あの伝説のヒーローに逢いに行った。
練馬区立美術館で開催中の「あしたのジョー、の時代展」。
少年マガジンの連載が終了してもう40年。
にもかかわらず会場は大勢のファンの熱気でむせ返るようだった。
やはり私のような「オールドファン」が多い。
一世を風靡した人気ボクシング漫画である。
高森朝雄(梶原一騎の別名)の原作、ちばてつやの作画で
1967年から1973年まで週刊「少年マガジン」に連載された。
私の青春時代とみごとにオーバーラップする。
家が貧乏だったので、毎週、漫画雑誌を買うゆとりはなかったが
友だちに借りてむさぼるように読んだ。
矢吹丈はドヤ街で毎日のように喧嘩をくり返す不良少年。
後に宿命のライバルとなる力石徹もやはり少年院育ちのアウトロー。
二人の天才ボクサーの息づまるような対決に
どれほど興奮したしたことか・・・
興奮し過ぎて鼻血が出ることも再三だった。(笑)
打たれても打たれても、決して相手に屈することなく
血反吐を吐きながら強敵に立ち向かっていくジョーの姿は実に感動である。
当時は大学紛争まっただ中の時代で
若者たちはそんなジョーに自分たちを重ね合わせながら
大人たちが作り上げた「社会体制」の矛盾に激しく立ち向かって行った。
「我々はあしたのジョーである」という声明を残し
赤軍派が「よど号」をハイジャックして北朝鮮に向かったのもこの頃だった。
今にして思えば、何とも甘っちょろいヒロイズムではあったけれど・・・
ヒール役ながらジョーと人気を二分したのが力石だった。
彼は劇中でジョーの強烈なパンチを受けて不幸な死を遂げてしまうのだが
ボクシングをこよなく愛し、自他ともに認める力石ファンだった詩人の寺山修司は
わざわざ本物の葬儀まで出してその死を惜しんだ。
漫画史上「最高のラストシーン」と今なお語り継がれる一枚。
世界王者ホセメンドーサとの死闘を終え
身も心もボロボロの廃人になったジョーのこの言葉を最後に物語は終わる。
「燃えたよ・・真っ白に・・真っ白に燃え尽きた」
それはまさに当時の若者の心情であり
全国に燎原の火のように広がった大学紛争は
東大・安田講堂への機動隊導入によって急速にその勢いが衰え
若者たちは大学へ、社会へと帰って行った。
泪橋にあった「丹下拳闘クラブ」のジオラマも展示されていた。
そう言えば、ジョーのトレーナーでありジムの会長でもあった丹下段平も
実にキャラの立ったおもろいオッサンだったなあ・・・
などと懐かしく思い出しながら会場を後にした。
当時の熱い時代をそのままに
会場を一歩出ると、外は眩暈がしそうな「熱風」が吹いていた。