風蝶草は夕暮れに見たいものだ。
花の美しさは、花それぞれの最も美しい「時」に見てこそ、真価があるのではなかろうか。
一般的には、朝陽の上がるころの花の美しさは、何ものにも例え難いが、花によってはそれぞれの流儀があるようだ。例えば「月下美人」は日がとっぷりと暮れて、暗黒の中にこそ己の美しさを表現できる「時」があると、心得ているらしい。このクレオメも、夕暮れ近くに莟が開いて、彼女の初々しい風情は、夕暮れの中に仄かに浮かび上がる瞬間の逢瀬でなければ、感じ取れまい。次の朝には、彼女の最も気配りする「薄くれない」の色合いは、殆ど消え失せつつあるのだから。
原子力工学を学ぶ学生諸君を励まそう、彼らに夢を与えようとの思いから始めたボランティア活動を、国の「原子力立国計画」に沿って全国展開するために、ここ数週間は、我が国の政策決定に携わって居られる人々に、我々の思いを伝える面談に費やしてきた。
彼らとの対話を通じて痛切に感じたことは、「タイムリーな対話」の大切さだ。
国の政策は大きな転換点を迎えているが、彼らが求めているタイミングでの対話でなければ、我々の思いは空転する。花時の大切さを、花々に教えられた日々であった。
訪れた事務次官室に「専心」の
二文字の書額は 無言なれども
花時を弁えおるや世の人の
聞く耳ありなし「時」を違えな
おぼろげに浮かぶ夕暮れ花囲む
か細き蕊にしずく光ぬ
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