まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

年を越してしまう

2011年12月31日 | 日記

とうとう大晦日になってしまった。
まるで枯れ木立のように寒々とした気分だ。

と言うのも、この期に及んでまだ仕事が終わらない。
それだけは避けたかったのに、どうも年を越してしまいそうな雰囲気。
ここ数年、めっきり仕事の集中力が落ちてきている。

このブログを始めたのが5月だった。
公園は萌えるような緑で池ではカモのヒナが生まれた。

ブログ開始以来、ずいぶんあれこれと写真を撮ったが
お気に入りの一枚かも知れない。

そのカモたちもすっかり「大人」になって見違えるようだ。
年を越すとさらに逞しくなって北へ飛び立っていくのだろう。

で、突然、卑俗な話なのだが・・・
日銀の調べによると家庭のタンスや金庫で年を越すお金は
なんと89兆9000億円にもなるそうだ!
紙幣の発行残高と銀行などの預金残高の差から割り出すらしい。
まあ、これだけ低金利が続けば銀行に預けるのがバカバカしくなるのは当然だ。
それにしてもスゴイなあと思う。
我が家で年を越すお金は・・・(泪)

今年は「東日本大震災」の年だった。
年末はテレビで震災映像が数多く流れているが、いまだに正視できない。
見ているうちにどうしても涙があふれてしまう。
これは8月、日経新聞本社で開かれた「震災報道」展で見た写真。
津波で泥に埋もれたセーターの中から雑草が力強く芽吹いている。
失われた命と、その上に生まれてくる命。
カメラマンはあくまでも「希望」の象徴として撮ったのだろうが胸をつかれる思いだった。

これは津波の被災地に立てられた「遺体」の場所を示す目印。
瓦礫だらけの原野で寒風に揺れる真っ赤な幟が死者たちの無念を物語っている。
私はいまだにこの写真が目に焼きついて離れない。
行方不明のまま年を越す命の数は実に3468人もあると言う。
この現実をどうすればいいのか・・・

公園からの帰り道、キンカンの実が冬の日差しに映えていた。
こんなものでも、見ればふと心が和らぐ。
いろいろな思いを残しながらに一年が終わろうとしている。
私の拙いブログにお付き合いして頂いた皆さんに心からお礼を申し上げる。
どうかよいお年を・・・

 


渋谷・群衆の中の孤独

2011年12月30日 | 日記

年の瀬の「渋谷」の街は人で溢れかえっていた。

この写真を見ただけで「ウヘーッ」と顔を背けるムキも多いだろうが
基本的に私は人混みは嫌いではない。
行列に並んだりするのは嫌だが人混みの中を歩くのは大好きだ。
何やら自分が時代の真っただ中を歩いているような不思議な高揚感がある。
もちろん錯覚に過ぎないのだが・・・

趣味の競馬もWINSで馬券を買うより競馬場に出かける方が数段楽しめる。
パドックの人混みで馬の調子を確かめ、馬券を握りしめ、ゴール前の熱狂に酔いしれる。
つまりは「群衆の中の孤独」が好きなのだろうと思う。

ハチ公前の「喫煙コーナー」で一服。
最近はどこもかしこも禁煙で息苦しい世の中だが
夥しい数の「煙草仲間」の輪に入るとちょっとホッとした気分になる。
みんな早死にしちゃうだろうけど自業自得、仕方がないよねえ・・・

人混みの中にいると、ふとペシミスティックな疑問にとらわれることがある。

 「世の中にはこんなに人間があふれているのに
  どうしてみんな人に不自由しているのだろう」

行き交う人たちにはそれぞれ家族や友人、仕事仲間、恋人がいる筈なのに
みんな等しく「人に満たされていない」と思う。



誰もが人間関係に悩み、苦しみ、振り回され、人気関係の中で孤立している。
でなければ「うつ病患者」数百万人、年間自殺者3万人などという現実がある筈はない。
私の勝手な思い込みだろうか・・・

まことにもって、生きていくというのは因果なことだな、大変なことだなと
人混みの中にいると年寄りの「繰り言」のようなことを思ってしまう。
間もなく新しい年になる。
私も含めて、この人たちに来年は「もうちょっとマシな年が来ればいいな」と思う。
うーん、群衆の中の孤独を味わうのも・・・寒い!

