学童の問題で、日曜日に街頭署名活動。
一言で、興味をひき、立ち止まってもらい、署名してもらわねばならない。これが難しい。学童保育って、保育園にくらべてずっと世間的に認知されていないし、そもそも保育園だって、幼稚園と区別がついていない人の方が多かったりするわけだ。だから、無視されることも多い。それどころか、宗教団体の資金集めのための「街頭署名アンド募金」なんぞとそれほどかわらないような視線を受ける。
別にそういうのは気にせずに仕事するわけだが、やはり、無視され続けるとどこか心に摩耗する部分があり、なんとなく緩衝材がほしくなる。
それが、「観察」なんだな。
自分と人がどんなふうに交わりを持てるのか、ある種の実験と観察。
人に伝わりやすい、話しかけのモードを研究しつつ、受容と拒否の諸相を考察。
まず、張り付いた笑顔。
そういうのを自分が身にまとうのを自覚。よくあるでしょ? 特に宗教団体に顕著だけど、街角で、人々の拒絶の視線を浴びつつもそれにある種のカタルシスを得て、布教活動をしてるみたいな人たち。そういう人たちの顔に張り付く笑顔って独特だ。
たぶん、「世界に拒絶されているのだけれど、自分にはある種の義がある」という確信を持っている時に、その笑顔が生まれるのだと思う。「拒絶されること」と「確信」って、それぞれかなり極端な心理的状況でもあって、それを心の中で共存させている不思議。
で、学童の署名も、かるーく、そういうことなのだ。
よって、ぼくも、ぼくらも、軽く、そういう笑顔をして立っている。
その上で、どんな人たちがどんなふうにぼく(ら)を、受け入れたり、拒絶したりするかなのだけれど……。
一番、許容率が高いのが、高齢の女性。
特にモダンなかんじのお婆ちゃんがいい。紫や青に髪を染めていようものなら、百発百中ってくらいに話をきいて、署名してくれた。なんなんだろ。人生経験がたくさんある分、耳を傾ける度量があるのか。その一方で、高齢の男性は率が悪いから、これは謎。
次にいいかんじなのは、学生さん。社会経験の少なさゆえ、社会活動への直接参加ともいえる「署名」が物珍しいのかな。中学生、高校生あたりのグループがまとめて立ち止まってくれることが多かった。ひょっとすると、まだ自分が「学童」だった頃の記憶が鮮明なのかも。
さらに数は少ないけど、「外国人男性とカップルで歩いている女性」はこれは百パーセント。三人声をかけて、三人とも熱心に聞いてれくた。これは、ひょっするとそうだろう、という気がしていて、臆さずに声をかけたのだけれど、成功でしたね。
その一方で、難しいのは、二十代だなあ。
特に、若いカップるは、未婚はともかく、結婚しているように見えるカップルすら、関心なしの例が多い。本当にまったくなし。
驚いたのは新生児のお母さんとかもダメなことが多いこと。
人間って、五年先以降の想像力って、あまり働かないのかなあ、と思った。
また、ちゃら系の若い男性も、予想通りダメなんだけど、実はごく一部に例外があって楽しい。ビラをきちんと読んで、質問までして、理解した上で署名してくれた人が何人かいたのだけれと、それが全部、シルバーアクセじゃらじゃらの二十代三十代男性だったのね。
さらに……拒絶の仕方いろいろ。
完全無視。というのは、三十代より下の女性に多いかな。
もちろん、勝手に話しかけられているのを勝手に無視するのはまったく自由なわけで、完全無視作戦には、なんら悪いところはありません。
でも、こっち側としては引き際をどの辺もってくるのかが難しく、困るパターンですね。話しかけて途中で、完全無視に気付いて、ごにょごにょとこっちも語尾を濁すみたいなかんじになると、こっちもちょい心持ちの軟着陸を要するのです。
さらに、基本的には無視なんだけど、手で空間を切る動作をする中高年男性も多かった。あの「切る」動作にはなんの意味があるんだろう。あなたと私の間には断絶があります、とでも言いたげな切り方なんだな。
また、一番標準的なのは、「急いでいるので」という人。これはある意味まっとうです。本当に急いでるんだろうし、ぼくもやるな。急いでいる時は。
あと、「住んでるのが別のところなので」という人も結構いて。これって、基本的には「興味がない」という意思表明なのだけれど、ぼくもまた一応返事くれた相手とは話したいので、「今はこの区の話ですが、これからどんどん似たケースが増えていきそうなかんじなので、ここで食い止めておくのは意味があることで……」みたいなことを話して、煙たがられました。このケースで、じゃ、話を聞きましょうってなる人は一人もいなかったな。最初から興味ないって言ってくれればいいのに、なんて思ったり……。
ふう、人間勉強になります。
一言で、興味をひき、立ち止まってもらい、署名してもらわねばならない。これが難しい。学童保育って、保育園にくらべてずっと世間的に認知されていないし、そもそも保育園だって、幼稚園と区別がついていない人の方が多かったりするわけだ。だから、無視されることも多い。それどころか、宗教団体の資金集めのための「街頭署名アンド募金」なんぞとそれほどかわらないような視線を受ける。
別にそういうのは気にせずに仕事するわけだが、やはり、無視され続けるとどこか心に摩耗する部分があり、なんとなく緩衝材がほしくなる。
それが、「観察」なんだな。
自分と人がどんなふうに交わりを持てるのか、ある種の実験と観察。
人に伝わりやすい、話しかけのモードを研究しつつ、受容と拒否の諸相を考察。
まず、張り付いた笑顔。
