まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

年の瀬ハイボール

2013年12月31日 | 日記

いよいよ年も押しつまって・・・
昨日は都内にお正月食品の買い出しに出かけました。

東京・日本橋の「島根館」です。
その名の通りわが郷里・島根県のアンテナショップです。
お正月はやっぱり故郷の味で祝いたい!
最近はすっかり我が家の年末行事となりました。

店内は予想外の大混雑でした。
今年は出雲大社の式年遷宮でしたのでよけいに人気かも知れません。
私も母の葬儀と49日の法要で二度帰りましたが
さすがに土産は買えませんでした。

おお、「しまねっこ」がいました!
2013年の「ゆるキャラ・グランプリ」では10位に輝きました!
何かと不憫な島根県人としては嬉しい限りです。(笑)

名物の「あご野焼き」と隠岐の「生ウニ」を購入!
「あご」とはトビウオのことで
これを練り込んだ巨大竹輪風の「かまぼこ」は絶品なんですよ。
本場・隠岐のウニと一緒に一杯やれば最高です。

当然、出雲そばも買いました。
年越しそばもやっぱり故郷の味でないと落ち着きません。
その他にも正月用の和菓子やワカメ
干支の置物など、いろいろ買いました。以上、満面笑みで買い出し終了!

この後、いつものプロデューサー氏と合流。
男二人だけの、なんとも冴えない忘年会となりました。
私は風邪による体調不良でほとんどの忘年会は欠席でしたし
プロデューサー氏は年末ギリギリまで仕事とあって
互いに身の不運を嘆きながらの、ささやかな「小宴会」でした。

ささやかとは言いながら
料理は実に豪華版で海の幸を堪能しました。
大トロを塩で食べる・・・などという快挙も初体験しました。

シメで注文した鮭のハラスとイクラの釜飯。
ふんわりとした炊きたての御飯に絶妙の潮味がからまって
うーん、生涯に食べた(それほど食べてませんが・・)釜飯の中で
最高の味でした。

料理でお腹一杯でしたが
プロデューサー氏お得意の「ももクロ」話も腹一杯でした。
先日、西武ドームのライブに行ったばかりで
その興奮を口角泡を飛ばして熱く、熱く、語ってくれました。
なるほど、忘年会のお誘いはこれが目的であったかと、大いに納得でした。(笑)

  年の瀬や すべてをチャラにして ハイボール  (杉作)

ブログ読者の皆々様方
今年も一年、本当にありがとうございました。
つたなき文章と写真にお付き合い下さって心より感謝いたします。
来たる年もまたよろしくお願い申し上げます。
母の喪中につき年賀の儀は失礼しますが、どうかよいお年を!

白州のハイボール、美味しかった!(笑)


ジョセフ・クーデルカ

2013年12月30日 | 日記

東京・国立近代美術館。
無事に年内の仕事が終了して「美術館三昧」です。

美術館と言えば絵ですが・・・
今日は久しぶりの「写真展」にやって来ました。
自称「公園フォトグラファー」(?)としては、たまには写真も見ないと・・・

ジョセフ・クーデルカ。
前からずっと気になっていた写真展です。
1938年、チェコスロヴァキア生まれのクーデルカは、
いま世界で最も注目されている写真家でアジアでは初の回顧展とか。
チェコと言えばやはりあの時代を思い出しますが・・・

やはりそうでした。
1968年、世界に衝撃を与えた「プラハの春」です。
チェコ国内の民主化勢力の台頭に危機感を抱いたソ連は
ワルシャワ条約軍とともに戦車部隊を先頭に首都プラハに侵攻。
その容赦ない軍事力で無抵抗の市民を圧殺し、改革を抑え込んだのです。
当時、まだ中学生だった私も鮮烈な記憶として残っています。

すでに写真家として活動していたクーデルカは
祖国を襲ったこの突然の「暴力」と「蹂躙」に対して
怒りを込めて素早くカメラを向けました。
そして、命がけで撮った写真を友人を通じて匿名で西側に配信。
「プラハの春」はたちまち世界の知るところとなりました。

クーデルカはこれによって匿名のままロバート・キャパ賞を受賞。
しかし、間もなく亡命を余儀なくされました。

プラハ市民はいかに戦車と戦ったか。
クーデルカの写真はその何よりの証言ではないでしょうか。
あくまでも非暴力、言葉だけを武器に果敢にソ連軍の戦車と対峙する
名もなき市民たちの迫力が伝わってきます。
1989年、あの天安門事件の学生たちの姿がオーバーラップします。

