まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

あしたのジョー

2014年07月31日 | 日記

あの伝説のヒーローに逢いに行った。
練馬区立美術館で開催中の「あしたのジョー、の時代展」。

少年マガジンの連載が終了してもう40年。
にもかかわらず会場は大勢のファンの熱気でむせ返るようだった。
やはり私のような「オールドファン」が多い。

一世を風靡した人気ボクシング漫画である。
高森朝雄(梶原一騎の別名)の原作、ちばてつやの作画で
1967年から1973年まで週刊「少年マガジン」に連載された。
私の青春時代とみごとにオーバーラップする。
家が貧乏だったので、毎週、漫画雑誌を買うゆとりはなかったが
友だちに借りてむさぼるように読んだ。

矢吹丈はドヤ街で毎日のように喧嘩をくり返す不良少年。
後に宿命のライバルとなる力石徹もやはり少年院育ちのアウトロー。
二人の天才ボクサーの息づまるような対決に
どれほど興奮したしたことか・・・
興奮し過ぎて鼻血が出ることも再三だった。(笑)

打たれても打たれても、決して相手に屈することなく
血反吐を吐きながら強敵に立ち向かっていくジョーの姿は実に感動である。
当時は大学紛争まっただ中の時代で
若者たちはそんなジョーに自分たちを重ね合わせながら
大人たちが作り上げた「社会体制」の矛盾に激しく立ち向かって行った。
「我々はあしたのジョーである」という声明を残し
赤軍派が「よど号」をハイジャックして北朝鮮に向かったのもこの頃だった。
今にして思えば、何とも甘っちょろいヒロイズムではあったけれど・・・



ヒール役ながらジョーと人気を二分したのが力石だった。
彼は劇中でジョーの強烈なパンチを受けて不幸な死を遂げてしまうのだが
ボクシングをこよなく愛し、自他ともに認める力石ファンだった詩人の寺山修司は
わざわざ本物の葬儀まで出してその死を惜しんだ。




漫画史上「最高のラストシーン」と今なお語り継がれる一枚。
世界王者ホセメンドーサとの死闘を終え
身も心もボロボロの廃人になったジョーのこの言葉を最後に物語は終わる。

  「燃えたよ・・真っ白に・・真っ白に燃え尽きた」

それはまさに当時の若者の心情であり
全国に燎原の火のように広がった大学紛争は
東大・安田講堂への機動隊導入によって急速にその勢いが衰え
若者たちは大学へ、社会へと帰って行った。



泪橋にあった「丹下拳闘クラブ」のジオラマも展示されていた。
そう言えば、ジョーのトレーナーでありジムの会長でもあった丹下段平も
実にキャラの立ったおもろいオッサンだったなあ・・・
などと懐かしく思い出しながら会場を後にした。

当時の熱い時代をそのままに
会場を一歩出ると、外は眩暈がしそうな「熱風」が吹いていた。

 


心の闇でいいのか?

2014年07月30日 | 日記

ずっと気になっている。
あれ以来、ずっと囚われ続けている。
なぜ、どうして、何が原因でこんなおぞましいことが起きるのか・・・
例の「佐世保」の女子高生殺人事件である。

一昨日のブログでは「またぞろLINEの陰湿ないじめか」などと
的外れなことを書いたが、次々と発覚する事実はまさに「前代未聞」の様相を呈して来た。
ただでさえ貧困な想像力は崩壊し、もはや思考停止状態と言っていい。

こうした凄惨な事件が起こった場合、人は懸命にマスコミ情報などをつなぎ合わせ
自分なりに何とか「理解しよう」「納得しよう」と努力する。
無論、私自身もそうなのだが、今回は「理解」や「納得」の接点さえ見つからず
ただただ途方に暮れるばかりなのである。

二人は表面は仲のいい友人だったと言う。
もちろん思春期の少女同士、小さな反感や感情の行き違いはある訳で
何かの拍子にそれが高じて「相手を傷つける」という行為に発展することもないとは言えない。
しかし、それが「殺人」となると全く別次元の話だし
その後の「猟奇的」とも言える異常な行動は一気に凡人の想像力を超えてしまう。

