「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「名残の印度浜木綿」

2011-08-07 13:15:24 | 和歌

 梅雨の頃から咲き続けてきた「印度浜木綿」が、名残を惜しむかの様に咲いている。

 「うつろ庵」の表通りのフラワーベルトは、 つつじの大紫が占めているが、西端の三尺程は印度浜木綿の美女たちの楽園だ。 

 幅の広い葉をゆったりと寛いで延べる姿は、どこか平安朝のお局の風情を思わせる。 くせのない緑の垂帯は、六・七センチほどの幅で長いものは一尋ほどもあろうか。、

 梅雨の真っただ中から梅雨明け頃は、逞しい1メートル程の花茎が10本ほども林立する。頂には七・八個の純白の花を咲かせるから、此処だけが一気に華やぐことになる。 
殊に純白の花びらに雫を湛え、風に揺れて花と花がぶつかり合う様は、圧巻だ。色白の乙女らが笑みと涙を湛えて顔を寄せ、互いに肩を抱きあう姿は、人間世界ではどのような情景に譬えたらいいだろか。

 風情からしてスポーツではなさそうだ。大勢の乙女らが笑みつつ涙を湛えて肩を抱きあうのは、合唱コンクールでの優勝かもしれない。乙女らが精魂こめて、お仲間と共に努力した結果が報われた一瞬かもしれない。そんな勝手な想像をしながら萎れた花を摘んでいると、彼女らの感激が虚庵じじの胸にも伝わってくる様だ。

 「名残の印度浜木綿」は、お仲間からはひと月以上も遅れて花茎を伸ばしたが、どこか頼りなげで背丈も半分ほどだ。見れば長い垂帯の重みで撓んでいるではないか。緑の垂帯をかき分けて、少しでも花の位置が高くなるように手を貸してやった。

 人間世界でも、チョットした支援があれば逞しく社会に出て活躍する人々もいる。
数日前に、国立県営の障害者職能訓練校からの依頼を受けて、放射線に関する講演をしたが、彼らは様々なハンデキャップを乗り越えて、社会のために役立ちたいと訓練を重ねているのだ。車いすで講堂に参集した人びと、何の障害も無さそうに見えても、講演のスライドと手話通訳士の手元を食い入るように見いる人々など、様々であった。彼らも、チョットした支援が得られれば、素晴らしい人生が拓けるのだ。

 




          梅雨過ぎて葉月となれるに未だなお

          名残の印度浜木綿咲くなり


          頼りなき名残の花かとふと見れば

          折敷く長葉の花茎に凭れて


          垂帯の長々しきをかき分けて

          名残の花と声を交わしぬ


          一筋のおくれ毛ならむか白妙の

          花にまつわり風情をそえるは


          においさくいんどはまゆうみどりはの  

          おりしくたれおびにしろたえうきいで







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