どれも時代の緊迫感がヒシヒシと感じられる写真ばかりですが
一枚一枚に不思議な「詩情」が漂っているような気がします。
それは報道カメラマンの冷徹な目ではなく
市民へのやさしさ、祖国への愛情に支えられた
芸術写真のような気さえしました。

美術館の外は平和そのものでした。
うららかな陽射しを浴びて泳ぐお濠のコガモを眺めながら
なぜかシリアの惨状を、南スーダンの地獄を

そして、フクシマの絶望を思いました。


ヒヨドリの会食

2013年12月29日 | 日記

日本海側は大雪注意報。
公園も一日中、底冷えの寒い日でした。

寒空を忙しく飛び回るのはヒヨドリ君。
ピーピー、ヒーヨ、ヒーヨと、まあ、とにかくうるさいこと。
今の季節、一番元気なのはヒヨドリ君かもしれませんねえ。

イイギリの実が真っ赤に色づいています。
葉はすっかり落ちてしまっても実だけは元気です。
コレ、ヒヨトリ君の大好物なんです。

食べたことありませんが
ヒヨドリ君は無類の「甘いもの好き」なのできっと甘いんでしょうねえ。
一羽がやって来たかと思うと・・・

すぐにもう一羽がやって来て
ピーピー、ヒーヨ、ヒーヨ、ぱくぱく、むしゃむしゃ・・・

ドンドンやって来てやがて「大会食」となりました。
カレーでもトン汁でも、大勢で食べると味もまた格別です。
それにしても上手に食べるなあ・・・

木の下を見るとハクセキレイも餌を啄ばんでいました。
人懐っこく、カメラを構えていると興味津津、ヒョコヒョコと近づいて来ます。
ヒヨドリはほとんど木の上で捕食しますが
ハクセキレイは必ず地べたでエサを探すんですねえ。

突然ですが、余りに手が冷たくて、以上で撮影終了!
ほうほうの体で、オジサンは自宅に舞い戻ったのでした。(笑)

その夜、テレビのBSで懐かしい映画を観ました。
ニコラス・ケイジとメグ・ライアンの「シティ・オブ・エンジェル」。
確かヴィム・ヴェンダース監督の「ヘルリン天使の詩」のリメイクでしたね。
地上の女性と恋に落ちた天使が
掟を破って人間になるという他愛もないラブストーリーでした。

でも、私、何を隠そう、メグ・ライアンの大ファンなんです。
可憐で、ちょっとコケティッシュで、キラキラ輝くようなブルーアイズに
いつも胸がときめいてしまいます。
ニコラス・ケイジも男の色気プンプンで好きな男優です。
そんな二大スターの共演にも関わらず
映画としての評価は意外に低くて、ちょっと残念でしたねえ。

夜、夢の中にメグ・ライアンで出て来ました。(笑)


カイユボットを知ってますか?

2013年12月28日 | 日記

師走で気忙しいのに展覧会に出かけました。
冷たい雨が降っているのに話題の「カイユボット」を観て来ました。

東京・八重洲のブリジストン美術館。
師走の街にカラフルな傘が行き交っていました。
以前、担当する美術番組でカイユボットは取り上げたのですが
実際に生で観るのは初めてです。

ギュスターヴ・カイユボット。
日本ではあまり馴染みのない名前かも知れませんが
モネやルノワール、ドガなどと「印象派」の隆盛を支えた重要な画家です。
展覧会も終了間近とあって結構混んでましたねえ・・・


<「ヨーロッパ橋」>

印象派というと農村風景のイメージがありますが
カイユボットは19世紀後半、変わりゆくパリの都市風景や風俗を
やわらかな光にあふれる画面で捉えました。
橋の欄干で頬杖をついている紳士は画家自身と言われています。

これは犬の「ひとり散歩」でしょうか・・・(笑)


<「ペリソワール」>

パリ郊外の別荘地イエールの風景です。
「ペリソワール」とは一人乗りのカヌーのことですが
当時、上流階級の人たちにとって舟遊びが何よりレジャーでした。
降り注ぐ陽光と川面のゆらめきがいいですねえ・・・


