まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

カワセミを撮った!

2012年09月30日 | 日記

久しぶりに一眼カメラを持って出かけた。
いつもの単焦点に望遠レンズも同伴してのカメラ散歩だ。

杉並区の善福寺公園。
善福寺池の周囲に広がる静かな公園だ。
わが家から自転車で30分あまりだからちょっと距離がある。

カラフルな足漕ぎボートが池面にゆらゆら。
土曜日なのにあまり人影もなくて深閑としている。
何度も深呼吸をしてオゾンを胸いっぱいに吸い込んでみる。

野鳥観察の人が何人もいる。
私も慌てて望遠レンズを装着して構えるが
動きが素早くてなかなか撮れない。
鳴き声からすると多分「モズ」だと思うんだけどなあ・・・

お、アオサギさんがいた!
この方は優雅な容姿に似合わず意外に攻撃的で神経質である。
私がカメラを構えるといきなりメンチを切られた。
と、思った瞬間、サッと飛びあがった!

おお、待て、逃がさんぞ!

葭原をぐるりと周回するとさらにスピードアップ。
カメラマンも懸命に追いかける。

そんな私を嘲笑うかのようにバタバタと飛び去ってしまった。
でも、この写真、結構な躍動感があっていいと思いませんかねえ!
まあ、ひとり満足ですが・・・

池の端にスイレンが群生している。
睡蓮と書いてスイレン、朝寝坊なのか午後になって花を開く。



宮本輝に「睡蓮の長いまどろみ」という小説があったが
漸く「まどろみ」から覚めたという風情だろうか。
写真を撮っていたら何やらこっちが眠たくなってきた。

睡蓮と言えばどうしてもクロード・モネの絵を連想する。
彼の睡蓮好きは有名でジヴェルニーの自宅の庭にわざわざ睡蓮池をつくり
来る日も来る日も飽きもせずに睡蓮を描き続けた。
その執念、情熱、思い、なんか恋愛に似ているなあとピント外れの妄想。
そんなことをボンヤリ考えいたら・・・

お、おお、カワセミがいる!
わがジョギング公園のバードサンクチュアリにもいるにはいるのだが
最近はトンと姿を見せずにヤキモキしていた。
その美しさは「渓流の宝石」などと呼ばれ、野鳥ファンの人気№1である。
まさかこんな遠征先で出逢えるとはラッキー!
獲物を狙っているようだから、こっちも息をひそめてカメラを構えたのだが・・・

サッと水に飛び込んで獲物をキャッチ!
うーん、動きが速すぎて撮れなかった・・・
嘴の先に小魚を咥えているのが見えるだろうか。
残念だが、まあ、カワセミを撮れただけで今日はよしとしよう。

子供がボートにのってはしゃいでいる。
そう言えばボートなんてもう何年も乗っていないなあ・・・
一瞬、乗ってみようかとも思ったのだが
いい年をしたオジサンが一人でボートを漕ぐ姿も憐れなのでやめた。
ちょっと汗ばむような日に・・・久しぶりに心にも汗をかいた。


 


贅沢な昼下がり

2012年09月29日 | 日記

例によって新宿で「ひとりランチ」だった。
打ち合せ前なので「昼ビール」はぐっと我慢した。



打ち合せ時間までまだ1時間以上あったので
ダッシュで損保ジャパンビルの美術館を覗いてみることにした。

42階の東郷青児美術館で開催中の「ジェームズ・アンソール」展。
あまり馴染みのない画家だったが
このシュールなポスターが前からずっと気になっていた。

この美術館は何度も来ているが
楽しみは42階の展望フロアからの眺望である。
絵を見る前に素晴らしい東京のパノラマを見ていつもウットリする。

何年か前にモード学校のけったいなビルが建って
せっかくの眺望が遮られるようになったのが何とも残念だ。

目の前にデーンと東京スカイツリー。
なにせガラス越しだから写真がくすんでしまうのは仕方がない。
周囲でもスカイツリーに「行った」「のぼった」という人が随分増えて来たが
私の場合は当分その予定はない。

東京タワーも健在である。
やっぱりこちら方が味わいがあって好きだなあ・・・
手前に広がる緑は新宿御苑で向こう側は神宮の森だろうか。
東京は緑が多いなあとあらためて思う。
さて、展覧会である。

ジェームズ・アンソールはベルギーの画家である。
1860年、黒海沿岸のオーステンドという避暑地に生まれた。
両親は観光客相手に貝殻や民芸品などを売る土産物店を営んでいたと言う。
ブリュッセルの王立アカデミーを卒業後はすぐに郷里に戻り
土産物店の二階の屋根裏部屋でひたすら絵を描いて90年近い生涯を終えた。
芸術の都パリを見ることもなく、生涯結婚することもなく
ある意味では孤独な人生であった。

