まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

努力は報われるか?

2016年03月31日 | 日記

開花は意外に早かったものの
その後はくずぐずと足踏み状態だった今年のサクラ。
ここ数日の陽気で一気にほころんで来ました。



お馴染み石神井川の桜並木。
日当たりがいいのでほとんど満開状態ですねえ。
川をはさんで両岸に咲く桜並木は2キロ以上にも渡って続き
人も少ないのでまさに「穴場」なんです。
ただしゴザを敷いて花見の宴会をするようなスペースはありません。



今年も元気で無事に桜を見ることが出来た・・・
それだけでもう十分だ・・
そんな殊勝な気持ちにさせる不思議な力が桜にはありますねえ。
でも、その感謝の気持ちが三日と続きません。(笑)



川沿いでネコヤナギを見つけました。
猫の尻尾に似てるから猫柳。
ちょっと花穂に勢いがなくそろそろ終わりかけかも知れません。

皆さん、ネコヤナギの花言葉って知っていますか?
スバリ、『努力は報われる』です。
数あることわざ格言の中でも「永遠不変」の真理と思われがちですが
この言葉は正確ではありませんねえ。
世の中には確かに報われる努力もあるけれど
それ以上に「報われない努力」が山のようにあると言うべきでしょうか。
いや、むしろその方がほとんどかも知れません。
圧倒的なパワーや才能の前では努力などひとたまりもありません。
体現者である私が言うのですから間違いありません。



努力は人を裏切らない・・・なんて言葉もありますね。
これも嘘っぱちです。
努力は平気で人を裏切りますし、人を打ちのめします。
以前、ダルビッシュ投手がTVのインタビューに答えていた言葉を覚えています。

  練習は嘘をつかないって言葉があるけど
  頭使って練習しないと、普通に嘘をつくよ。

そうなんですよねえ。
ただ闇雲にバカみたいに努力したって人は成長しません。
緻密に考え戦略を練って努力しないとすべては骨折り損のくたびれ儲けです。
その点、ベートーベンの言葉は深いです。

  努力した者が成功するとは限らない。
  しかし、成功する者は皆努力している。

うーん、それは言えているかも知れませんねえ。
ネコヤナギを見ただけで
そこまで「努力」を論じるオレって凄いなあと思いつつ
つくづく「努力不足」を痛感します。(笑)

 


串カツで超変革!

2016年03月30日 | 日記

縁起をかついで
久しぶりに「串カツ」を食べました。
揚げ物は体によくないと思いつつ欲求には勝てませんでした。



どうです美味そうでしょう!
チェーン店とは言え「大阪発」の味で懐かしいです。
ビールに串カツは余りにも定番すぎますがやっぱりコレでしょう!
おかげで「串勝つ!」の縁起効果抜群で
わが阪神タイガースはツバメ軍団を相手に三連勝でした。



ゴメスの一発が効きましたねえ。
あの展開なら藤浪くんには完投して欲しかったのですが
まあ、次の課題としましょう。
開幕初戦に負けた時は「ああ、今年も・・」と気弱になったものの
金本阪神、なかなか調子がいいようですねえ。
聞けば今年のキャッチフレーズは「超変革」だそうです。
従来の変革を超えた変革
もっとドラスティックな意識改革といったイメージでしょうか。
ぜひ、今までとは違ったトラを見たいものです。



最近のお切り入りは「紅ショウガ」です。
ジンジャーの香りがピリリと効いてさわやかな味です。
実は長い間食べず嫌いで、つい最近初体験したばかりなのですが
この年になると新しい味にチャレンジすることもめったになくなりました。
そんな意気地のないことではダメだ!
食べものに限らずもっともっと新しいことに挑戦しなければ!
それが「超変革」なのでしょうが、うーん・・(笑)


漱石は遠くなりにけり

2016年03月29日 | 日記

東京・豊島区の雑司ヶ谷霊園です。
春のお彼岸で賑わった園内も今はひっそりとしています。
大小無数のお墓が点在する中に
ひときわ立派なこの墓石・・・誰のお墓かわかりますか?



下に「夏目」の墓名が読めますが・・
そうです、日本を代表する文豪・夏目漱石のお墓ですね。
今年は夏目漱石が亡くなってから「没後100年」の節目の年だそうです。
どう節目なのか、よくわかりません。(笑)
ただ、夏目漱石は「明治」という時代を象徴する文豪ですから
明治は遠くなりにけり・・・と似たようなニュアンスを感じさせます。



各地の博物館や文学館では
没後100年を記念するイベントや企画が目白押しです。
横浜の港が見える丘公園内にある
神奈川近代文学館ではご覧の展覧会が5月22日まで開催中です。

 「百年、私の墓の傍に坐って待ってゐて下さい。屹度逢ひに来ますから」

これは確か「夢十夜」の一節ですねえ。
それにしても夏目漱石はなぜこれほど人気があるのでしょうか。
去年だったか一昨年だったが
新潮文庫が高校生の読書感想文人気ベスト5を発表したところ
ベスト1に「こころ」、ベスト4に「坊ちゃん」と
なんと二冊も入っていました。
100年経っても人々に愛され続けているのは
やはりそこに「普遍」が描かれているからではないでしょうかねえ。



