まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

石神井公園の衝撃

2011年06月30日 | 日記
仕事でどうしても急ぎの資料が必要になり
日盛りの中を、自転車で石神井公園へ向かう。
あまりの日差しにクラクラする。



わがホームグランドと違って
石神井公園は石神井池や三宝寺池を囲んで緑が広がる
水の「潤い」たっぷりの公園だ。
知り合いの若い女性ディレクターは私のブログに触発されて
最近、石神井公園のジョギングを始めたらしいのだが、今日も走ったのだろうか。



池の周りでは何人もの「太公望」が釣り糸を垂れている。
それぞれがクーラーボックスや簡易椅子、パラソルまで用意して本格的だ。
互いに言葉を交わしあう様子はない。
ただ、黙って静かに釣り糸の先を見つめている。



どこか「孤高」のたたずまいとでも言うのか
いつもなら「何が釣れますか?」などとバカな質問をするのだが
まったくその余地がないような雰囲気を発散していらっしゃる。
石神井公園の太公望は哲学者か・・・



池のほとりのトンボも
仲間と群れ飛ぶ風はなく、じっと孤独に耐えている風情。
ここではトンボも哲学者か!



池の周りには尾瀬のような木道が整備されていて
公園散歩の人が楽しげに行き来する。
その木道をぬけたところで、驚くべき光景を目にしてしまった!



公園で半裸の日光浴!
およそ哲学者らしからぬ蛮行ではあるまいか!
中には、半裸どころか写真に撮るのもはばかられるような御仁もいた。
石神井警察は撮り締まらなくてもいいのだろうか・・・


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夏色

2011年06月29日 | 日記
仕事に手間取り、ジョギング開始は昼前。
猛暑の中へ敢然と飛び出す。



連日、36度をこす暑さで
10分も走らない間に汗が全身から噴き出す。
でも「走っているな!」という充実感も全身にみなぎって来る。



バックネットの向こう側に広がる空は、もうすっかり夏色だ。
そういえば、ゆずの「夏色」を初めて聴いたのは、もう10年以上も前のことだ。
確か旅番組のロケハンのため、北陸道を走る車のラジオからだったような記憶がある。

Yuzu - Natsuiro (PV)


♪あの長い長い坂道をぬけて 君を自転車の後ろに乗せて
 ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく・・・

アップテンポの軽快な曲だが
どこか夏のせつなさや気だるさが底流に流れていて
それが、もう二度と還らない自分だけの「夏の思い出」とオーバーラップして
思わず「ああ・・」などと、やるせない吐息を吐いたりしたものだ。
横浜・伊勢佐木町の名もないストリートミュージシャンだった彼らは
この1曲でスターダムにのし上がり、日本の音楽シーンを代表するビッグアーチストに成長した。



夏生まれだから、昔から夏は大好きだった。
しかし、年とともにメタボ体型となり、汗をかく夏は苦手になっていった。
でも、ジョギングを始めて以来、汗をかく夏がまた好きになりつつある。
もう夏の「せつない思い出」にはトンと縁遠くなってしまったけれど。



小学生たちの「夏遠足」に出逢った。
みんな屈託がなく楽しそうだ。
でも、君たちもやがて夏は「せつない季節」だと知ることになるだろう。
いや、きっとなる!とオジサンは断言する。



帰り道、昼ごはんを買いにスーパーによると
もう七夕飾りが出ていた。

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♪誰もいない海

2011年06月28日 | 日記
お台場の某所で打ち合せ。
ちょっと早めに着いたので「お台場海浜公園」をお散歩。



誰もいない海岸でスズメちゃんがお出迎え。
都会ずれ(?)していないのか、しきりにジャレ寄って来る。
お台場の雀は人懐っこい。



人っ子ひとりいない昼下がりの海岸。
みごとなまでに「人口的」な浜だ。
霧雨の中でレインボーブリッジが遠く霞んで見える。
それにしても、暑い!
海で湿気が多いせいか、肌にまとわりつくような不快な暑さ。
海に来たという「高揚感」「解放感」が全くない。



お台場の浜にも波は打ち寄せては来るのだが
なにせ波に力がない。
まさしく管理された人口の海。



海っぺりのマンションの住人は
それでもこの風景に自然の「癒し」を感じながら暮らしているのだろうか。
海の見える家に住むのがずっと夢だったが
でも、ここの海はイヤだ。