アンソールの初期の作品には海浜風景が多い。
肖像画も風俗画も描いたが静かで写実的な海の風景が圧倒的に多い。
当然と言えば当然だが、そこにはどこか孤独の影が漂う。
これは16歳の時に描いた「海浜の着替小屋」という作品である。
どこかリゾート地の賑わいから置き去りにされたような寂寥が滲み出ている。
当時はこんな車輪つきの着替小屋などというものがあったのだなあ・・・
そして、画風はガラリと一変する。

後年の作品の大きなテーマとなったのが「仮面」であった。
仮面の他にも死体や骸骨といったグロテスクな作品を次々に描くようになった。
カルカチュアライズされているとは言え、やはり不気味さが漂う。
静かな海の風景を描いていた画家がなぜこのように劇的に画風を変化させたのか?
生家の土産物屋でカーニバル用の仮面を売っていたからと言われるが
おそらくそれだけではない筈である。
仮面は「孤独」の象徴であり、画家の精神風景そのものだったのではないか・・・



美術館の代表的な所蔵品がご存じゴッホの「ひまわり」である。
現在の損保ジャパンがまだ「安田火災」と呼ばれていたバブルの絶頂期
クリスティーズのオークションで53億円という高値で買って大いに話題となった。
その後、バブルがはじけて多くの名画が散逸する中
安田火災はずっとこの名画を所有し続け、美術ファンの底辺拡大に寄与した。
保険会社は嫌いだが、なかなか出来ることではないと感心する。
天才ゴッホの圧倒的な色彩に魅了される、まさに名画中の名画である。

セザンヌの「りんごとナプキン」も有名だ。
印象派の巨匠はこうした静物画も数多く描いている。
先日、三菱第一号美術館の「シャルダン展」を観に行ったが
同じ静物画でもまったく違った印象で、色彩が踊っているようである。

こちらはゴーギャンの「アリスカンの並木道」。
彼が南仏アルルでゴッホと共同生活を送っていた頃の作品である。
ゴッホとゴーギャンの因縁は有名な話だが
この後、ゴッホは発狂してピストル自殺、ゴーギャンは南海の孤島タヒチへと旅立つ。
二人の波乱万丈の人生が交錯する作品である。

私は絵を観た後は、決まって酒が飲みたくなる。
眼下に広がる歌舞伎町の猥雑を眺めながら心は激しく揺れ動いたが
ここはグッと我慢して打ち合せに向かった。
わずか1時間ほどだったが東京の眺望を楽しみ、名画にウットリし
なんとも贅沢で満ち足りた昼下がりであった。

 


秋の風物詩

2012年09月28日 | 日記

もうすっかり秋の空である。

普段は無機質な団地の高層棟も
ひつじ雲の中に建つとちょっと味わいがあったりする。

イチョウ並木もほのかに黄色く色づいて来た。
木の下では早くも「銀杏ひろい」のオバチャンたちが跋扈している。
いや、跋扈しているは失礼か・・・

森の中にはドングリがいっぱい落ちている。
写真を撮っている間にも周囲でポトポトと落ちる音がする。
いいな「秋の音」だな・・・
などと思っていると頭にドングリとは違う衝撃が!

痛ッ、おいおい、マジかよ・・・
帽子をかぶっていたからよかったものの
ただでさえ薄くなった頭頂部を直撃したら血だらけの惨事じゃないかよ!
こういう場合は労災保険は適用されるのだろうか。

今度はイチョウの葉がハラハラと舞い落ちてくる。
秋はいろんなものが落ちてくる季節だ。
まあ、ハラハラならいいけどなあ・・・

コスモスが咲き始めた。!
私はこのやわらかで儚げな花が大好きである。
秋の「風物詩」と言えばやっぱりこの花だなあと思う。

草むらではスズムシがすずやかな声で鳴いている。
コスモスは秋桜と書くけれど、確かに春の桜とは違った風情がある。

   ♪ 薄紅の秋桜が秋の日の 何気ない陽だまりに揺れている
     この頃 涙脆くなった母が 庭先でひとつ咳をする

百恵ちゃんはどうしているのかな・・・などと思う。

コスモスの花言葉は確か「純真」だったように思う。
うーん、自分にはすっかり縁遠くなってしまった言葉だなあと天を仰ぐ。
いや、そもそも純真な頃などあったのか・・・

赤トンボが羽を休めている。
近くで見ると本当に真っ赤である。
いろいろ種類があるようだが、これは「アキアカネ」だと思う。
つい最近までは「ナツアカネ」が群れ飛んでいたけど
昆虫の世界でも季節は急速に移ろいでいく。

こちらはキバナコスモス。
初夏の頃からしぶとく咲き続けている。
暑さに強いんだなあ・・・

芝生広場では遠足の幼稚園児たち。
とくに子供好きでもないけれど、この光景はいつもいいなあ・・・と思う。
これも秋の風物詩かも知れない。

何やらカメラばかり構えていて走りが足りない。
昨日も飲みすぎたからもうちょっと頑張って走らなければ・・・

   ♪ こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが滲みて来る

うーん、百恵ちゃんも秋の風物詩だな・・・

 


新調しました!