<「床の鉋かけ」>

今回の展覧会には出ていませんでしたが
カイユボットの代表作で、私の大好きな作品の一つです。
フローリングの床を鉋で削って磨き上げる作業は
当時、下層階級の労働者を象徴するようなキツイ仕事でした。

印象派ではめずらしい室内風景。
この床の光沢のリアルな表現は見事というしかありません。

と言うことで・・・
私の「100円アート」コレクションにまた名作が加わりました。(笑)

カイユボットは裕福な家の出身で
仲間の貧乏な画家たちを経済的に援助したり
展覧会の会場を手配したりと、世話焼きのいいオジサンだったようです。
また印象派絵画のコレクターとしても知られています。
そのぶん、画家としての評価は遅れましたが
最近になって独特の「社会性」が再評価され人気が急上昇とか。
巨匠居並ぶオルセー美術館の印象派ルームで
中央の最も目立つ場所に飾られているのが、他でもないカイユボットなのです。

ああ、そんな人間になりたい!(笑)


ぶらり東京大学

2013年12月27日 | 日記

文京区本郷。
ご存じ東大の「赤門」である。
旧加賀藩主前田家の上屋敷にあった門を移築したもので
堂々たる国の重要文化財である。

久しぶりに母校を訪ねた・・・
などと言ってみたいが、もちろんウソである。(笑)
駒場キャンパスは行ったことがあるが、実は本郷キャンパスは初体験。

生徒を連れて下見にやって来た塾の先生・・・だろうか?
年が明ければいよいよ受験シーズン本番。
しきりに写真を撮り合っている姿が微笑ましまかったが
単なる記念写真にならないことを祈る!

経済番組の打ち合せでやって来た。
そんなことでもないと、日本の最高学府に来ることなどめったにない。
そう思うとオジサンは妙に緊張してしまった。(笑)



学内はまさに「古色蒼然」という言葉がピッタリだった。
もちろん近代的なビルの校舎もあるのだが
苔むしたような古いレンガ造りの建物が多く歴史を感じさせる。
と言うより、よけいに寒々として来た。(笑)

経済学部の著名教授はちっとも偉ぶったところのない柔和な方で
お話も楽しく、打ち合わせは1時間ほどで終了!
その後、キャンパス内をブラリとしたみた。

工事中と思ったら遺跡の「発掘作業」だった。
なにせ歴史が古いから、そういうこともあるのだなあ・・・と大いに納得。

銀杏並木の向こうに見えるのは・・・
まごうかたなき、あの伝説の「安田講堂」であった!
まだ健在だったのか!と驚くと同時に不思議な感慨がこみあげて来た。
今から45年前、この建物はまさしく歴史の舞台であり
時代の目撃者でもあった。

1969年、忘れもしない東大安田講堂事件。
籠城する全共闘の学生たちが投げる火焔瓶の炎と
8000人を超える機動隊から放たれるすさまじい放水の嵐。
上空には取材ヘリが何機も飛び交い、まさしく騒然とした雰囲気だった。

当時、16歳のボンクラ高校生だった私は
ここで起こっている騒乱の意味さえよく理解出来ないまま
ただ興奮してテレビの中継を見ていた。

そして、機動隊の強行突入によってバリケードは根こそぎ排除され
学園紛争の最後の砦だった安田講堂は落城。
全共闘運動はまたたく間に雲散霧消、キャンパスに平和は戻ったのだが・・・



安田講堂はどこか廃墟のように見えた。
全共闘運動が提起した問題は半世紀近くが経った今も
何一つ解決していないような気がする。

「学問とは何か」「大学はどうあるべきか」・・・
今思えば、気恥しくなるようなプリミティブな問いかけではあったが
それだけに心を揺さぶる根源的な響きがあった。

学園紛争はいつしか歴史の彼方へ追いやられ
受験戦争はますます激化するばかり。
東大は成績がいいだけのひ弱な「エリート」を生産し続ける。
こんなことで本当に日本は大丈夫だろうか・・・



安田講堂の壁には、今も時代の傷跡が残る。
しかし、学内には「立て看」はおろか「ビラ」一枚落ちていない。
かつてこの壁に貼られていたビラに、こんな一文があったのをご存じだろうか。

   連帯を求めて孤立を恐れず
   力及ばずして倒れることを辞さないが
   力尽くさずして倒れることを拒否する

当時の学生たちの精神の高邁さを思う。
そして、今の大学の平和に限りない「荒廃」を思う。