  「人の死に興味があった」「遺体をバラバラにしてみたかった」

少女の中にいつ「悪魔」が棲みついたのだろうか。
人の「死」に対する鋭敏な感覚は思春期特有のものではあろうが
本来、それは命に対する「痛み」とか「怖れ」につながって行く感覚であって
肉体への「興味」を喚起する性質のものではない筈である。
人の命に対するその歪んだ意識が少女の中の「悪魔」を育てたのであろうか。

事件の背景に「家庭環境」の問題が指摘される。
確かに今回の事件ではそれが大きな「遠因」になっていると思わざるを得ない。
15際の少女がマンションで一人暮らしは明らかに異常だし
母親の死後、わずか3ヶ月で再婚に踏み切った父親の配慮のなさは責められるべきだろう。
言うまでもなく15歳はまだ子供である。
東大を目指すほど頭脳明晰な子だったようだが、頭と心は違う。
父親に向かって金属バットを振り下ろす少女の小さな心は
きっと悲鳴をあげていたに違いない。
この時点で何とかならなかったのかと痛切に思ってしまう。

マスコミはこぞって「心の闇」を言う。
確かにそう言うしかない性質の事件であり、私も少女の抱える「心の闇」は深いと思う。
ただ、そうした常套句で括ってしまうにはあまりに衝撃的な事件であり
あいまいな言葉でわかった気になり、やがて時とともに忘れてしまうのでは
犠牲になった少女も浮かばれないのではないか・・・
本当に「心の闇」で済ませていいのか、少なくとも私は事件を考え続けたいと思う。


サルスベリが満開である。
ここ数日、過ごしやすかったがまた暑さが戻って来た。
ピンクに燃え盛るこの花を見ていると、やりきれない気分になることがある。

何の罪もないクラスメートの頭部にハンマーを振り下ろした
少女の「悲しみ」と「絶望」と「倒錯」を思うと、やりきれない気分になる。



長岡大花火

2014年07月29日 | 日記

すっかり梅雨が明けて
積乱雲がモクモクと湧きあがります。
夏雲の雄大なパフォーマンスを見ていると元気が出ますねえ。

と言いつつ、ちょっと夏バテ気味です。
めずらしく食欲がなく、昨夜も大好きなビールを残してしまいました。
大雨にでもならなければいいのですが・・・(笑)

新聞のコラムが長岡の花火大会の話題を取り上げていました。
8月の2日、3日ですから今週末ですね。

秋田の大曲び並ぶ日本で一、二を争う花火大会です。
毎年、信濃川の河川敷を舞台に繰り広げられる花火の一大ページェント。
その数2万発、中でも名物の巨大「三尺玉」は東京スカイツリーの高さまで上がると言います。
以前、私も一度だけ取材で訪れたことがありますが
その凄まじい迫力にド肝を抜かれ、余りの高さに首が痛くなった記憶があります。(笑)

これほどの規模ではありませんが
わが故郷・出雲にも伝統の「斐伊川祭り」の花火大会があります。
ヤマタノオロチ伝説で知られる斐伊川の中洲で開催される出雲最大の夏祭り。
毎年、夏に帰省した時には必ず足を運んだものです。
年ごとに故郷は遠くなり、もう10年以上は見ていませんねえ。

長岡の花火と言えば・・・
やはり放浪の画家・山下清のこの作品が忘れられません。
1949年の夏、画材道具など一切持たずに長岡を訪れた山下清は
記憶に焼き付けた光景だけをもとにこの貼り絵「長岡の花火」を完成させたのです。

漆黒の夜空に彩る打ち上がる花火の圧倒的な臨場感。
会場を隙間なく埋め尽くした群衆の迫力。
何度観てもため息が出そうな色彩世界で見惚れてしますます。
これが「貼り絵」なんて信じられますか?

