まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

フェルメール再び!

2015年02月28日 | 日記

フェルメールに逢いに行って来ました。
新国立美術館で始まった「ルーヴル美術館展」です。

東京都美術館で「真珠の首飾りの少女」に逢ったのは3年前。
今回は風俗画の傑作「天文学者」が初来日。
ルーヴル美術館にもフェルメールの作品は2点しかありませんから
こんなチャンスはめったにないのです。

ヨハネス・フェルメール作「天文学者」です。
窓辺にこぼれる柔らかな陽射しの中、天球儀に手を置きながら思索にふける天文学者。
350年も前の作品とは思えない鮮やかで奥深い色彩ですね。
フェルメールは17世紀、オランダ絵画の黄金期を代表する画家です。
生年月日は不明、自画像さえない「謎の画家」で、生涯に描いた作品もわずか三十数点。
この「天文学者」は第二次大戦中はナチス・ドイツに収奪されるなど数奇な運命を生きましたが
そのヒトラーさえも魅了した作品と言われています。
そう言えば、若き日のヒトラーは画家を目指したこともありましたね。

この美しい色彩、完璧な構図、画面に漂う静けさ。
私、この日はちょっと面白くないことがあってムシャクシャしてましたが
この絵を見ているとウソのように心が凪いで来ました。



フェルメールばかりを持ち上げましたが
テッツァーノ、レンブラント、ルーベンス、ブーシェ、シャルダン、ミレーなど
他にもヨーロッパ絵画の名作がズラリと集結、見ごたえがありました。

3月にはマグリットもやって来るそうです。
国立美術館なのに入場料1600円は一言文句を言いたいところですが
期間中にもう何回か訪れようと思います~♪



フェルメール並んで紹介するのは恐縮ですが・・・
本日の「美の巨人たち」は初めての「駅シリーズ」ということで
開業100年を迎えた東京駅を取り上げます。
美しい赤レンガで知られる東京駅丸の内駅舎はどのように保存・復元されたのか
そこに息づく職人の技の凄さに迫ります。
夜10時から、お楽しみに!

 


春眠暁を覚えず

2015年02月27日 | 日記

そぼ降る冷たい雨の中で
真っ赤なバラがすっくと立ち咲いていました。

私にはこのような逞しさも
このような凛々しさもありませんが
思わず拍手を送りたくなるような立派な立ち姿でした。

そこまで近づいていた春が
一気に遠ざかっていくような寒さでしたねえ。
なぜか朝食の「ゆで卵」がうまく剥けなくてずっと重い気分の一日でした。
そんな些事に心を煩わされてどうするんだと思いますが
アレ、意外にダメージなんですよね。(笑)
出来ることならゆで卵をキレイに剥いてスッキリとした一日にしたいものです。

昔から「春眠暁を覚えず」と言います。
春の眠りは本当に心地よく、うっかり寝過ごして夜明けに気がつかない
というほどの意味でしょうか・・・
でも、春なのになかなか眠れません、すぐ目が覚めてしまいます。
昨夜も晩酌のビールとハイボールでいい気分になり、10時過ぎには早々に沈没。
でも、2時過ぎには目が覚めてしまいました。
暁を覚えずどころか、夜明けまで5時間も待つような有様でした。(笑)
仕方なく仕事しましたが・・・



最近は睡眠障害を訴える人が多いそうです。
国民の3人に1人は「不眠症」というデータもあるそうです。
不眠症というのは寝ようと思って眠れない人のことを言うのだと思うのですが
私の場合は寝ようと思えば瞬時に眠ることができます。
でも、すぐに目が覚めてしまうのです。
悩み事や心配事は山ほどありますが、それで不眠症になるほどヤワな神経ではありません。
年を取ると体力が衰えて長時間は眠れないなどと言いますが
やはり加齢のせいでしょうか。
あれこれ考えるとますます眠れなくなってしまいます。(笑)

昨日2月26日は「二・二六」事件の日でした。
国家転覆を目論む青年将校たちは早朝に一斉に蜂起しましたが
そんな元気のないオジサンは「風呂の日(26日)」に激しく心惹かれました。
ゆっくりお風呂で温まったら気持ちよく眠れるかも知れない。
そう思っていつもより念入りに入浴剤を吟味。
まだ一度も行ったことのない憧れの「湯布院の湯」を選んだのですが・・・

やはり目覚めたのは早朝2時。
湯布院の湯の効能もまったくないまま
まんじりともせずに夜明けを迎えたのでした。(笑)


 


つらつら椿

2015年02月26日 | 日記

公園のはずれにあるツバキ園です。
年明けから咲き始めたツバキがそろそろ満開です。



いつものジョギングコースからは外れているので
めったに覗きませんが、ちょっと見ない間に一斉に蕾が開いていました。

ツバキと言えば万葉集の有名な和歌を思い出します。

  巨勢山の つらつら椿つらつらに 見つつ思はな 巨勢の春野に (巻1-54)

巨勢山とは現在の奈良県御所市にある風光豊かな山で
持統天皇が文武天皇とともに白浜温泉に行幸した折に同行の坂戸人足が詠んだ歌です。
私、若い頃に御所の隣りの当麻寺というところに住んでいて
一度、巨勢の椿を見に行ったことがありますが・・・うーん、よく覚えていません。(笑)

つらつら椿の「つらつら」というリズム感がいいですよね。
つらつらは、つらつら思うに・・などとと使うように「念を入れる」という意味です。
あの有名な巨勢の椿をじっくりと見てみたいものだなあ・・・
という実に単純な和歌ですが、さすが万葉集、実に味わい深いですねえ。



ツバキは日本の代表的な「茶花」です。
侘びさびた茶室の一輪挿しにツバキが活けてあるだけで身震いするような風流を感じます。
ハイ、日本人とはそういう民族なのです。(笑)



