対抗言論の法理とはある者からの言論が自分の社会的評価を低下させ得る場合、反論が可能であれば、まずそれによって自らの評価低下を回復すべきであるという考えである。表現の自由を保障するため、名誉毀損表現がなされた場合、刑罰法規や民事上の不法行為責任の追及によって名誉回復するのではなく、反論によって名誉回復すべきということである。
ニフティサーブ本と雑誌フォーラム事件では東京地裁がこの法理を採用し、反論によって自己の社会的評価の低下を防げているとして、侮辱的発言の違法性を阻却した。憲法学者の高橋和之氏によると、「ネットワーク上での言論が名誉毀損にあたるか否かは、表現の自由の保障と調和するように、法解釈すべきである。そして、表現による害悪に対しては、「対抗言論」、すなわち、互いに言論を交わすことができる平等な立場であることを前提に、直ちに自ら反論することによって処理するのが原則である。
名誉毀損が成立するのは、具体的事案において対抗言論が機能しない場合、例えば、名誉を毀損された者が名誉毀損者と平等の立場での表現ができない場合や、プライバシー侵害などに限られる。いいかえれば、自らすすんでネット社会において発言をするパソコン通信においては、意見が異なるものからの批判を受けうることを覚悟しておくべきであり、それが辛辣な言葉になったり、時には人格批判に至る場合でも、それが論争内容と関係がある限りにおいては不当とはいえない。
このような批判を受けた場合でも、相手に反論する、またはその論争の「聴衆」の評価によって、自己の名誉回復を図るべきであり、名誉毀損とみるべきではない。[1][2]」
つまり、相手方が対等な立場で意見表明でき、反論の効果がある場合は、名誉毀損表現は違法とならない。逆に、私人とマスメディアのように対等な立場でないケースや表現内容がプライバシー侵害等反論の意味がないケースは違法となる。
ネットワーク上の通常の言論は私人対私人であり、誰でも対等に意見を表明できるから、ネット上での名誉毀損表現については、反論の意味がある場合原則反論によって名誉回復を図るべきであり、刑罰法規や民事上の不法行為責任の追及によるべきではないということになる。例えば、「Aさんは仕事で失敗をした。」「Bさんは、いつも剣道の試合に負けている。だから、Bさんは剣道の能力が乏しい。」といった表現は、反論によって対処すべきである。
ただ、名誉毀損表現がいつなされたのか表現の相手方が知らないケースもある。そのケースで反論の機会がきちんと保障されているかと言われると疑問だ。ネット上の表現については、相手方が知らない間に表現がなされることも多い。表現の相手方の反論の機会をどうやって確保するかは難しい。
しかし、反論の機会を与えることをきちんと通知されているにも関わらず、相手方がそれを無視して反論しないため社会的評価が低下したとしても、それは相手方の自己責任といえる。反論権を自ら放棄したといえるからだ。発言者にしてみれば、相手に反論の機会を与えることで法的責任の免責を実現しようとしているにも関わらず、相手が一方的に反論を拒んだために免責されないのは不条理だ。
ネットワーク上での表現を含めて一般の表現は発言者が相手方の反論の機会を保障することも必要だろう。それと同時に、相手方も機会が与えられたならば、表現内容をきちんと理解し、社会的評価が低下しうるなら反論すべきである。発言者の表現を無視し反論しないのは相手方の自由だが、その場合社会的評価の低下が起きたとしても自己責任として不利益を受け入れ、発言者の責任追及をすべきではない。
参考
[1] 対抗言論 Wikipedia 2010.10.5
[2] 高橋和之の記述:ジュリスト1997.10.1(1120号)p80