夏空に湧きあがる入道雲。
まことに不謹慎な話ではあるが
私は見ていると「原爆」を連想してしまうことがある。
今から67年前の夏・・・
広島の人が見た閃光、直後に立ち上った不気味なキノコ雲。
そして、焦土の中に繰り広げられた地獄絵図。
一瞬にして14万人もの命を奪った原爆の惨禍は語っても語り尽くせない。
笹森恵子さん、80歳。
アメリカのロサンゼルスに住む「海外被爆者」である。
13歳の年に広島で被爆、命はとりとめたものの顔や上半身に激しい火傷を負った。
10年後、ジャーナリストのノーマン・カズンズ氏(写真男性)の尽力で渡米
最先端医学によるケロイド治療のおかげで、火傷はかなりの部分が回復した。
そのままアメリカで看護婦となり、結婚、出産、離婚も体験。
現在は、英語で被爆体験を語れる数少ない「日本人被爆者」として
全米から世界中を講演活動で飛び回っておられる。
歌手のクミコさん。
一昨年、紅白歌合戦に初出場して注目された実力派である。
その時に歌った曲「INORI」は広島平和公園に建つ「原爆の娘」の像のモデル
佐々木貞子さんの千羽鶴にこめた思いを歌ったものだ。
貞子さんはまだ幼い2歳で被爆、12歳の年に白血病で短い生涯を閉じた。
「INORI」は貞子さんの甥にあたる佐々木祐滋さんが作曲し
クミコさんに提供した曲である。
「原爆にもヒロシマにも関係のない私が歌ってもいいのか・・・」
クミコさんはずいぶん悩んだが、最後は佐々木さんの熱意に負けて引き受けた。
二人はやがて不思議な「縁の糸」に導かれて出逢う。
2年前、クミコさんのロサンゼルス公演で初めて「INORI」を聴いた笹森さんは
その歌声と曲に感動、母と娘のような心の交流が始まった。
いつか二人で「平和の歌」をつくりたい・・・というのが共通の夢になった。
ところが、クミコさんは3.11の東日本大震災の日
たまたま訪れていた石巻のコンサート会場で被災、裏山に逃げて命は無事だった。
しかし、夥しい数の人が津波にのまれてゆく惨状を目の当たりにして
クミコさんは声もなく震え、叫び、打ちのめされた。
そのショックからいつまでも立ち直れず、歌うことが出来なくなった。
しかし、一時は歌手廃業も考えたという彼女を
いつもあたたかく「笑いなさい、歌いなさい」と励まし続けたのが笹森さんだった。
原爆と津波、戦争と自然災害。
まったく立場の違う体験ではあったが
多くの命が一瞬にして奪われていく悲惨さを身を持って体験した二人は
やがて一曲の平和の歌「きっとツナガル」をつくりあげた。
人は苦しい時、つらい時こそ、つながり合わなくてはいけない。
心を一つにし、ともに手を結びあうことが、いつか平和につながって行く。
そんな思いをこめた曲である。
あの原爆の日から67年・・・
毎年のようにヒロシマの日がめぐり、平和への祈りが捧げられるが
悲しいかな「戦火」は今なお地球上の現実である。
「核廃絶」への叫びも現実の前にはかき消されていってしまう。
しかし、そんな時代だからこそ声を上げなければならないのではないか・・・
歌は所詮、歌に過ぎないけれど
一つの歌が人と人の心を結び合わせれば
何かが少しずつ変わることだってあるのではないか・・・
番組にはそんな実に「プリミティブ」なメッセージがこめてある。
『いのちの歌よ海を渡れ』
テレビ東京 9月1日(土) 午後1時~1時55分
テレビ大阪 9月2日(日) 午前11時55分~12時55分
よかったらぜひご覧いただきたい・・・
クミコさんの歌を初めて聴いた。
あの「やじうまテレビ」の主題歌を歌っている人・・・
という程度の知識しかなかったが、聴いてみて思わず引き込まれた。
美しく、深く、やさしい声である。
笹森さんは「クミちゃんの歌には言霊がある」と言われたが
まさしくそんな歌声であった。
これも機会があればぜひ一度聴いてもらいたい。