2012年09月27日 | 日記

世間的にはどうでもいいことだが・・・
ジョギングシューズを新調した。
酷使に耐えかねて左右の前部分が破れ
足の小指が飛び出しそうなので仕方なく靴屋さんに行った。

色は地味だがセールで3990円也。
もっと高くてカッコイイのもいっぱいあったが
とりあえず「弘法シューズを選ばず・・・」ということで決めた。

実は旧シューズはこのブログを始めるのと同時に買い求めたもので
結構、愛着があったのだが・・・一年半、お疲れ様でした!

なんかええ感じやな。
気のせいか足もちょっとスマートに見える。
気分一新、いざランに出発!

なんとも爽やかな秋空である。
新調シューズはキュッと締まってなかなか快調だ。
考えてみれば新調したいものがいっぱいあるなあ・・・と思う。

冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、ベッド、パソコン、携帯電話、コーヒーメーカー
ああ、それから息子のピアノ・・・いったいなんぼ金がいるねん!
とりあえず考えないことにする。

栗の実がいっぱい落ちている。

キノコもいっぱい顔を出している。
そういえば昨日、スーパーで大ぶりの松茸が並んでいた。
見ないことにして前を通り過ぎた。

公園脇の小学校から元気な声が・・・
そう言えばこれから本格的な運動会シーズンだ。

ハクセキレイがピョコピョコ歩いている。
今やすっかり身近な野鳥となった公園のアイドルだ。

こちらでは芝生広場の下草刈り。
シルバー人材センターから派遣される公園スタッフだ。
芝刈り機などは結構危険なもので、時には怪我をしたりすることもあるのだが
健康保険も労災保険も適用されないことが問題になっている。
厚生行政が常に「鈍感」で「後追い」なのは今に始まったことではないけれど
もっと現実を先取りして法律もドンドン「新調」して欲しいものだ。

いつものジョギングコースが工事中で通せんぼ。
ケヤキの大木にハシゴが架けられ、次々と枝が落ちてくる。
何事かと見上げると・・・

おお、すごい!
職人さんがスルスルと木を登って枝の剪定中。
「オーイ、高枝バサミを取ってくれ!」などと大声で叫んでいる。
見ているだけで足元がスーッと竦んでしまう「高所恐怖症」のオジサンは
ただただ感心しながら見上げるだけだ。

帰り道に見た引っ越し風景。
そう言えば秋は引っ越しシーズンでもある。
私は今まで30回近い引っ越しを体験したけれど
事情はどうあれ生活を「新調」するのは気持ちがいいし、希望も生まれる。
ただ、「引っ越し貧乏」とはよく言ったもので
引っ越しするたびに身軽にはなるが財布も軽くなってしまう。
現在の住まいはもう10年以上、本当はそろそろ引っ越したいのだが・・・


昼ビール

2012年09月26日 | 日記

すっかり秋めいた雰囲気。
あれほど元気だった入道雲もいつしか綿雲に・・・

公園を走っていても
半袖では何やら肌寒いような日が多い。
しばらく雨続きだったが、久しぶりに晴れてくれた。

温室前の広場にコスモスが咲いている。
最近はどこもキバナミスモスばかりが幅を利かしているが
「本物(?)」のコスモスはやっぱりいいな。

キキョウも咲いている。
♪ 春は菜の花 秋には桔梗・・・なんて中島みゆきも歌っていた。

公園のギタリスト。
かなりの弾き手とお見受け、いやお耳受けした。
曲は「アルハンブラの思い出」だったような気がするが・・・?
午後から所用で池袋へ。

用事が終わると昼時だったのでフラリと西口のレストランへ。
なんでこんなものがテーブルにあるかと言うと・・・

つまりはこういうことである。
最近、外出するとついつい昼ビールを飲んでしまう。
体の内部から湧き上がる激しい「衝動」をどうしても抑え切れない。
いよいよ「アル中」突入かも知れない。

銀座ライオン池袋西口店。
昔ながらのビアホールは何とも言えない重厚感がある。
それとは関係なく仕事の「解放感」を噛みしめながらクビッ、グビッ・・
隣のサラリーマンが「尖閣問題」をしきりに憤慨し合っている。
今度は台湾の漁船や巡視船が大挙して押し寄せて一触即発の状態だ。
放水合戦ならまだしも、これが銃撃戦にでもなったらと
さすがに心配になって来る。

ランチ到着。
このハンバーグ、柔らかくてジューシーで美味かった。
右の厚切りベーコンの煮込みも味わいがあってビールにピッタリだった。
昼ビールはいいなあ・・・と思わず呟く。



向かいの席には上司らしいオジサンと部下の女性。
怪し気な「不倫」の雰囲気を思い切りプンプンと発散させていた。
女性がナプキンでオジサンの口元を拭いてやったりしていた。
激しい義憤がわきあがってビールのお代りを注文しそうになったが
ここはぐっと我慢で隠忍自重であった。

その後、本屋に寄って帰宅。
東の空がきれいな茜色に染まっていた。
ちょっとだけ仕事をして、その日はしっかりと夜ビールも飲んでしまった。
明日からは心を入れ替えて生きたいと思った。