本日午後13:30~14:25  テレビ東京系列全国ネット
中国ドキュメント「老いゆく巨龍」 見てね!


杉原輝雄という生き方

2011年12月29日 | 日記

プロゴルファーの杉原輝雄さんが亡くなった。
74歳だった。

以前から癌との闘病生活は知っていたので驚きはなかったが
「ああ、そうか、とうとう・・・」と感慨がこみあげ、しばらく仕事の手がとまってしまった。
個人的なお付き合いがあった訳ではない。
同じ関西出身だし、同姓と言うこともあってずっと親しみを抱いていた。
あの飄々とした笑顔とユーモアあふれる関西弁が大好きで
「直言居士」と言われる大胆で的確な発言にはいつも感心したものだった。

一度、各界のプロフェッショナルを招くテレビの対談番組にご出演願ったことがある。
ご挨拶と打ち合せを兼ねて宝塚のご自宅を訪れた際に
私が同姓であることを告げると・・・「きっと、ええ人なんやろな」とニヤリと笑われた。

番組の収録はざっくばらんな雰囲気で笑いにつつまれた。
よく「ゴルフ界のドン」などと称されるが、そんな傲岸不遜なところは微塵もなかった。
女性インタビュアーがちょっと緊張気味だと見るや・・・

  「何でも聞いてや。何でも答えますよ。ただし下半身のことはアカンよ」

などと真面目な顔でおっしゃって、またまたスタジオには笑いがはじけた。
とにかく相手の気持ちを素早く忖度する「気配りの人」だった。
下積み時代のこと、自分のプレースタイル、若手ゴルファーへの苦言など
さまざまなことをお聞きしたが、何かの流れで当時の「校内暴力」や「家庭内暴力」の
話題になった時に、カメラに向き直ってこうキッパリと言われた。

  「親や先生を大切にしない奴は生きている価値がない。生きていなくていい!」

もちろん冗談めかした言い方ではあったが、ハッとさせられた。
若者が荒れる背景や原因を「社会」に求める迎合的な風潮が多かった中
まさに一刀両断の一言だった。

私はゴルフに詳しくないから杉原ファンからはお叱りを受けるかも知れないが
あり余る「才能」の持ち主ではなかったように思う。
素人の私が見ても華麗なスイングとは思えなかったし飛距離も出ない。
コツコツと刻みながらショットやパットで帳尻を合わせていく地味なプレースタイルだった。
それでも160センチそこそこという小柄な体で驚くほどの練習量をこなし
身の丈に余る長尺ドライバーを駆使して青木や尾崎、中島たちに果敢に挑んで行った。
自分の戦い方を知ったまさに「プロ中のプロ」だったと思う。

2006年の「つるやオープン」では68歳10ヶ月で予選通過。(世界最年長)
2010年の「中日クラウンズ」では同一大会51年連続出場を達成。(世界記録)
いずれもがん宣告を受けて以後のことだからスゴイと言うしかない。

石川遼や池田勇太、松山英樹など若手の台頭が著しいゴルフ界。
しかし、杉原さんはそんな若いゴルファーにも常に苦言を呈しておられた。

 「バンカーの砂でもフェアウェイのディポットでも、もっと丁寧に直さなアカン」
 「悔しまぎれにクラブを叩きつけるなど言語道断」
 「お客さんやスポンサーに感謝のないゴルファーはプロの資格がない」
 「トナーナメントに出てやってるという態度の奴が多い。出させてもらってるやろ」

そして、若手を引っ張っていく立場にある中堅選手たちの不振を嘆いておられた

あの「ゴマ塩」頭の野武士のような風貌が
もう見られないのかと思うとやはり寂しさがつのる。
あの「いぶし銀」のようなプレースタイルは杉原さんの生き方そのものだったと思う。
つねに「生涯現役」が口癖だった。
私もそうありたいが、果たしてできるだろうか・・・
愛すべき頑固おやじを見送るような年の瀬である。

 


12月30日 乞うご期待!

