「金木犀」の花時が、駆け足で過ぎ去っていった。
毎年のことながら長月から神無月の頃になると、何処からともなく高貴な香りが漂ってきて、「あ、金木犀だ」 と心の中で呟きつつ、辺りを見回すのは楽しみの一つだ。
金木犀はごく平凡な庭木で、花も葉陰に隠れて咲く小花ゆえ、華やかさもなく目立たない存在だ。住宅地などを歩いていても、馥郁と薫り立つ「高貴な香」に、金木犀の存在を初めて気付かされるのが何時ものことだ。
小花が咲き始めて暫くすると、木の下には金粉を撒き散らしたかのように小花が散り敷いて、何とも言えぬ景色を醸しだしてくれる。毎朝の庭掃除では、散り敷いた小花を掃かずにそのまま留めて、金木犀独特の風情を堪能する虚庵居士だ。
そんな夢見心地の日が続くと、何時の間にか高貴な香が失せても、それに気づかず、小枝には萎れた小花の名残だけになっていた。素晴らしい環境が続くと、愚かな虚庵居士は何時しかそれが当たり前になって、感性も忽ち鈍くなっていた様だ。
気が付いたら、金木犀の花時は駆け足で過ぎ去った後だった。
散歩すれば佳き香に知るかな木犀の
花を探しぬこうべをめぐらし
帰り来れば庵の庭の木犀も
仄かな香りで咲に初めにし
明けぬれば主を待つらし木犀の
香り溢れぬ狭き庭にも
金粉の撒き絵に紛ふは木犀の
小花散り敷く今朝の道路は
散り敷ける金木犀を掃かずおけば
せかずに行きませ道行く人びと
今年もその金木犀に会ってきました
来年も会いに行くつもりです
「大きな大きな金木犀の木」とは、
どんな木なんだろうかと、想像をめぐらせました。
金木犀は、元来それ程大きく成長しない庭木ですが、
永い年月を経て、大きな木になったのでしょうか。
再会した際の心の対話も、
素敵なものだったに違いありません。