そういうのを自分が身にまとうのを自覚。よくあるでしょ? 特に宗教団体に顕著だけど、街角で、人々の拒絶の視線を浴びつつもそれにある種のカタルシスを得て、布教活動をしてるみたいな人たち。そういう人たちの顔に張り付く笑顔って独特だ。
たぶん、「世界に拒絶されているのだけれど、自分にはある種の義がある」という確信を持っている時に、その笑顔が生まれるのだと思う。「拒絶されること」と「確信」って、それぞれかなり極端な心理的状況でもあって、それを心の中で共存させている不思議。
で、学童の署名も、かるーく、そういうことなのだ。
よって、ぼくも、ぼくらも、軽く、そういう笑顔をして立っている。
その上で、どんな人たちがどんなふうにぼく(ら)を、受け入れたり、拒絶したりするかなのだけれど……。
一番、許容率が高いのが、高齢の女性。
特にモダンなかんじのお婆ちゃんがいい。紫や青に髪を染めていようものなら、百発百中ってくらいに話をきいて、署名してくれた。なんなんだろ。人生経験がたくさんある分、耳を傾ける度量があるのか。その一方で、高齢の男性は率が悪いから、これは謎。
次にいいかんじなのは、学生さん。社会経験の少なさゆえ、社会活動への直接参加ともいえる「署名」が物珍しいのかな。中学生、高校生あたりのグループがまとめて立ち止まってくれることが多かった。ひょっとすると、まだ自分が「学童」だった頃の記憶が鮮明なのかも。
さらに数は少ないけど、「外国人男性とカップルで歩いている女性」はこれは百パーセント。三人声をかけて、三人とも熱心に聞いてれくた。これは、ひょっするとそうだろう、という気がしていて、臆さずに声をかけたのだけれど、成功でしたね。
その一方で、難しいのは、二十代だなあ。
特に、若いカップるは、未婚はともかく、結婚しているように見えるカップルすら、関心なしの例が多い。本当にまったくなし。
驚いたのは新生児のお母さんとかもダメなことが多いこと。
人間って、五年先以降の想像力って、あまり働かないのかなあ、と思った。
また、ちゃら系の若い男性も、予想通りダメなんだけど、実はごく一部に例外があって楽しい。ビラをきちんと読んで、質問までして、理解した上で署名してくれた人が何人かいたのだけれと、それが全部、シルバーアクセじゃらじゃらの二十代三十代男性だったのね。
さらに……拒絶の仕方いろいろ。
完全無視。というのは、三十代より下の女性に多いかな。
もちろん、勝手に話しかけられているのを勝手に無視するのはまったく自由なわけで、完全無視作戦には、なんら悪いところはありません。
でも、こっち側としては引き際をどの辺もってくるのかが難しく、困るパターンですね。話しかけて途中で、完全無視に気付いて、ごにょごにょとこっちも語尾を濁すみたいなかんじになると、こっちもちょい心持ちの軟着陸を要するのです。
さらに、基本的には無視なんだけど、手で空間を切る動作をする中高年男性も多かった。あの「切る」動作にはなんの意味があるんだろう。あなたと私の間には断絶があります、とでも言いたげな切り方なんだな。
また、一番標準的なのは、「急いでいるので」という人。これはある意味まっとうです。本当に急いでるんだろうし、ぼくもやるな。急いでいる時は。
あと、「住んでるのが別のところなので」という人も結構いて。これって、基本的には「興味がない」という意思表明なのだけれど、ぼくもまた一応返事くれた相手とは話したいので、「今はこの区の話ですが、これからどんどん似たケースが増えていきそうなかんじなので、ここで食い止めておくのは意味があることで……」みたいなことを話して、煙たがられました。このケースで、じゃ、話を聞きましょうってなる人は一人もいなかったな。最初から興味ないって言ってくれればいいのに、なんて思ったり……。
ふう、人間勉強になります。
なので興味を持って読ませていただきました。
手を切る動作には二種類あって、
「関係ねーんだよ」(拒絶)と、もうひとつ
「ごめん堪忍なー」を片手でやってる(つまり拝む格好)つもりが勢い余っちゃったもの
とがあるのでは?なんて思いました。
「私たちは繁殖している」内田春菊(1~6巻)
などはそのへんけっこう参考になったりするのでは、とも思いました。
新生児をつれたお母さんがたくさん外を歩けるようになってきたという現実にも感慨深いものがありましたね。
(散漫ですみません)
よく電話を切られます。
そっちから問い合わせしたんじゃないかあ。
拒絶モードの時って
言ってる意味がわかんないみたいですね。
「お問い合わせいただいた件で・・・」
「だから結構ですってば!!」とか。
普段、街で声をかけられる機会が多い
20代30代女性は
内容に関係なく、とにかくぜえんぶ
断ってないとキリがない、ってのもあるのかなと。
(確かに信じられないくらいしつこく
されることとかありますし。)
内容を聞いた上で断る断らない、を
決断できる人って少ないです。
吸っていたと思います。
人間観察と共に、様々な意味で社会勉強になりますね。
子供の事で、この年になって(S36生まれ)街頭署名
するとは!夢にも思いませんでしたし・・。
更に私の街頭署名の感想。
私の呼びかけには応えてくれず、素通り。
私は、後姿(後頭部あたり)に向かって、「署名のご協力を!」「子供達の安全な放課後の為に!」等と、悔し紛れ?に声を張り上げる。
私の後頭部狙い?の呼び掛けが効いたのか?
通りの向こうで署名活動している仲間の場所で、
署名してくれた!という場面に遭遇しました。
街頭署名って奥が深いかも・・・。