2011年12月28日 | 日記

年末恒例のドキュメンター番組のナレーション収録。
いつもの赤坂の編集スタジオへ。

赤坂見附の駅を出ると「フユザクラ」が可憐に咲いていた。
このサクラも元気に年を越すのだろうか。
今年は本当にいろいろあったなあ・・・と、しばしの感慨にふける。

午後1時半からナレーション収録開始。
プロデューサー&ディレクターのT氏も例年になく気合が入っている。
このシリーズドキュメンタリーも年を重ねて5年目だが
今年はとくに映像が素晴らしいと思う。

シリーズ「13億人の深層 老いゆく巨龍 ~中国・高齢者4億人の光と影~」
第5弾となる今回は中国の知られざる高齢化問題にスポットを当てた。
2011年、中国の60歳以上の高齢者数は1億8000万人。
すでに日本の人口を越える高齢者を抱えているが
今後、加速度的に増え、2050年には4億人を突破すると試算されている。
そんな中で「末富先老」という言葉が囁かれている。
先進国と違って「国が豊かになる前に老いてしまう」という深刻な現実を指す言葉だ。
悪評高かった「一人っ子政策」の弊害がこれから一気に噴き出し
その歪な人口構成は、やがて確実に中国の経済成長の足かせになっていく。
番組ではそんな現状を踏まえながら、二つの老人ホームに密着取材を敢行。
青島にオープンする富裕層向けの超高級老人ホームと農村の小さな老人ホーム。
そこに見えてくるのは中国の高齢化問題にひそむ意外な真実・・・・
さらに巨大な「介護市場」を目指して進出する日本企業の動きなども併せて
世界の経済大国・中国が悩む高齢化の「光と影」を追う。

ナレーション収録は順調に進行。
番組スタート時から毎年、ナレーションを担当して下さっているのは・・・

名優「大杉蓮」さんだ。
舞台・ドラマに多忙を極める中、この番組のために必ずスケジュールを割いて下さる。
一字一句を大切にした、噛みしめるような語りは心に響く。
スタッフがOKを出した箇所でも、ご自分から「ごめん、もう一度やらせて!」と来る。
制作者サイドにすれば本当にありがたい俳優さんだ。

無事ナレーション収録が終わってスタッフと記念撮影。
大杉さんはドラマと舞台で年末・年始もほとんど休みがないとか。
年末ジャンボの抽選を楽しみにしておられた(笑)
来年の「再会」を誓い合って別れる。

 番組の放送は12月30日午後1時30分から・・・
 テレビ東京系全国ネットで、乞うご期待!


こころの乾燥注意報

2011年12月27日 | 日記

空にはホワーンと雲が浮いている。
一見、のどかな日和だが寒気が厳しくてジョギングもつらい!

冷気のせいで肺が縮こまっているのだろうか
いつもに比べると息が苦しくてゼーゼーとまるで喘息患者のよう。
でも、空を見上げながら頑張って走る。

メタセコイアのとんがり帽子はいつ見てもカワユイ。

冬晴れの空に枯れ木のシルエットが映える。

こちらはすっかり葉も落ちて「丸裸」の風情。
天に向かって炸裂する雷の稲光のようにも見える。
青葉若葉の頃も、紅葉の季節もいいが
枯れ果てた木々が無防備で寒さに耐えている冬の眺めもいいなと思う。

また見つけた!
モワモワとした綿菓子のような不思議な現象。
切り取った茎から滲み出た水分が寒さで凍って「霜柱」になったらしい。
調べたらここはサルビアの花壇だった。
地中でもしっかり呼吸しているのだな、春にはまた真っ赤な花を咲かせるのだな。

ケヤキの木も寒そうだ。
東京にはずっと「乾燥注意報」が出ているらしい。
そう言えば、私の「こころ」も最近はずっと乾燥注意報だ。
小さな「怒り」や小さな「感動」ぱかりで爆発するような感情の発露がない。
ずっと不完全燃焼が続いている。
年を取るというのは、そういうことなのだろうか・・・
そんなことを考えていたら、ふと茨木のり子の詩の一節を思い出した。

   ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな
   みずから水やりを怠っておいて

そうか「水やり」か・・・うーん、そうだよなあ。

そのケヤキの表皮をめくって虫を観察中の息子。
学校が冬休みになって再びジョギングパートナーに復帰した。
オイ、冬眠中の虫を起こしたらアカンやろ。

誰もいない冬の公園。
寒くなると「公園人口」もめっきり減って来る。

帰り道、枯れ木の上でヒヨドリが高らかにさえずっていた。

    冬晴れや ヒヨドリ啼きて 年暮るる  (杉作)