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早稲田大学の現実。

ふつう教師が講義を始める態勢に入ったら私語は止るものだが、それができない学生がいる。

情けないが、注意をする。

 

教師の中には授業中の私語を注意しない者がいると聞く。

どういう理念に基づくものなのだろう。学生は子どもではないと考えるから注意をしないのだろうか。

しかし、授業が始まっても私語を止めない学生を私は大人とみなすことはできない。

 

行儀の悪い子どもに注意を与えるのは大人の役目である。大人の役目を果たさない大人は大人ではない。

大人ではない教師が子どもを相手に授業をするところを大学とは呼ばないだろう。

 

以上は、早稲田大学教授(家族社会学)のブログ<フィールドワーク>からの引用である。

 

他の方の文章を引用する時には、出典を明示するのが決まりである。早稲田教授の2日前のブログ記事の導入部分をそのまま引用させてもらった。

 

早稲田のような偏差値の高い大学でも、似たり寄ったりだなあという感想を持った。

<KYな学生>は、偏差値の高さに関係なく、どこにでもいるものだ。

 

先日、不思議な時間に研究室を訪ねてくる学生がいた。

今日はもう授業がないの?と聞くと、

いや、今授業中です、と。

授業中、外に出てきて大丈夫かと聞くと、

皆出たり入ったりしているので、大丈夫です、と。

 

不思議な授業があるものだ。

出入り自由授業?

ブッタマゲール!

 

私の授業では、出入り自由ではないので、皆さん、座って受講しておられる。

それが普通でアール。

 

今我が学部では、カリキュラム改革に向けて熱心な検討が行われている。

特に1年次の導入教育、演習なるものををどうするか議論しているが、

 

そうしたカリキュラムの改善だけでなく、授業担当者である我々の意識改革も、あわせて俎上に載せなければいけない。

 

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                           昨日のアルコール

               生中  5杯

               野菜酒 1杯

           今朝の血圧・脈拍

               測定し忘れ。。。 

     

 

 

 

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