長期雇用を前提として採用し、教育し、戦力化した従業員に突然退職されてしまうと、会社にとっては大きな痛手だ。まして、その人材が在職していることを見越して経営計画を建てているようなケースでは、採用・教育に掛けたコスト以上の(場合によっては桁違いの)損失が発生することもあるだろう。
そうした場合に、退職した従業員に損害賠償を求めることは可能なのだろうか。
まず、憲法第32条に「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」とあるとおり、会社が従業員(または元従業員)を相手取って民事訴訟を提起すること自体は違法ではない。
しかし、従業員側に故意や重過失(軽過失はそもそも損害賠償請求の根拠にならない)が存在することを立証できないのに損害賠償請求訴訟を起こすのは、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く「濫訴」とされる。
神奈川県のIT企業が突然退職した従業員に対して1270万円の損害賠償を求める訴訟を提起したところ、それを裁判所に否認されたばかりか、「違法訴訟により元従業員に精神的損害を与えた」として会社に対して損害賠償を命じる、いわゆる「返り討ち判決」(横浜地判H29.3.30;会社側が控訴し係争中)が出されたのも記憶に新しいところだ。
もちろん、従業員の故意や重過失によって会社が損害を被ったことを、因果関係も含めて立証できるなら、損害賠償を求め、さらに民事訴訟を提起することを検討しても良いだろう。
ただし、故意であった場合はさておき、重過失による損害を裁判所が認めた場合においてさえ、その全額を賠償させることはまず認められない(最一判S51.7.8、名古屋地判S62.7.27等)ことは承知しておくべきと言える。
結論として、「従業員の退職」という行為そのものに故意や重過失の概念を持ち込むのは、やはり“無理筋”であろう。
また、社会的・経済的に立場が強い者(この場合は会社)が原告となり立場が弱い者(この場合は従業員)を被告として訴訟を提起するのは、スラップ訴訟(「Strategic Lawsuit Against Public Participation」の略、「恫喝訴訟」・「威圧訴訟」とも呼ばれる)との誹りを免れえず、会社の評判を自ら落とすことにもなりかねない。
期待を懸けていた従業員に退職されてしまうのは、確かに会社にとっては損失かも知れない。しかし、それを安易に退職した元従業員に賠償請求してしまうのは“恥の上塗り”でしかない。従業員を退職させてしまった会社の問題点を検証し、反省するべきではなかろうか。
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