世界変動展望

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科学への予算や人材投資の視点

2008-10-10 21:35:21 | 社会
 ノーベル賞受賞者出現を機に、基礎研究を充実させるためにきちんと予算を立てたり、研究環境を整備する必要性が訴えられている。また、ノーベル賞受賞者のような優秀な人材をできるだけ輩出するために、若手研究者の育成の必要性も訴えられている。日本ではポスドクが大量に存在し、ポストにつけず人材が消失するのがもったいないというのだ。

 今回のノーベル賞受賞を機に、ポスドクなど若手研究者がきちんと基礎研究を続けられる環境整備や制度を作るべきという主張は、注意深く考える必要がある。例えば、ノーベル賞受賞者がメディアを通して訴えている「基礎研究がなければ応用研究も進展できない」「できるかどうかわからないのが、基礎研究で、研究費とはそのような性質のもの」「日本は製品開発のような応用研究ばかりで基礎研究には研究費を出さない」といった場合の「基礎研究」は世間に誤解を与える危険がある。

 ノーベル賞を受賞するような基礎研究は多くの場合、人類の知識を増強させる純粋科学の研究成果である。具体的には単純な物理法則の発見とか純粋学問の研究を発展させる革新的な実験手法の開発などだ。言い換えれば、ノーベル賞を受賞する多くの研究は大学の理学部でやっている研究であって、応用研究の基礎ではない。

 よく工学の基礎は理学と誤解している人がいるが、工学には工学の基礎があり、理学が工学の基礎ではない。純粋科学の研究成果の多くは応用科学に活かせない。今回ノーベル物理学賞を受賞した「自発的対称性破れ」「小林・益川理論」はその典型的な例である。

 応用科学の基礎と純粋科学とは異なるのだ。基礎研究といった場合、主にこの2種類の意味があると思う。ノーベル賞をとるような基礎研究は多くの場合、純粋科学の研究のことであり、これに研究費を多く投じても応用研究には活かせないことがほとんどだ。それは例えば、今メディアで騒がれている「小林・益川理論」が応用科学に全く活かせないのを考えれば理解できるだろう。クォークが6種類あるとか素粒子の世代が3世代あることを説明できるのは世界でも「小林・益川理論」だけだ。なるほど、物理学の世界では顕著な業績だが、それをどう応用するのか。むしろ、応用には全く役に立たないといっても過言ではない。

 応用的な基礎研究とは実用的な研究の基礎となり得る現実性を持つものだ。例えば光通信でいうと、革新的な光源や受光素子、伝送路などのデバイス研究である。光通信の伝送速度等の性能はレーザー、光ファイバー、カップラーといった基礎的なデバイスの性能で限界付けられているといってよい。企業で行う実用研究はこれらの範囲内でできる限り性能がよく低コストな製品を作り出すことといってよく、既存の性能を打ち破って革新的に良い性能を生み出すことは、ほとんど期待できない。革新的な性能を生み出す研究は、現実的な実用研究ではなく、「応用的基礎研究」である。その意味で「応用的基礎研究」は非常に重要であり、その意味で「基礎研究がなければ応用研究も進展できない」のである。純粋科学の成果がなくても、ほどんどの場合応用研究を進展できるのである。

 メディアやノーベル賞受賞者はノーベル賞を受賞するような基礎研究を更に進展させるような予算投資や人材を活かせる研究環境整備をすべきというが、先にも述べたようにノーベル賞を受賞する多くの研究は純粋科学であり、予算投資や人材を研究環境整備をしても、国の栄誉や科学技術力の宣伝効果にはなっても、将来の日本が国際社会で勝ち残っていく武器を生み出す効果は乏しい。

 研究費増加やポスドクなどの人材活用の制度を考える場合、一番考えるべきなのは日本が国際競争で勝ち残れる有用な成果を生み出す分野を選択することだ。日本は資源が乏しく、技術で勝負せざるを得ない国だ。将来的にも日本が国際的な地位を高め、国民を幸福に導くために必要な分野に予算や人材を投資すべきである。

 純粋科学の研究は重要だが、将来的な日本の状況を考えると応用的基礎研究や実用研究よりも優先順位が低いと考える。昔の純粋科学はキャベンディッシュのような貴族の道楽として研究していたような部分がある。現代ではそんなことはないが、純粋科学は本質的に国や企業に経済的な余裕がなければ研究できない分野なのである。

 どんな研究も経済性なしには成立しない。純粋科学を成立させるためにも、日本の経済的地位を高める研究の方に重点を置くのは自然な考え方であると思う。研究費増加やポスドクなどの人材活用制度を考える上で、「何が日本の国益に適うか。」「何が将来の日本や国民にとって大切か。」という視点で考えることが重要である。