「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「陸奥の初秋」

2011-10-14 00:24:44 | 和歌

 羽田を早朝に発って三沢空港へ飛び、車で六ヶ所村に到着したのは10時を過ぎていた。丁度ひと月ほど前のことだが、大学を卒業して社会人になったばかりの若者達と、熱のこもった対話会が楽しみで出張した。対話会のキックオフは、昼食の弁当を若者と一緒に食べるのが最初のスケジュールで、誠に粋な計らいであった。半世紀ほどの年齢差があれば、若者とシニアは中々打ち解け難いが、弁当を食べながらの顔合わせでは、「あっと言う間に」打ち解けた。

 若者の悩みや提起する問題に、経験豊富なシニアが体験事例など紹介しつつ、双方向の意見交換による研修を目指したものであった。期待するレベルに到達できるよう、様々な配慮が整えられていて、研修担当の皆さんの入念な事前準備は、誠に見事であった。教育や人材の育成は、専門の程度が高ければ高いほど困難を極め、多様なカリキュラムが求められるが、出来れば企業の枠を超えた情報交換や、相互のテクニカル・トランスファーが求められるところだ。

 コンピューター・ソフトの開発では、産官学の枠を最初から設定せずに、専門家もアマチュアも自由にアクセス出来る環境を設定して、極めてオープンにソフト開発を進め、自由な利用を促すことでより高度で、拡張性に優れたコンピュータソフトも環境が確立しつつある。今後のより優れた文明の確立には、そのような開かれた発想が欠かせない。若者との刺激的な交流を終日重ね、懇親会では思わずアルコールのピッチも上がり、眠りに就いたのは午前様であった。
 




 陸奥の初秋の気配を肌で感じたくて、三沢に降り立ったが、前日はその時間もとれぬ過密なスケジュールであった。一夜明けて宿の湖畔の散歩は、短時間ではあったが別の世界を堪能させてくれた。まだ紅葉は始まっていなかったが、冷涼な早朝の気温が身を引き締め、湖面も向こうの小高い森も仄かに秋への備えが感じられた。

 湖畔では、足音を聞きつけた鯉が、朝の撒き餌を期待したのであろう、虚庵居士の足元近くに沢山寄り集まってきた。此処にはまた、異次元の世界が展開されていて、ともすれば近視眼的になりがちな虚庵居士には、暗示的ですらあった。





 湖畔を散歩したら、強い風で折れ曲がったのであろう、月見草が種を宿し、細い葉をほんのりと紅葉させていた。己の行き着く先を垣間見る様な情景で、水面に浮かぶ木の葉との静かな対比が印象的であった。





 

          昼飯の弁当食べつつ若者と

          言葉を交わせば歳の差消え失せ


          ほとばしる爺らの言葉を受け止めて

          悩みをブツケル彼等 若者


          膝交え互いの思いをぶつけあえば

          懇親会では肩を寄せ合い


          激しくも言葉をブツケタ乙女らが

          グラス片手に寄り添いて来るかな


          みちのくの初秋をこの身で受けなむと

          湖畔の散歩に寛ぐ今朝かな


          足音を聞きつけ集まる湖の

          鯉の社会を垣間見るかも


          人の世と異なる次元の世界なれど

          鯉の世界に人の世見るかも


          折れ曲がり種を蓄え未だなお

          命ながらふ月見草かな


          翻りわが身を思えば月見草に

          己の姿をいつしか重ねぬ


          漂える水面の落ち葉に草ぐさに

          もの思ふかも陸奥の湖畔に