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メディア・コントロール

2010年06月08日 22時38分05秒 | 社会・報道・警察・教育
 
ノーム・チョムスキー氏の著書。巻末には辺見 庸氏によるチョムスキー氏との
インタビュー「根源的な反戦・平和を語る」が収録されてゐます。
 
ノーム・チョムスキー氏はアメリカ・ペンシルヴェニア州生まれ。
マサチューセッツ工科大学教授。生成文法理論で言語学に革命を起こして一時代を
築く一方、ヴェトナム戦争以来アメリカの対外政策を厳しく批判しつづけてきた方であります。
 
本書は現代政治におけるメディアの役割を論じ、「火星から来たジャーナリスト」を題材に
「公平なジャーナリズムとは何か」を論じてをり、舞台はアメリカメディアを中心としてゐると思はれるが十分日本のメディア(マスゴミ)にも通じるものである。
 
すごく、勉強になつた・・・・・・ 世界のウラと言ふか、アメリカとアメリカを取り巻く世界のウラ
(勿論、同盟国として協力してきた日本も含まれる)を知つた。
早速、図書館でこの人の他の邦訳されてゐる著作の蔵書を調べ、「9・11 アメリカに報復する資格はない!」を予約した。
 
で、何が勉強になつたかと言ふと・・・・・・ 
まづ、「組織的宣伝の初期の歴史」としてP13より1916年(第一次世界大戦最中)の米国大統領、ウィルソン政権の「戦争賛成論」へと大衆を導く術の紹介から、メディアがいかに政治利用されてきたかが論じられる。
 
そこには、大衆を「戦争賛成」ともつて行くために相手国の兵士が行なつてもゐない「残虐行為」をでつちあげ、同情を呼び起こし、「悪をこらしめやう!」の心理に誘導するやうすが書かれてゐる。
このやうな「でつちあげ」による誘導は世界各国で行なはれてゐるのであらう。
そして、直近でのサダム・フセインが悪とされた湾岸戦争へと論じられる。
 
「火星から来たジャーナリスト 『対テロ戦争』はどのやうに報じられるべきか」(P75-112)は、
「知つてゐるのに報道しないメディアの姿」が記述される。
日本では、アメリカのメディアは自国政府に対してもすべき批判は行なひ、「権力への監視」の
姿勢がなされてゐると考えられてゐる。(さうした記述も度々目にする)
しかし、チョムスキー氏は「アメリカのメディアは知つてゐても報道しない」と論じてゐる。
 
ここは、驚きました。 確かに、チョムスキー氏の指摘どおり「報道されてゐない」事がある。
また、「テロ」といふ言葉が示すものの定義についても述べてゐる。アメリカのメディアが「テロリスト」と言ふとき、それは常にアメリカを攻撃する国のことであつて、アメリカが攻撃し破壊・殺害し、自分たちが「テロリスト」の立場になつたことは忘却してゐるといふことである。
 
この指摘はなるほどと思ふと同時に、「自分たちの加害をテロと報道する国は多分に見られないであらう」と思つた。つまり、アメリカのメディアだけを批判できない。自分たちも同様であらう。
特に、日本は「平和憲法」と主張して人的支援はしないけれども資金による支援はしてゐた。
それは回りまわつて、相手国を攻撃すると言ふ、「テロ行為」に繋がつてゐたことを認識すべきであらう。
こふ思つた時に、「平和憲法は嘘だつた!」とある種の衝撃を受けた。
 
チョムスキー氏は、辺見氏とのインタビューの中でアメリカにつき「この国はおそらく、世界一自由な国です。言論への抑圧などいかなる意味でもない」と発言されてゐます。
これはだういふ意味か。
あたくし個人の視点では、「言論の統制がないのに報道しないメディア」の姿勢がそれだけ問題なのだと示唆しているのだと思ひます。
これは、日本のマスゴミも同様です。
記者会見の閉鎖的対応があるのは、日米の違ひであらうが、報道することに対する規制は明文化されてゐないはづであり、さう考えると記者クラブによる日本のマスゴミの弊害は大きなものと考えざるを得ません。
 


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