速水御舟の名作「名樹散椿」です。
先日、仕事帰りに広尾の山種美術館で再会して来ました!!
二曲一双の金地ノ屏風に描かれた見事なツバキの名木はまさに様式美の極地。
思わず見惚れてしまいますねえ。
これは京都の北区にある「地蔵院」の椿ですが
御舟が写生をした当時でも、樹齢400年以上の老木でした。
残念ながら今はもうありません。



これが有名な「侘助」です。
黒味がかった濃い紅が何ともスゲェー!
ツバキは園芸種も含めて何千種類もあるそうで
本当に奥が深い花だなあと「つらつら」と思った次第であります。(笑)

 

 


視線を外さない

2015年02月25日 | 日記

今朝の朝焼けです。
どこか春らしい夜明けですね。
ふと「枕草子」の一節が頭に浮かびました。

   春はあけぼの。

   やうやう白くなりゆく山際、 少しあかりて、 紫だちたる雲の、 細くたなびきたる。

そんな感じの空でした。

ジョギングの休憩中に真っ黒な犬と出会いました。
犬の種類はよくわかりませんが、かなりの老齢犬のようでした。
歩き方はエッチラオッチラ、座る時もドッコイショといった感じでした。
でも、この犬、ご主人をじっと見つめて視線を外しません。
落ち着きなく動き回ったり、やたらと臭いを嗅ぎ回ったりする犬が多いのですが
まさに泰然自若、微動だにせずにご主人を見つめているのです。
その視線のひたむきさに、ちょっとドキッとしました。



日当たりのいい場所に移動して、ご主人はスマホ中。
犬は腹這いになったまま、その間もずっとご主人を見つめ続けています。
本当に一瞬たりとも視線を外さないのです。
それは犬と言うより、愛する人を見つめる恋人のような視線でした。
近頃は面と向かって喋っていても
まともに人の目を見ないような人間が増えて来た来ましたが
この犬のウソのない真っ直ぐな視線には、ちょっと感動を覚えてしまいました。

で、思い出した写真があります。



これは二年前の同じ頃に公園で撮った写真です。
男の方は妙にヘラヘラした今どきのニーチャンでしたが
それを見つめる彼女のゆるぎない視線の強さに「愛」を感じてしまいました。
電車の中でも熱い視線を交し合う男女をたまに見かけますが
あれはいいものですねえ。
オジサンは恥ずかしくてとても出来ませんが・・・

あれから二年が経って、このカップルはどうなったのでしょうか。(笑)



帰り道に猫も見かけました。
この子も一応、こちらに視線を向けていますが
よく見ると半眼朦朧で、時々、視線が泳いでしまっていますねえ。(笑)

で、何が言いたいのかというと
視線を外さずじっと物事を見つめ続ければ
きっと今まで見えなかったことがいろいろ見えて来ると言うことです。
もちろん「こじつけ」ですが・・・(笑)




おせっかいのいない時代

2015年02月24日 | 日記

梅林の白梅がようやく咲き始めた。
公園の中でも梅林は少し日当たりが悪いせいだろうか
毎年、紅梅よりかなり遅れて咲き始める。

顔を近づけるといい香りがする。
まだパラパラと「一分咲き」程度だから香りは少ないが
やかて満開になると梅林は甘くすずやかな香りにつつまれて桃源郷となる。
うーん、待ち遠しい~♪

幼稚園児たちも梅林散歩。
他人の子供だが思わず頬がゆるんでしまう。
でも、勝手にこんな写真を撮ると抗議されても仕方がない時代である。
個人情報とプライバシーばかりが幅をきかせて
人の子供への「干渉」や「おせっかい」など御法度の時代なのである。



川崎でまた痛ましい事件があった。
このご時世だからもはや何があっても驚かないが
被害者の13歳の少年が島根県の離島の出身と聞いて他人事とは思えなかった。
いつもながら「何とかならなかったのか」という無念がつのる。
誰が見ても少年の「異変」は明らかだったのに
大人が踏み込んで「干渉」や「おせっかい」を焼く余地はなかったのか。
担任の教師も何度か家庭訪問はしていて、その度に少年も両親も不在がちだったと聞くが
そこからもう一歩踏み込む「強引さ」はなかったのか。
それを許さぬ無言の「自己規制」が社会全体を縛っているような気がする。



それにしても・・・
少年犯罪のここまでの残虐さはいったい何だろうか。
カッターナイフ、結束バンド、血だまり、衣服を燃やしての証拠隠滅・・・
今どき暴力団も真っ青の所業で、言葉を失ってしまう。
昔から不良グループなどどこの町にもいたし、悪さの程度もたかが知れていた。
それがいつの頃から少年犯罪の枠を逸脱して
人を徹底的に痛めつけ、一時の感情だけで命を奪って平然としている。
どう考えても、15、6歳の子供にそれだけの「怒り」や「恨み」の背景がある筈もなく
途方に暮れるとはこのことかも知れない。
まあ、十代の女性が「人を殺してみたい」と思ったりする時代だから
たかが集団暴行など可愛いものかも知れない。

少年が6年前まで暮らしていた隠岐の島は
島根半島の沖、周囲を海に囲まれた人情豊かな土地である。
彼は大好きなバスケに熱中し、休日には友だちと海で泳ぎ回る活発な少年だったらしい。
隠岐の海は透明度が高く、私でも泳いでいるイカが手で掬えるほどだ。
そんな大自然の中で育った純朴で人懐こい少年が
得体の知らない大都会に移り住んだばっかりに夢多き人生は暗転した。
そのまま島で暮らしていたら・・・と思ってしまう。
彼の異変に気づき、おせっかいをやく大人が一人でもいたら・・・
とも思ってしまう。