんなに世の中に個人情報を開示するのか?
個人情報保護法をマスゴミはホザくが、犯罪被害者の個人情報は保護されてない。
この作品の父親と母親の行動は他人事ながら理解できるし、同ぢやうな思ひをした人はこの両親の行動と同ぢことをしたいと思ひつつ、耐えてゐるのかもしれない。
少年法は必要なのか?