一年半ぶりに実家に帰ると
ツワブキの花が庭いっぱいに咲いていました。
花の少ないこの季節、不思議に心がなごむ黄色です。
出雲の10月は神無月ではなく「神在月」です。
年に一度、八百万の神様が全国から集まって来る賑やかな月です。
生前から熱心に「神様」を信仰していた母を見送るには
ふさわしい季節だったかも知れません。
通夜の席にギリギリ間に合いました。
本来なら喪主は長男である私の役回りですが
家を継いだ弟が立派につとめてくれて、ただひたすら感謝でした。
私は世に言う「不肖の息子」の典型で
この年までどれほど母に心配や苦労をかけたか知れません。
それを思うと自責と後悔の念があふれ、どうしようもありませんでした。
両親は二人とも障害者でした。
10年前に亡くなった父は仕事中の交通事故で松葉杖生活。
母は私を生んだ直後に「ベーチェット病」という難病に罹って20代で失明。
それが原因でさまざまな病苦に苛まれる一生でした。
意気地のない私などは「目が見えない」という
ただそれだけで生きる目的を見失って、無為な人生を送ったに違いありません。
でも、母は生来の明るさで、むしろ盲目というハンディをバネに
あらゆることに挑戦しながら、呆れるほど力強く「積極的」に生きて来ました。
享年85歳、出雲弁で言うと本当に「がいな(凄い)」母でした。
母の遺体を荼毘に伏した火葬場の空は
気持ちよく晴れ渡って、ちょっと汗ばむような陽気でした。
母も私と2日違いの夏生まれでしたが、なぜか暑さには滅法弱かったです。(笑)
母の骨を拾いました。
晩年、年のせいですっかり歩行の勘が狂った母は
何度も転んで骨折入院も再三でした。
去年も大腿骨の骨折で入院し、腰にボルトを入れたのですが
骨の中からその赤茶けたボルトが出て来た時には
さすがに涙を堪え切れませんでした。
母は幸せだったのか不幸だったのか・・・
何度問いかけてみても、やはり答えは出ませんでした。
火葬場の空を赤トンボが群れ飛んでいました。
係の人から「女性にしては骨が多いですね・・・」と感心された時
ちょっと救われたような気持ちになったのは、なぜだったのでしょうか。
さあ、今日からまた仕事です!
たっぷり流した涙も今日で封印です。
「人間は生きて来たようにしか死ねない」
その言葉をあらためて噛みしめながら、ちゃんと生きて行こうと思います。
母逝きて 我も六十路や 秋の空 (杉作)