川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

これは必読文献かも。『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』

2007-02-10 07:34:09 | ひとが書いたもの
犯罪不安社会 誰もが「不審者」?犯罪不安社会 誰もが「不審者」?
価格:¥ 777(税込)
発売日:2006-12-13

 安全神話が崩壊したといういうけれど、それって本当?
実は、「安全神話が崩壊した」神話なんじゃないの? という本。
ぼくの関心でいえば、PTAでの安全・安心対策に一石を投じるもので、そのことについては三章にくわしい。

 あまりにツポにはまったので章ごとに書いていくことにする。
 
 まずは第一章で、統計をみる。
 犯罪統計の殺人も、人口動態調査の「他殺」も、長期的になだらかに低下。こと、「他人によって命を奪われる」リスクは、きわめて低い社会に我々は住んでいる。
 
 じゃあ、なぜ、そんなに「安全神話の崩壊」したように見えるかというと、犯罪の増加(実は認知件数の増加)と、検挙率の低下、だという。
 実はこれは警察の方針と密接に関係していて、99年の桶川ストーカー事件をきっかけに、これまで「認知」していなかった「軽微」な事件でも、きちんと事件として受け取るように指示した、警察庁長官の通達が効いているという。また、それに呼応して、通報する側も「軽微」なものを通報するようになる仕組み。
 たとえば、痴漢犯罪について考えてみると分かりやすい。「痴漢は犯罪です」という毅然としたスローガンのポスター宣伝を展開するなどして、警察側は「泣き寝入り」をしないように促している。それに呼応して、被害にあった側も、ちゃんと申し出るようになりつつある。
 とすると見かけ上は、認知件数が増えて、その一方検挙率は下がる(警察の手が回らなくなる。もっとも、ここで挙げた痴漢の場合は、現行犯だから検挙率はむしろあがるかもしれないけれど、一般論として……)から、「安全神話が崩壊した」ことを支持する統計数字が出来上がる。
 ただ、殺人であるとか、他殺(人口動態統計)のように、ごまかしがききにくい件数については、「治安の悪化」の印象とは裏腹に、件数は長期的に下落、検挙率も95%程度で安定している。
 
 背景には、メディアの発達によって、我々が日常的に日本各地の「事件」を知るようになったことと、95年地下鉄サリン事件以降、我々の社会が「被害者を再発見」し、被害者目線で物事をみるようになったからことがある、と指摘。
 つまり、これまでは「事件」とは、どこか自分が関係のない非日常的な場所で起こるものだったのに、実はみんな地続きなのだと知ってしまったということ。
 ネットで配信されるニュースで多くの事件に触れ、また被害者の心情を伝えるようになったメディア(実は、つい最近まで、メディアは加害者の心の闇ばかりに注目し、被害者のことを取り上げることは少なかった)によって、被害者が普通の人だと知る。いつどこで自分が巻き込まれるかもしれないという「真実」を理解する。
 だから、以前と同じくらい安全な社会でも、安心はできなくなってしまった。
 むかしは良かったと、「3丁目の夕日」的な社会を望む声があるけれど、実はあの時代は戦後でも人殺しも、少年犯罪も一番多かった時期なのだということを、多くの人が忘れているとも指摘する。
 
 さらに、「安心」が崩壊したあとで、不安が拡大再生産するプロセスとして、「鉄の四重奏」なるものを紹介する。
 潜在的に不安を抱えた社会で、ある特異的な事件が起こると(地下鉄サリンでも、サカキバラでも、池田小でも、小林薫でも)、マスコミが関連情報を繰り返し報道し・市民活動家(被害者の支援活動家など)が行政に働きかけ・行政が法律などを改め、医学・心理学・犯罪学などの専門家が「権威」としてこれらを解釈する中で、統計的には支持されない、「治安は崩壊している」「犯罪は凶悪化や低年齢化している」いったことが、裏付けのないまま既成の事実として定着することになる。
 という仕組み。
 
 ふむふむとよく分かるので、逆にどこかに穴が在るのではないかと心配だ。だから、この本へのツッコミ歓迎。ただ、ぼくが正確な要約を出来ているわけでもないので、「読んだ方」よろしく、です。
 
 第二章以降は、また今度。
 ここまでで、崩壊したのは安全ではなくて、安心の方なのだ、ということを理解した上で、安心出来ない以上やはり対策は必要なわけで、それが今の流れである「厳罰化」や「犯罪機会論」的なアプローチでよいのか。かりに効果があるとしても、副作用はないのか、という話が展開します。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
早渕さん、「隠れた性犯罪」に対する警戒はたしか... (カワバタヒロト)
2007-02-25 06:49:20
とはいえ、「隠れた」性犯罪は、むしろ、文字通り「隠れて」起こりやすく、目に見える不審者よりも、「密室」の方がより深刻になりやすいような気がします。だから今の不審者対策の「理由」としては、どうなんでしょう。そのあたりが気になっています。
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早渕さんのコメントを受けて。 (Pさん)
2007-02-24 20:57:50
大きい/重大な/目立つ/リスクからいろいろと対策していった結果、どんどん対象となるリスクが矮小化…というか、低リスクなものになり、リスク対策のコストパフォーマンスは低下し続けていく。
なんか、そう考えると、いったいいつまで「完璧な社会」を求め続ければいいのだろう、って暗澹たる気持ちになってきます。
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新聞や雑誌で「リスク社会」という語をまま見かけ... (早渕鶴見)
2007-02-24 15:55:43
論者はたいてい、ちゃんと理解して使っていますが、記事の見出しとしては「こんなにリスクが増えた」と言わんばかりになっています。
実相としては、病気やら飢えやら戦争やらのめちゃくちゃ高いリスクが大幅に減少してきた結果、「なにがリスクかわかりにくくなってきた社会」なのだから、「低リスク社会をどう生きるか」というのが正しい題の立て方だろうとおもいます。

