まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

「ちい散歩」を惜しむ

2012年06月30日 | 日記

入道雲が湧きあがり
ひと足早く「夏本番」を思わせるような空だった。

午後になってネットで調べものをしていたら
ニュース欄に「地井武男さん亡くなる」という文字が流れた。
驚いたと言うか、虚をつかれたと言うか・・・
人気番組「ちい散歩」を突然降板され、病気療養中なのは知っていたが
テレビでの元気な姿が目に焼き付いていたので、まさかと言葉を失った。
大変なショックだった。

「ちい散歩」が始まったのが2006年だった。
俳優・地井武男が東京近郊の名所や公園、商店街などを歩きながら
地元の人とふれあったり、ご当地グルメを味わったりと
昨今の「ウォーキングブーム」を体現するようなミニ紀行番組だった。
その人柄も相まって東京ローカルとしては異例の人気を誇っていたと聞く。
実は私がいまの公園ジョギングを始めたのもちょうど同じ時期で
親近感もあって毎日のように見ていた。

俳優・地井武男は演技派のバイプレーヤーとして知られていた。
どこかに「ヤンチャ坊主」の匂いを漂わせていて
個人的には「北の国から」の材木屋の社長「中畑和夫」役が大好きだった。
俳優座の同期は前田吟、原田芳雄、村井国男、夏八木勲、小野武彦、林隆三・・・
まさに錚々たるメンバーである。
刑事役が多かったがシリアスからコミカルまで幅広い役柄をこなされた。
最近はバラエティー番組への出演も多く
その柔和なキャラクターを買われての「ちい散歩」の抜擢だったと想像する。

お馴染みのこのスタイルで快活に飄々と散歩を楽しんでおられた。
役者と違ってこの手の番組は否応なしに「素」が出るので誤魔化しが利かない。
品性、モノの見方、他人との接し方、好奇心、教養・・・
薄っぺらな人間だとたちまち「馬脚」が現われてしまうものだが
その点、地井さんは申し分のない「素養」があって感心することしきりだった。
例えば神社や仏閣を訪れると、例え前を通りかかるだけの時でも
必ずトレードマークのベレー坊を脱いで、深々と頭を下げて参拝される。
そのこと一つとっても、この人の「礼儀正しさ」が窺えるのである。
地元の人と接する時も、手を握り、肩を抱き、時には抱擁することさえ・・・
彼がどれほど他人を大事にして来たか、その「心根」の一端が垣間見えた。



常に植物図鑑を持ち歩いておられたように「植物」への造詣が深かった。
それも単なる知識ではなく、植物への限りない愛情が感じられた。
趣味の水彩画・スケッチの腕も相当なものだった。
番組の終わりに「今日の一枚」と題して、その日の印象的な風景を絵にするのだが
同じスケッチを趣味とする者として、いつも「うまいなあ」と感心した。
絵は人なり・・・と言うが、まさにそんな感じだった。
服装もいつもオシャレで、車が好きで、豆腐やソバが大好物だった。
普段から体を鍛えておられたのだろう
体型も理想的で、歩くのも速く、カメラがついて行けないほどだった。
それほどお元気だったのに・・・

昨日のブログでザ・ピーナツの伊藤エミさんのことを書いたばかりで
まさか地井さんまで・・・と溜息が出る。
全く面識はななく、世代も私より一回り以上も上だったが
人間として、同じ「散歩人」として、常に共感を覚えていただけに残念だ。
そして、時期を同じくしてもう一人の「才人」が逝った。

小野ヤスシさん、72歳。
不覚にも彼が闘病中だったことも
かつてドリフターズの一員だったことも知らなかった。
私の故郷のお隣、鳥取県出身ということでずっと親しみがあった。
「鳥取県が生んだ最大の芸術家」がキャッチフレーズだった。
俳優や司会者として大活躍だったが
私にとっての小野ヤスシはやはり「ドンキーカルテット」だろうか。
浅草の軽演劇を思わせるトボけた味のコミックバンドで大好きだった。
異論はあるかも知れないが、彼は根っからの「ボードビリアン」だったと思う。



地井さんも、小野さんも、いずれも70代になったばかりだった。
やはり「早すぎた死」と言うべきだろう。
これからが本当の意味での「円熟」の時代だった筈だし
それを思うと本当に残念でならない。
心からご冥福を祈りたい。


