北風がピープー吹き抜けていきます。
冬来たりなば・・・なんて詩のフレーズが浮かびましたが
春はまだまだ遠い夢物語ですねえ。
やっと原稿を書き終えてホッとひと息。
条件反射で猛然と本が読みたくなって本棚を漁りました。
最近は新聞に目を通すのがやっとの状態で
ゆっくりじっくり本を読む時間がないのがとても残念です。
こんなことでは人間が堕落するなあ・・・
などと思っていたらこんな本が目に止まりました。
世田谷文学館の「茨木のり子」展に行った時の図録です。
確か二年前の四月だったか五月だったか・・・
すっかり忘れていてホコリをかぶっていました。
心に沁みるようないい展覧会でした。
詩の原稿や草稿はもちろん、詩人仲間との書簡集などもあって
実に興味深く会場を見て回った記憶があります。
とくに東伏見にあった彼女の自宅が
お気に入りの家具やこだわりの雑貨とともに再現されていて
すっかり興奮してしまいました。
彼女の詩は頭の中で構築した難解な言葉ではなく
生活の中から自然に紡ぎ出した言葉だったのでしょうね。
ポートレートが数多くありました。
どこか向田邦子さんに似ていると思うのは私だけでしょうか・
理知的で品があってキリリとした気骨を感じます。
「倚(よ)りかからず」
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
彼女はいつも胸に「決意」を光らせて
詩と格闘していましたね。
茨木のり子の詩が他の人と違うのは
その言葉の奥底に深いユーモアがあることですね。
「一人は賑やか」
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある
一人でいるのは賑やかだ
誓って負け惜しみなんかじゃない
一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな
恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ
一人が賑やかと感じる感性は素晴らしいですね。
私も一人が大好きな人間ですが
一人でいると「よからぬ想い」も湧いて来ます。(笑)