箱ブランコと不審者とBSEとゲーム脳と湯沸かし器。もちろん事故や被害がなくなるに越したことはないのですが、どれも低いリスクなので、対策に優先順位が付けにくいですよね。
交通事故やタバコくらいの高いリスクですら、人の行動様式はなかなか変えられないわけですし。

そんななかで「不審者」がヤケに重要視されている理由の一端には、「隠れた性犯罪がたくさんあるに違いない」という認識があるのではないかと睨んでいます。
「性犯罪の被害にあっても表沙汰にはできない」という認識と一体の、かなりイヤーなものなんですが。
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昔と一緒では、たぶんいけないんだと思いますよ。 (カワバタヒロト)
2007-02-13 10:29:42
昔と今も、「同じくらい」安全なのだとしても、その時その時で気を遣わなきゃならない点は違うわけですしね。我々の社会は変わっており、防犯関係のパラメータも変わっている、と。
その時に明らかに誤った立脚点から出発してしまうと、変なことになってしまうのでは、それはまずいだろう、と思うのです。

このあたりのこと、いずれ書きますね。
子どもをめぐる、安全・安心には、ふたつの論点があると思っています。
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川端さん、いつもお返事ありがとうございます。 (Pさん)
2007-02-13 09:29:36
右・左の件、実際のところその辺についてはそれほどナイーブな感覚は持ってはいないのです。そもそも、その違いさえ正確には理解できていないかもしれず。
ただ、それでもアンテナがピクンと動くのは、しばしば「世のため」というオブラートに包んで、自説への囲い込みを図る傾向が、両極端に近い人(?)に多いように思われるための、防衛本能みたいなもの、ですかね。多分に偏見な訳ですが。

それはさておき、本題で2点。
凶悪犯罪や、猟奇的な事件が増えた、質が変化してきた、という点について、以前から「そんなこと無いんじゃない?」と考えていました。その理由は、僕らが理解できないような事件(あるいは嗜好をもつ人たち)は、正規分布の裾野にあたるわけで、それはきっと「人間」のバラツキに由来していて、過去も未来も量的にも質的にもほとんど一定なんじゃないの、っていう仮説。
ぶっちゃけた言い方をすれば、「いつの時代だって、変な人は一定数居るんだよ」ってこと。たぶん、その割合はあまり変わらない。
もっとも、軸をどう取るかで、僕だって裾野のヒトになってしまう。
結局、僕らは軸の取り方で違って見えてくる断片に一喜一憂しているのか、という点ではsionoiriさんのコメントにも繋がってますかね。

もうひとつ、実体と乖離した不安感の件。頭で「実際には昔と大して変わらない」と理解しても、いざ子どものことになってしまうと、一概に「じゃあ昔と一緒でいいや」と割り切れない自分を発見してしまう。「社会不安のデフレスパイラル」、これ、自分も見事にそこに組み込まれている。むーん。
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あと、著者が右か左かなんて、関係ないです。 (カワバタヒロト)
2007-02-11 21:04:35
右・左がボーダーレスになっている事態です。
ぼくはしばしば立派な左派だけれど、時々、右派でもあります。
二分法的カテゴライズはもう意味を失ってます。
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sionoiriさん、どうもです。 (カワバタヒロト)
2007-02-11 20:59:55
DVやら虐待やらは、まさにその通り。犯罪の新しいカテゴリー。
「それまで」といいつつ、安心したい我々は、なんかやりたくなってしまうわけです。
そして、PTAではパトロールしちゃうわけです。悩ましいです。

Pさん。というわけで、読みました。すごく面白かったです。
ちなみに、この本については、統計部分についてすべてオープンなものを使っているので、不安なら自分で調べられます。
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ニュージーランドに行っているころに、コメントで... (Pさん)
2007-02-11 02:42:01
 前半、あまりに自分の感覚的な理解と合致するので、やはりどこか穴があるのではないか、騙されているんじゃないか、っていう懸念は川端さんと同じ。
 amazonのレビューの中に、著者の左派的な立ち位置についての言及があったのを読んで、「アホなマスコミ」に騙される危険性同様、実はこの本に自分が騙されているんじゃないか、って可能性についても、考えざるを得ませんでした。

 「あるある」に騙されていた人を笑っているけれど、より巧妙な嘘に騙されていて、誰かに笑われているのではないかという恐怖感が常にあるのです。
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