「虚庵居士のお遊び」

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エネルギー政策論における「国家」と「安全保障」

2012-09-07 22:37:51 | 和歌
 

 皆 様

 国会は極めて大切な政策決定を擲って、会期末を迎えました。いまや与野党を挙げて近視眼的な政局に明け暮れ、ポピュリズム政治は「国家」の長期展望すら眼中にありません。政府は自ら仕組んだ「3つの選択肢」による国民的議論ですが、国民の反応が余りにも原子力ゼロに傾き、「原子力依存の低減」を当初の基本方針に掲げながら、ここに至って足元が定まらないのは、不幸中の幸いかもしれません。 

 こんな社会環境の中ですが、学生とシニアの「往復書簡」が真摯に積み重ねられております。この試みは2009年いらい今年で4年目になりますが、大分遅れて私見を書き送りましたので、皆様にもご披露します。もとより、国民の皆様にすり寄る姿勢ではなく、日本は如何に判断すべきかを学生にストレートに訴えたものです。
青いねと、ご笑覧下さい。


 往復書簡については、「学生とシニアの往復書簡 2011」とのタイトルで概要をご紹介した。また一般市民の皆様にも、是非お読みいただきたいとの声に応えて新書版を出版し、エネルギー新書「福島事故と原子力の明日」を上梓しましたとのタイトルで、このブログでも概要をご紹介したので、併せてお目通し頂きたい。


私見: エネルギー政策論における「国家」と「安全保障」

 エネルギー政策に於ける電源構成で、重視すべきポイントとしては、3E即ち、供給安定性(Energy Security)、環境性(Environment)、経済性(Economy)を掲げ、ドイツでは倫理判断を更に加えていることは、識者の皆さんのご指摘の通りです。政府が提示して、国民的議論を重ねた「3つの選択肢」とも密接に関連しますが、エネルギー政策を論じるうえでは、「国家」の概念が極めて大切です。政府の基本問題検討委員会における議論でも、閣僚のエネルギー・環境会議でもこの視点が希薄なのが気に掛かります。政府の判断に、筋金が一本欠けてる所以でしょうか。

● エネルギー政策は「国家」の政策だから、「国情」を踏まえるのが大前提だ。
狭い島国の日本は国土の2/3が山岳、海洋条件は遠浅海岸が殆ど無く、風況条件の劣悪さなど、自然エネルギー利用には国土の地理条件の吟味が欠かせない。化石資源は極めて乏しく、エネルギーの自給率はたった4%だ。他国とのガス・送電網などでの供給は至難で、石油は中東依存に極めて偏っている。例えば、ホルムズ海峡の封鎖が発生すれば、日本は万事窮すだ。米・中・露・欧などとの国情比較が不十分なエネルギー政策論は、空論になりかねない。

例えばドイツの国情は、潤沢な石炭埋蔵、欧のガス・送電網など、原子力依存なしでもやり繰りが可能だ。その様なドイツが脱原子力政策のために、倫理判断を持ち出したのは、大変乱暴な見方だが、ドイツ国情の一つと捉え、ドイツ流と断じたい。
ドイツ国内では脱原子力を選択し、電源不足になればフランスの原子力電源を輸入するご都合主義だ。日本人が「倫理判断」の理解に苦しむのは当然だ。

● 如何に「国家」を護るかが、エネルギー政策の原点だ。国民を守り、国家を護るのが「安全保障」の原点だ。日本の政治には残念ながらこの概念が乏しく、従って国民にもそれを求めて来なかった。世界からエネルギー資源を絶たれて、やむにやまれず大東亜戦争に踏み切ったが、第二次世界大戦の連合国に敗れた。が、一億国民の総ガンバリで奇跡の発展を遂げ、エネルギー資源を金で調達できたので、「国家」と「安全保障」との視点が放置されて来た。

● 大飯3・4号機を除く全原発が停止したままだ。火力発電の燃料調達で日本の国際収支は赤字化の一途だ。国際収支の赤字化とは、まさに「国家」の「安全保障」と逆行する。

● 『愚かな日本は、脱原発で「国家」の「安全保障」を蔑ろにして、二等国・三等国に向うのか?』 と海外から揶揄されつつ、それでも、日本国民と政府は「原発ゼロ」に向かうのか?
愚かな日本の凋落を、世界各国は冷ややかに待っている。彼らは、日本の産業と経済力に取って代わる機会を、虎視眈々と狙っているのだ。

● 国民は福島事故を、放出された放射能を、原爆・チェルノブイリと共に怖れ慄き、忌諱するが、原子力関係者も政府も国民の安全を守り、国民の安心と信頼を回復するための努力が足りない。原子力関係者と政府は福島事故を教訓として、「国民の安全を守る決意表明」が強く求められていることを、肝に銘じたい。

● 国民に「安全保障」の視点が乏しいのは残念だが、世界で唯一の原爆被災国が、なぜ原子力基本法を制定し、原子力の平和利用に踏み切ったかを、「国家」の「安全保障」の観点から、今こそ政府は国民に改めて説明すべきだ。

● 再生可能エネルギーの活用は大いに結構だ。が、日本の国土条件・実用化への長期戦略・発電コストと国民負担・お天気任せの不安定性の克服など等を勘案すれば、「3つの選択肢」に盛り込まれた数字は、夢と希望を描いたものだと断ぜざるを得ない。

● 「エネルギーの安全保障」とは、夢と希望を絵にかくのではなく、最も現実的で確実なエネルギー選択により、明日からのエネルギー供給の安定性を保証することだ。
将来、夢と希望が徐々に実現したら、その時点で戦略を転換するのが「安全保障」の本来の在り方だ。







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