モスラとライスカレー

2012年06月29日 | 日記

ボンヤリとした曇り空・・・
梅雨なのになかなか雨が降らない。

日課のジョギングには好都合だけれど
空気が乾燥しているせいか走っていても妙にノドが乾く。

紫陽花も雨を待っている風情・・・
ニュースでザ・ピーナツの伊藤エミさんが亡くなったと聞いた。
もう長い間、芸能界の表舞台から去っておられたから格別の感慨はなかったが
ザ・ピーナツと言えばやはりあの映画を思い出す。

1961年封切りの東宝映画「モスラ」である。
60年安保の翌年で世の中が騒然としていた時代だ。
日本初の本格的怪獣映画・・・だったかどうかは定かではないけれど
私が人生で初めて観たのがこの映画だった。
主演は新聞記者役のフランキー堺、若かった!
この映画にザ・ピーナツのお二人も双子の妖精役で出演しておられた。

映画の舞台は水爆の実験場となった南海の孤島。
台風で座礁沈没した日本の貨物船の乗組員が島に辿り着いたことで
島の原住民が「モスラ」と呼ばれる守護神を崇めて暮らしていることが発覚。
その祭礼の巫女役が「小美人」と呼ばれるザ・ピーナツだった。
やがて研究者やマスコミが押しかけ島は大騒ぎに。
囚われの身となった小美人は東京に連れ帰られ「妖精ショー」に出演させられる。

やがて放射能の影響で巨大化した蛾の幼虫「モスラ」が孵化し
小美人の二人を救うために東京に飛来する・・・確かそんなストーリーだった。
この映画を観たのはまだ小学校に上がったばかりの頃で
場所は愛知県の小さな田舎町にあるたった一軒の映画館だった。
当時は「どん底」と言ってもいいほどの貧乏暮らしで
とても映画を観るような余裕はなかったが、誕生日か子供の日かで
父親が無理をして私と弟を連れ出したものだと思う。
生まれて初めて観る映画が心躍るような「怪獣映画」とあって
とにかく興奮した覚えがある。
映画とはこんなに面白いものかと放心するような思いだった。

この映画の主題歌がザ・ピーナツの「モスラの歌」だった。

モスラの歌

♪ モスラや モスラや・・・という呪文のような歌声は
  50年以上たったいまも耳に残っている。

映画の後、町の食堂でライスカレーを食べた。
今どきの上品なカレーライスではなく
あくまでもご飯の上にカレーがかかった「ライスカレー」である。
この写真はかなりオシャレだが
ジャガイモや人参がゴロゴロ入った、ちょっとメリケン粉くさいライスカレー。
外食など夢のまた夢だったから夢中で食べた。
「お店のカレーとはこんなに美味いものか!」と陶然とする思いだった。
これが私の食の「原点」かも知れない。
という訳で、「モスラ」と「ライスカレー」は私の中ではセットなのである。

ザ・ピーナツのお二人については今さら説明することもない。
和製ポップスと呼ばれる分野で数々のヒット曲を連発し、一世を風靡した。
高度成長期とテレビの創世期が重なった時代で、たちまち国民的な歌手となった。
一卵性双生児ならではの美しいハーモニーは忘れられない。
こうやって写真を見比べてみても、素人の私にはどっちがどっちか判別できない。



紫陽花の咲く季節に逝った伊藤エミさん。
71歳だったと言う。
人の心にたくさんの歌を残して・・・幸せな人生だったのではなかろうか。


人生は何色ですか

2012年06月28日 | 日記

夕方、公園内の図書館まで出かけた。
東の空に巨大な雲がたなびき、ほのかな茜色に染まっていた。

こういう時間帯に公園を歩くことはあまりないので
いつもの風景もちょっと新鮮に見える。

夕暮れにタチアオイがよく似合う。
空に向かってすっくと伸びている花姿が好きだ。
日盛りでは燃えるような花の色も夕暮れは哀愁を帯びて見える。

以前、何かの雑誌を見いてたら
「あなたの人生は何色ですか?」という設問があった。
さあ、何色だろう・・・と考えたが、すぐには答えが浮かばなかった。
自分の人生を色に例えるのはなかなか難しい。

