「親からの遺伝子の組み合わせはまったくの偶然である。もう一つの偶然はあなたが生まれ落ちた時代と場所だ。ある特定の遺伝子の組み合わせを持った人が、どんな経済状況や価値観の親のもとに生まれるかはまったくの運である。人生はまさに運任せのランダムな初期布置から始まる。
とすると遺伝的に運の悪い人は、意識的に運をよくすることなどできない現実のもとで、それでも悔いなく生き切ることはできるのか。
こののっぴきならない問いにうかつに答えることなどできないが、思うことはある。
まずあなたより運のよかった人が作り出したものに、自尊心を持って甘えること。
運に恵まれようがそうでなかろうが、もともと偶然が始まりなのだから、偉くもなければ恥じる必要もない。
また、人が今まで生き延びることができた(本当に不運ならそれもかなわない)中にあったはずの幸運に気づき、その恩恵をあなたより運の悪かったほかの人に分け与えること。
そうすれば、仮に[遺伝的に運が悪い]としても、逆にその運の悪さこそが社会をよくするためのきっかけとなり、それがめぐりめぐって、その人の生きがいと幸福感につながるはずだ。」引用元PHP2024年6月号
私も社会に出て正社員でいくら頑張っても、標榜される「機会の公正」の欺瞞性=主に遺伝子に恵まれるかそうでないかの、ある意味の能力主義の前段階の影響に散々泣かされてきました。またその後に派遣会社などに貢献や迷惑や社会に負担をかけてきた中で、自分は遺伝子や運にかなり恵まれない方と思います。
しかし上記の安藤寿康先生のいうあり方なら、自己責任の名のもとに格差や分断や孤独が進む現代社会の中で、運(遺伝子など)に恵まれた人達もそれらに恵まれない人達も、関係を再構築できうる格差社会の是正につながる重要な一つのあり方になるかと思います。ちなみに私はこちらの学びで最近の身近な私以上に恵まれない切迫した人の不義も、なにか許せる気持ちになれました。