今年はまだ花火大会に出かけていません。
年々、人混みが苦手になっているだけに、花火も縁遠くなります。
どこか誰もいない原っぱで、冷たいビールを飲みながらひとりで花火見物・・・
なんてシチュエーションはないでしょうかねえ。(笑)

山下清の「長岡の花火」にはこんな一文が添えられています。

   みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら
   きっと戦争なんて 起きなかったんだな

山下清の無垢な言葉を笑える現代人はいるのでしょうか。
イラクで、ウクライナで、ガザで、依然として「戦火」は地上の現実です。
世界中の爆弾や火薬を全部集めて
夜空にあげたらさぞかし世界は平和になるだろうなと無垢なオジサンは思うのです。
では、最後は恒例の「よるべなき」シリーズで・・・

    よるべなき 六十路の夏や 遠花火  (杉作)

 


夏休みは返上です。

2014年07月28日 | 日記

今日も夏空が広がります。
暑い、暑いとボヤきながらも気持ちいいてすねえ。
昨日、今日とめずらしく湿度が低くて過ごしやすいような気がします。

夏休みをとってどっか行きてえなあ・・・
と思いつつ、わが家は早々と「夏休み返上」が決定しました。
息子は連日、ピアノの練習で学校に出かけていて「皆勤賞」でも貰う勢いです。
8月の終わりにはコンクールも控えていてとても無理でしょう。
家人は今日から図書館のアルバイトに出かけました。
無類の本好きだけに張り切っています。

私は意外にヒマです。
フリーランスがヒマではシャレにもなりませんが仕方ありません。
せいぜい読書で充電して美術館めぐりに精を出します。
あ、今日の原稿がまだだった・・・(笑)

学校は夏休み真っ最中、
何よりも静かなのがいいですねえ。(笑)

学校と言えば佐世保の「女子高生殺人事件」は本当にショックでした。
まだ何かを判断できるほどの情報はないものの
15歳の少女を支配する人を殺すほどの「恨み」とはどのようなものなのか?
貧困な想像力では考えても考えてもわかりません。
カッとなって発作的に人を刺すことはあり得ることと思いながら
その後の犯行の猟奇性は想像の範疇をこえています。
またぞろ「LINE」の陰湿ないじめが原因だったりするのでしょうか。
学校は夏休み恒例の「学習合宿」寸前だっと言います。
彼女の心の「闇」を知りたいと強く思います。」



夏は成長の季節です。
この間、田植えが終わったばかりと思っていたのに、もう稲穂が・・・
私もこの夏、植物に負けずに成長したいと思います。

3年前の海水浴のスケッチです。
夏休み返上なので、せめて夏休みの思い出だけでも・・・(笑)

ウカウカしていると秋になってしまいます。



 


千客万来の酷暑なり

2014年07月27日 | 日記

言っても仕方のないことと思いながらも・・・

  暑かったッすねえ!

代々木公園では地表温度が60度に達した!などと
アナウンサーが暑苦しい声で言っていました。
猛暑、炎暑、酷暑・・・
他に適当な表現がないかと考えても頭が回りません。(笑)

自慢ではありませんが・・・
私、今までで体験したもっとも高い気温は45度です。
ハッキリ言って45度の温泉は熱くて入れません、
場所は「飛ぶ鳥の姿も見えず」と言われた死の砂漠、中国のタクラマカン砂漠です。
太陽を遮る樹木もなく強烈な熱風に眩暈さえ覚えました。
ただ、湿度がゼロですから不快感はなく意外に快適だった記憶があります。

その暑さに誘われてか・・・
カミキリムシが私の誕生日を祝いに来てくれました。
ゴマダラカミキリという種類ですね。
一瞬、飼おうかとも思いましたがエサ代などの負担も考えて断念。
丁重にお引き取りを願うと、名残り惜しそうにブーンと夏空の彼方へ飛んで行きました。
カミキリムシが飛ぶとはこの年まで知りませんでした。(笑)

誕生日プレゼントはジョギング用の夏帽子でした。
頭のデカイ私にもピッタリで、後頭部がメッシュになっていて涼しそう。
麻のスーツは持っていますが、麻の帽子は初めてです。
頑張って走らねば・・・(汗)

もう一つ「ビアグラス」も頂きました。
内側にザラザラの加工がしてあって、泡がクリーミーになる魔法のビールジョキとか。
やれ、ありがたや!
せいぜい頑張って飲まねば・・・(酔)

酷暑の中のジョギング。
これだけ汗が噴き出すのもいっそ気持ちいいです。
夏バテのせいか「ヒョウモンチョウ」が静かに羽を休めていました。

それにしても昆虫に恵まれた一日でした。(笑)
ベランダにはセミがひっきりなしに飛来して家人の悲鳴が聴こえます。
まさに「千客万来」の夏です。