朝からどんよりとした曇り空。
風のない穏やかな日だったが夕方から雨になった。
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我が家の「ピアノ小僧」も冬休みになって
体力づくりのためにジョギングに同行するようになった。
正直、ペースが乱れて迷惑である。
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早速、ジョギングの途中に「落ち葉遊び」を開始。
もう中学生なのだからと呆れるが、まだまだ子供なのかも知れない。
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落ち葉ダイブ!
フカフカで気持ちよさそう!
私も時々、やってみたくなるけどなあ・・・
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冬空にボンヤリとした太陽。
この季節、テレビはしきりに一年の「回顧」をやっている。
先日、中村勘三郎の葬儀をやっていたが
そう言えば、今年もいろいろな人が亡くなったなあ、と思いを馳せる。
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「100歳の映画監督」新藤兼人さん。
独立プロから叩き上げた根からの映画人だった。
シナリオ学校時代、一度だけ講義でお目にかかったことがあるが
朴訥な広島弁の語り口ながら、こと映画に関しては眼光鋭く
どこか畏怖の念すら覚える存在感だった。
「生きている限り生きぬきたい」が心情で色紙にもよくその言葉を書かれた。
生きている限り「撮り続けた」人生だったと言える。
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「散歩の達人」地井武男さん。
私が公園散歩を始めたきっかけは「ちい散歩」だった。
基本的にはバイプレーヤーながら悪役から刑事役、マイホームパパまで
幅広い役をこなす「柔軟性」は希有のものだったと思う。
「ちい散歩」でも自然や植物への愛情、人と接し方の妙、スケッチの味わい
どれをとっても地井さんの「人間力」を感じさせた。
それだけに突然の死は今年一番のショックだったかも知れない。
この素晴らしい笑顔、まだ70歳だった。
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「狂気の俳優」大滝秀治さん。
その独特の個性的な演技はつねに狂気を感じさせた。
劇団民芸の創立以来のメンバーで舞台、映画、テレビドラマからCMまで
この人も本当に幅広い分野で「存在感」を発揮された。
宇野重吉に否定されたと言うあの「悪声」も味わいがあって実によかった。
どれか一つと言われれば、私はやはり
倉本聰さんのドラマ「ホンカンシリーズ」の駐在役での飄逸な演技だろうか。
87歳、名優ならぬ「怪優」だったと思う。
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「戦場のに散ったジャーナリスト」山本美香さん。
何度見ても美しい人だなあ・・・と思う。
その輝きの秘密は「意志」と「知性」と「優しさ」にあるのではないかと思う。
つねに死と隣り合わせの現場で培われたものなのだろう。
彼女が政府軍の凶弾に倒れたシリアは・・・いまも内戦状態のままだ。
この死の衝撃を忘れないでおこうと思う。
惜しみて余りある45歳だった。
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写真家・藤原新也の写真集「メメント・モリ」をご存じだろうか。
もう20以上も前に出版された本で
写真集というより「詩文集」と言った方がいいかも知れない。
メメント・モリとはラテン語で「死を想え・・・」というほどの意味である。
極限の死を切り取ったさまざまな写真に、著者の短いコメントが添えられている。
荒野に打ち捨てられた人間の死体を野良犬が貪っている光景には・・・
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」
大河のほとりで遺体の野焼きをしている光景には・・・
「ニンゲンの体の大部分を占める水は水蒸気となって空に立ち昇る。
それは雨の一部となって誰かの肩に降りかかるかも知れない。
何パーセントかの脂肪は土にしたたり、焼け落ちた炭素は土に栄養を与えて
マリーゴールドの花を咲かせ、カリフラワーをそだてるかも知れない。」
つまり森羅万象、人間の体でさえ所詮は「物質」に過ぎないのであり
私たちは常に「生と死」の微妙なバランスの上で今を生きているにすぎない。
だからこそ「死者を忘れない」のはニンゲンにしか出来ない行為なのではないかと思う。
死を想え、メメント・モリ・・・年の瀬にそんなことを考えた。
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と、ボンヤリしていたら・・・
ピアノ小僧の突然の「落ち葉攻撃」!
頭のてっぺんから枯れ葉だらけになってしまった。
12月28日、夜からやはり雨になった。