少なくとも「バラ色」とは言い難い。
と言って「黒」では身も蓋もないし、逆に「白」だと色がない。
好きな色はそれこそ色々あるが、人生の色かと言われると違う気がする。

人生は時期によって色が変わるような気もする。
若い頃は原色の鮮やかな色、中年は深い色、年をとるに従って色は淡くなる。
そんなイメージなのだが、では、今の私は何色なのだろう。
年齢的に言えばやっぱり夕焼けに染まった「黄昏色」だろうか。
燃えるような夕焼けではなく、暮れてゆく薄暮に静かな茜がさす黄昏の空。

黄昏と言えば弘兼憲司さんの「黄昏流星群」がある。
40代以降の中高年の恋愛をテーマに
さまざまな人生の出逢いと別れを描いた短編漫画集だ。
私もいくつかを読んだが、身につまされるような話が多くて妙に心に染みる。
タイトルの「黄昏流星群」とは老いゆく過程で光り輝くという意味だが
私も大いに光り輝きたいものだ。(笑)

30年ほど前に「黄昏」というアメリカ映画もあった。
確かヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘップバーの初共演で話題になった。
美しい湖畔の別荘を舞台に、父と娘の和解を描いた作品で
父親役のヘンリー・フォンダの渋い演技が光った。
孤独で頑迷な夫を支え、励ます妻役のキャサリン・ヘップバーンは
この作品で4度目のアカデミー賞主演女優賞を獲得。
ヘンリーフォンダも76歳の史上最高齢で主演男優賞を受賞した。



「黄昏」というと何やら落魄のイメージがあるが、そんなことはない。
生きて来た人生の苦労や経験が熟成し
得も言われぬ「味わい」の色を出す季節ではないだろうか。



生命力にあふれた若者の「輝き」はなくても
鮮やかなタチアオイが夕闇の中で哀愁を帯びるように
年長者ならではの「円熟」の色が出せるのではないだろうか・・

例えばこんな濃淡が幾重にも入り混じった夕空。
そう思って見ると、今の自分に一番ふさわしい色のような気がして来た。
皆さんの人生、何色ですか?

 


造反有理

2012年06月27日 | 日記

仕事が片づかず今日もジョギングは中止。
もう三日も公園の顔を見ていないのでストレスも最高潮。

朝から外はうららかな梅雨晴れ。
家人が留守なので昼飯がてら自転車で公園をグルリと一周。
やけくそで飲んだ昼ビールの酔いが心地いい。

グランドではママさんがわが子を激写中。
微笑ましいが、その背後に何やら「不穏」なものが見える・・・

ああ、ここはヌーディストビーチか!
と思わず言いたくなるくらい裸の男たちがあちこちに転がっている。
自転車まで寝せることはないだろうに。

まったくどいつもこいつも!
と口の中で舌打ちしながらもちょっと羨ましい。
こういう「のびやかな」な心持ちになることが、最近めったにない。
どうも心に閉そく感が充満している。

閉そく感と言えば、民主党の混迷もいよいよ極まった感がある。
野田首相は両院懇談会で「心から!心から!心から!」の三連発で訴えたが
近頃、これほど心に響かなかった言葉も珍しく、思わず笑った。
案の定、衆議院本会議での投票では党内から57名もの造反者が出た。
これはもはや「分裂」「離党」しかないないだろうと思う。
でなければ、いったい何のための造反だったのかということになる。



その昔、「造反有理」という言葉が流行ったことがある。
もともとは毛沢東が使った言葉で「造反する者にこそ理がある」という意味だ。
悪名高き文化大革命で赤衛兵がスローガンに掲げ
その後、大学紛争時代には全共闘運動の合い言葉にもなった。
今回の政局においても「造反有利」で、小沢グループの主張は筋が通っている。
「社会保障と税の一体改革」などと言いつつ、社会保障の議論はまったく無しで
消費増税だけ先取りなどと、そんなバカな話はない。
明らかに財務省の陰謀だろうと、首相が尊敬する藤井某の顔が浮かぶ。

こんなところにも昼寝の人がいる。
足だけ出ているので、一瞬、ギョッとしてしまった。
あの、あなたは前の選挙で民主党に投票された方ですか?
今度の選挙はどうされます?



