川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

宇多田ヒカルと倉木麻衣をぐるぐる聴いて……

2005-09-27 07:57:26 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
倉木麻衣のlove, day after tomorrowを聞いた時、「あ、宇多田ヒカルだ」と多くの人が思ったわけだけれど、今、宇多田と倉木を「似てる」と思う人はあまりいない(はず)。

宇多田的なものが当時、日本の歌謡曲・ニューミュージックが進出していなかったニッチでいきなりブレイクして、宇多田=ジャンルであったため、倉木も宇多田に聞こえた。その後、ジャンルが深まり、広がるにしたがって、そんなこともなくなったのだと思う。

椎名林檎と矢井田瞳の関係は……ちょっとちがうかもしれないが、こっちも「似てる」と思う人はあまりいないだろう。

それはそれとして、宇多田ヒカルのExodusと倉木麻衣のFuse of Loveを一緒に聞いている。ぐるぐる、順番に。

や、本当に別物だ。似ているとこ……ない。
Exodusは、日本語の宇多田ヒカルよりかなりロックより。R&B要素が薄く、ぼくのデータベースの中ではマドンナ的。でも、もっとロックの教養が濃い人は別の名前を持ち出すだろう。とにかく、ポピュラーロックの範疇で、自分なりのエッジを探している。ポップだけど重い質感がある。

最初聞いた時に、ずいぶん子音が弱い英語に聞こえた。また日本語ではずいぶん深い発声をするのに、どちらかというと高音域のピッチが不安定なあたりで勝負しているところが多いような。その不安定さが、曲の緊張感につながる部分もあって一概に否定できないのだが、同じ曲をもっとうまく歌うやつなら、英語圏にはたくさんいるだろう。にもかかわらず宇多田ヒカルがUtadaとして、これらを歌うのって、やはり、日本のバックグラウンドをどう昇華させるかって部分に価値があるから、とぼくには思える。あれ、なんか変な日本語か?

一方、倉木麻衣。
大野愛果がつくった曲と倉木のマッチングは本当によくて、安心して聞いていられる。同じことを繰り返して、二年に一枚アルバムを出して、そのたびの「今」の雰囲気を盛り込んでくれれば、ぼくは二年ごとに、必ず聞くだろう。

ぎりぎり俗に落ちないポップさと、声にかならず乗る哀感と、歌謡曲的な湿り気とR&B的なスパイス。
たまりません。

宇多田ヒカルはアグレッシヴ。攻めの気持ちの時に聴く人になっている。あまり癒し系ではないのね。さあ、やるぞ、というかんじ。
音楽的にどうころがっていくのか、言葉がとう深まっていくのか、楽しみでもあり、聴いていてワクワクする。
にもかかわらず、Exodusが終わって、iPodのヘッドフォンからFuse of loveの最初の曲が始まると、ほっとしている自分もいる。
そんな音楽生活なきょうこのごろ。