前にもこのブログで書いたことがありますが
大学時代、仲間と夏目漱石の「読書会」をやっていたことがあります。
文学部でもなく、さして読者家でもなかった私が
なぜ大学の授業ではなく読書会などに熱心だったのか
やはり漱石の持つ不思議な「磁力」とアカデミックな雰囲気に憧れたのでしょうか。
メンバーの中に好きな女の子がいたのは関係ありません。(笑)

読書会の一番人気はやはり「こころ」でした。
漱石の作品には人間の「エゴイズム」をテーマにしたものが多いのですが
恋愛をとるか友情をとるか、人間にとってエゴイズムは罪か・・・
いまとなっては気恥ずかしく稚拙な仲間との議論も
自分が成長するためのかけがえのない青春の通過点でした。
個人的には「虞美人草」が好きでしたが・・・



去年、たまたま覗いた書道展で
漱石の「草枕」の一節を描いた書を見かけました。

 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。
 意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。

格調高い文語調の文章は
いまの若い人にとっつきにくいのかも知れませんが
そこにはまぎれもなく明治という時代の「精神」が描きこまれています。
漱石の文化や芸術に対する洞察の深さがあふれています。
明治はドンドン遠くなって行き来ますが
100年たった今こそ
夏目漱石という小説家が生きた明治を見直すべきかもれませんねえ。

 


忘れられない桜

2016年03月28日 | 日記

いつもの公園の桜です。
仕事の行き帰りに眺めるソメイヨシノです。
日当たりがいいせいか早くも「七分咲き」といった風情です。



桜という花は不思議なもので
強烈なイメージの喚起力を持っているような気がします。
幻想と言ったらいいのか
それとも幻影と呼んだらいいのか
目の前の桜はあくまでもありふれたソメイヨシノであっても
その向うに遠い日に見たさまざまな「桜の記憶」がよみがえって来るのです。



奈良・吉野山の桜です。
かつて太閤秀吉が豪華な花見の宴を開いたことで知られる吉野山は
尾根から谷を埋め尽くす全山ヤマザクラの饗宴。
下千本に始まり中千本から上千本まで三週間以上にわたって
およそ三万本の桜が山肌を染め上げていく様は
まさに「天下一」の名にふさわしい雄大華麗な眺めですねえ。
今でも夢に見ます。



京都は祇園白川の桜です。
とくに高瀬川に沿って咲く夜桜は京都ならではの風情があって
いま思い出しても心がせつなく疼きます。
わが青春の桜ですねえ。

  清水へ 祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人 みな美しき哉

与謝野晶子の胸の高ぶりさもありなん・・・
今でも夢に見ますねえ。



インパクではこれに勝る桜はありません。
山梨県北杜市の実相時の境内にそびえ咲く「山高神代桜」は
樹齢1800年とも言われるエドヒガンザクラの老木。
まさに威風堂々、精気ハツラツ、
初めて見て以来、そのあまりの毒気に当てられて
今でも夢にうなされます。(笑)

皆さんにはどんな「忘れられない桜」がありますか?


乙武さんに同情する

2016年03月27日 | 日記

あくまでも同情であって擁護するわけではない。(苦笑)
あの乙武さんが「不倫問題」で各方面からバッシングを受けている。
本人も認めているからおそらく本当なのだろう。



著書「五体不満足」がベストセラーになり
その爽やかな笑顔と誠実な人柄でたちまち有名人となった。
来たる参院選挙では自民党から出馬要請を受けているという噂も聞く。
週刊誌報道もそこらへんをターゲットにしたのだろう。
確かに知名度も好感度も高く「品行方正」を絵に描いたような人である。
それだけに私も不倫誌報道には意外な感じがしたのだが
よくよく考えれば無理もないのである。



乙武さんは生れつき手足がない。
哀しいかな「性欲処理」を自分ですることが出来ない。
彼はまだ四十前と聞くが元気な盛りである。
五体満足な男であれば自分の手で簡単に済ますことが出来る。
しかし、彼は誰かに手伝ってもらうしかない。
結婚している彼にとって本来それは奥さんの役割なのだが
彼女は一歳、五歳、八歳の幼い子供たちの子育てに日々追いまくられて
とてもそれどころではなかったのではないか?
そう考えると奥さんが「自分にも責任があります」と謝罪したのも
ちょっと頷けるような気がするのである。
もちろん実際、不倫は不倫なのだから擁護する気はない。
ただ、私が乙武さん同情するのには訳がある。



乙武さんは五体不満足は不便だが不幸ではないと語っている。
しかし、不便が不幸になるケースもある。
体にハンディキャップを持つ人たちの「性」の問題は
依然として社会ではタブー視されているが
抑えきれない性の衝動とどう向き合うかは障害者にとって深刻な問題である。
以前、身障者の「性処理」を専門にするヘルパーさんがいると聞き
番組でその「現場」を取材しようと奔走したことがある。
結果、本人たちの了解も得られて撮影も出来て
私はナレーションまで描き始めたのだが番組は直前になって中止となった。
スポンサーの「そんなものは見たくない」の一言だった。
汚いもの、都合の悪いものはひたすら遠ざけ
社会の片隅に追いやるテレビ、というより人間の悪しき習性は
今も全く変わっていないような気がする。



人間、キレイなものだけを見て生きていければ
それはそれで幸せかも知れない。
しかし、世の中には見たくない、目の前から遠ざけたい
「恥部」や「暗部」は山ほどあって
今回の乙武さんの騒ぎも単なる不倫ではなく
もっともっと深い問題を孕んでいると思うのだが
どうだろうか・・・