沖では「鵜」が羽を休めている。
彼らにとってはビルに囲まれた人口の海でも、かけがえのない猟場だ。
釣り糸を垂れる人もいて、魚は意外に多いと聞いた。
台湾人らしい騒がしい一団がやって来たので
早々に引きあげる。



海岸に打ち捨てられた、ささやかな「海のモニュメント」。
海のようで海でない、公園のようで公園でない
ここは不思議な空間だ。

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お犬様族の横暴

2011年06月27日 | 日記
公園は犬たちにとって「散歩天国」だ。



うららかな陽射しの下
原っぱでのんびり犬を遊ばせている光景は
それはそれで「牧歌」だ。
ただ、それも小型犬なら可愛いのだが・・・



木立ちの間から、突然、大型犬が飛び出して来てギョッとすることがある。
しかも、リードを外した犬が「ハァハァ」と唸りながら・・・
驚いて、思わず飛びのいたりするのだが
後から飼い主が悪びれた風もなく犬の名を呼びながらニコニコとやって来る。



公園ではリードを外した犬の散歩は禁止されている。
実際、公園管理課に寄せられる「苦情ナンバーワン」らしい。
大きな犬を怖がる人は多いし、もし噛みつきでもしたら笑い事では済まない。
最近は、飼い主の余りのマナーの悪さ(フンの後始末など)から
犬の立ち入りそのものを禁じている公園さえある。



いつだったか、子供と公園でサッカーボールを蹴りあっていて
それたボールが犬たちの輪の中に飛び込んだ時
「うちの○○ちゃんに何をするのよ!」と血相を変えて抗議されたことがある。
一応は謝ったのだが、私が「リード外しての散歩は禁止だろう」と言うと
「犬とサッカーとどっちが危険なのよ!あんた頭おかしいんじゃないの」と一言。
他の犬オバサンたちも大きく頷いて同調。
以来、私はオバサンたちを「お犬様族」と呼んで忌み嫌うようになった。



犬が「家族の一員」と呼ばれるようになって久しい。
確かに一人暮らしの人や、身寄りのない独居老人たちにとって
犬はかけがえのない「家族」だろうし、その心情は痛いほどわかる。
しかし、それとこれとは別問題だ。
犬への愛情が盲目的になって「犬バカ」になってはいけない。



帰り道、野良猫の「トン」を久しぶりに見かけた。
近づくとすぐに「トンズラ」するので私が勝手に名前をつけたのだが
今日は珍しく、人なつこい顔(?)でこっちを向いてくれた。
なんだかホッとする。
野良猫はチヤホヤされもせず、綺麗なおベベを着せてもらう訳でもなく
いつも淡々と超然と生きている。
私にとっては、この猫も公園のかけがえのない「風景」なのである。

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お天道様が見ている

2011年06月26日 | 日記
梅雨晴れの空。
朝から気温がグングン上がり、30分も走ると汗がしたたる。



なるべく直射日光を浴びないように木立ちの中の道を走る。
この歳になるなると日焼けは大敵だ。
ただ、陽射しを避けるためもあるが、林間の道にはもう一つの楽しみもある。



緑の木々の間から幾重にも降りそぞぐ「木洩れ日」。
そのやわらかな光線をぬって走っていると、なにやら至福の気分になる。

あらたうと 青葉若葉の 日の光 (芭蕉)

などという句が口をついて出たりする。
日の光、すなわち太陽の光は生きとし生けるもの全ての「命」の根源だが
人間の精神にとっても絶大な「功徳」をもたらしてくれる。



昔の人は太陽を「お天道様」と呼んで尊んだ。
まさに人の規範となる「天の道」。
子供の頃、悪戯をしたり学校の宿題をサボったりすると
決まって母親から「お天道様が見ているよ!」と叱られたものだ。
にも関わらず「お天道様にそむく」ような生き方ばかりを選んできた私ではあるが・・・



考えてみるに・・・
最近の親は子供に目先の「損得」や薄っぺらな「処世」ばかりを説き
人間が生きていく上で最低限必要な「規範」や「モラル」
自分を律する絶対的な「価値感」を教えることを放棄して来たのではなかろうか?
まあ、親自身にそれがない、というべきか。



「お天道様が・・・」は何も戒めだけではない。
わが子が苦境の中にいる時、努力が報われず自暴自棄になりかけている時
「お天道はちゃんと見ているからね!」
と励ます言葉でもある。
つらい時、実は私もそんな言葉で自分を励ましている。


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