さて、70歳の「壊し屋」はこれからどうするつもりだろうか。
これだけ忌み嫌われた揚句、とうとう奥さんにも三行半を突きつけられたらしい。
真偽のほどはともかく、あの週刊誌の「暴露」記事はちょっと痛かったかも知れない。
まさに四面楚歌、内憂外患、人生最大のピンチに直面して
いささか錆ついた剛腕を発揮できるのかどうか・・・ある意味楽しみでもある。

そんな世間など知らぬように、子供たちは屈託がない。
小学生の世界には、いじめられっ子がいじめっ子に立ち向かう
「造反有理」のような局面はあるのだろうか・・・などとバカなことを考える。



仕事をするにはもったいないような空だ。
でも、自転車散歩は30分で終了。
イヤでも目の前の仕事はしなくてはならない。
時にはボイコットもしたくなるが、フリーランスに「造反有理」はないのだ。


 


人生は発見だ!

2012年06月26日 | 日記

この年になると「感動」することが少なくなった。
中には「いや、俺なんか毎日毎日、感動の連続だよ!」
などという奇特な方もいらっしゃるかも知れないが、やはり少数だと思う。
年を取ると若い頃の「感受性」が失われていくのは仕方がない。

その点、公園を散歩していると、毎日毎日、いろんな発見がある。
もちろん「発見」と「感動」は同じではないが
小さな発見が思わぬ感動につながることだって時にはある。
例えば木立の中に橙色のビワの実を見つけた時など思わず足が止まる。
「ああ、もうそんな季節なんだ」としばしの感慨にふける。

週末でもないのに広場でテントを張っている親子連れがいた。
日曜休みでないお父さんが久しぶりに子供たちを連れ出したのだろうか。
いい光景だなあ・・・と嬉しくなった。

植物だっていろいろな発見がある。
紫陽花を間近で見ると「へえ、中はこんな風になっているんだ」などと思う。

花の色が、日々、微妙に変わって行くのも面白い。

これは「ホタルブクロ」だ。
そう言えば各地でホタルの便りも聞かれる季節になった。
いつだったか某ホテルの「ホタルの夕べ」というイベントに招かれたが
ホタルには一瞥もくれずに酒ばかり飲んで悪酔いした。

これは「小判草」と言うらしい。
確かに小判のかたちによく似ている。
本物の小判が庭からザクザクと出てきたら狂喜乱舞するが
残念ながらマンション住まいで庭がない。

ベンチの上に梅の実が2つ置かれてあった。
死んだ親爺が毎年、せっせと梅酒」づくりに励んでいたのを思い出す。
中には20年などという古酒もあって、それは本当に感動の味わいだった。
今年も「梅酒」づくりのシーズンだ。

サクラの木の下を走っていたら
目の前をツツーとよぎるものがあって見上げた。
ああ、これはなんだったっけ・・・確か毛虫の子供じゃなかったか。
モゾモゾと蠢きながらあっちへプラーン、こっちへプラーンと風に揺れている。
よくわからんけど、とにかく頑張れ!

これは、ひょっとして「桑の実」ではないのか!
先日もオバサンが実を摘んでビニール袋に入れていた。
子供の頃はよく桑畑に入って実を頬張っては叱られたものだが
公園に「桑の実」があるとは知らなかった。
でも、違うかなあ・・・



林の中でコゲラの巣穴を見つけた。
姿が見えないから、どうやら巣立ちは終わったようだ。
コゲラは枯れて朽ちかけた木を選んで巣をつくると聞いたことがある。
なかなかエコな野鳥だ。

帰り道に小学校のグランドを覗くと
栽培学習用の「朝顔」の鉢がズラリと勢揃いしていた。
準備万端と言ったところだろうか。
我が家の息子も夏休みには決まって学校から持って帰って
ベランダてせっせと水をやっていたものだ。
もうすぐ「朝顔」の季節でもあるのだなあ・・・と、しばしの感慨。

まあ、ことほど左様に「発見」はいくらでもある。
目覚ましいような「感動」にはなかなか出合えないかも知れないが
何気ない日常や風景に目を凝らして見れば
人生をちょっと豊かにする「タネ」はいくらでも転がっているような気がするのだが・・・
「発見」は「感動」に通じる!と、偉そうに言ってみる。