まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

紅葉ラン

2012年11月30日 | 日記

いつもより早く7時半に家を出た。
ここ数日、仕事でジョギングをサボっていたから
ちょっと気合を入れて走る。

公園に入る陸橋の上から下を覗くと
道路沿いの植栽の上に落ち葉がキレイに降り積もっている。

木漏れ日の中を早起きジョガーが行く。
やっぱり早起きは気持ちがいいなあ・・・と呟きつつ走る。



途中から林間コースへ。
落ち葉を踏みしめながら走る。
11月29日、昨日は亡くなった親父の誕生日だった。
亡くなってもう10年以上経つが
命日より誕生日を思い出すことが多いのは何故だろうか。



おお、こちらは紅葉の木洩れ日だ!
パーッと心の中にまで光が差し込んで来るような美しさだ。

そろそろ紅葉も終わり・・・
などと書いたが、まだまだしぶとく頑張っているなあ。

せっかく走って体が温まって来たのに、しばし見とれてしまう。
もう見飽きるほど紅葉は見ているのに、やっぱりキレイだなあ・・・

ここ数日来の寒気もちょっとゆるんで穏やかな日だった。
テニスコートの金網の向こうに見えるのが清掃工場の煙突だが・・・

風もなく煙がゆるゆると空に立ちのぼっている。
まるで煙草の煙のよう・・・
北海道は時ならぬ豪雪で停電騒ぎにまでなっているそうだが
この季節の停電は大変だなあと思う。

グランドを全力で走った後に自分撮り。
ゴールインのつもりで意味もなく手を挙げてみたが
ゼーゼーと息が切れて倒れそうになった。
いい歳をしたオジサンがすることではないなあ・・・

帰り道、トイレでおしっこをしたら
こんな素晴らしい紅葉に出くわして思わずパチリ。
まるで「一幅の絵」を観るような見事な借景ではないか!
トイレも捨てたもんじゃないなあ・・・などと妙に感心した紅葉ランだった。

 


秋も終わりの日本庭園

2012年11月29日 | 日記

しつこく・・・東京国立博物館。
館外に出て前庭のキャラクターをパチリ。

左が東京国立博物館にちなんだ「トーハク」君。
右が名物のユリノキからとった「ユリノキ」ちゃん。
世の中は「ゆるキャラ」ブームですが、もうちょっと工夫が欲しい気もします。
そろそろ帰ろうとした時に、建物の裏手に向かう一団があるので
何となく後ついていくと・・・



博物館の裏手が日本庭園になっているんです。
知らなかった・・・
案内板を見ると元々は「寛永寺」の境内地だったそうです。

紅葉狩りにはいささか寒い天気でしたが
もう秋も終わりだなあ・・・などと思いつつ園内をぐるりと一周。

センリョウが真っ赤な実をつけています。
来年は「千両万両」とお金が儲かったらいいなあ・・・と
日本庭園で無粋なことを考えました。

黄色い実もあります。

これはヤブミョウガの果実。
枯れ果てたような風情があって好きです。

園内には茶室がいくつもあります。
窓越しの紅葉がちょっといい感じでした。

日本庭園で政治の話はさらに無粋ですが・・・
選挙がらみの「第三極」の趨勢がちょっと面白いことになって来ましたねえ。
突如「日本未来の党」を立ち上げた滋賀県の嘉田知事。
琵琶湖の水質保全をライフワークにして来た筋金入りの「環境学者」です。
最初にニュースを聞いた時は新鮮な驚きがありました。



ああ見えて、かなりの頑固者ですし、したたかなリアリストです。
これまでのひ弱な「学者政治家」とは違った突破力、実行力があります。
何より人間に「品格」があるのがいいですねえ。
品性下劣な今の政治に新風を吹き込んでくれるのではないでしょうか。



小沢さんとしては「絶好の選挙の顔を見つけた!」程度のことでしょうが
そうそう簡単に手玉に取れる相手とも思えません。
彼女のしたたかさ、しなやかさに逆に取りこまれてしまうことも?
いずれにしても、この新しい顔の登場でちょっと面白いことになって来ました。
自公民はもちろん、日本維新にとっても
おそらくかなりの「脅威」になるのではないでしょうか。

そろそろ紅葉も見納めかなあ・・・
と思いつつ、しばし日本庭園の情緒を愉しみました。



ここはなかなかの穴場です。
12月の9日まで一般公開されていると言います。
入場無料!上野にお出かけの際は、ぜひ名残りの紅葉を・・・

 


陶芸家の夢

2012年11月28日 | 日記

上野・東京国立博物館。

いつもは開催中の「特別展」だけを観て終わるのですが
今回は時間に余裕があるで常設の所蔵品もゆっくり観賞することにしました。

絵画や彫刻をじっくり観ました。
国立西洋美術館や近代美術館に比べて数は少ないのですが
どれも重文クラスの逸品ばかりで堪能しました。

そして、やって来たのが陶磁器の部屋。
何を隠そう・・・私は「焼き物」を観るのが大好きです。
観ているだけで心がザワザワします。
以前は取材で「手びねり」や「ろくろ」も何度か体験したことがあります。
陶芸の奥深さに魅了されているところがあります。


<色絵花卉文壺 江戸時代>

華やかな「伊万里焼」の大壺です。
佐賀県の有田で焼かれる代表的な柿右衛門様式の陶器です。
個人的には文様の装飾が派手な伊万里はあまり好きではなかったのですが
最近ようやくその良さがわかって来ました。


<銹絵観鴎図角皿 江戸時代 重要文化財>

尾形光琳と弟の乾山の合作と言われる角皿です。
何とも豪華な取り合わせで「重要文化財」の指定も頷けます。
うーん、こんなのが家にあったらうれしいけど、とても使えないだろうなあ・・


<刷毛目鉄緑彩平鉢 江戸時代>

これも有田に近い九州の唐津でつくられた「唐津焼き」の皿です。
九州は焼き物の一大産地ですが、土地柄から中国の影響が感じられます。
南蛮貿易でこういう陶磁器も海を渡ったんだなあ・・・


<黄瀬戸草花文平鉢 安土桃山~江戸時代>

岐阜県の美濃地方で焼かれた「美濃焼」の皿です。
淡い黄色を帯びた「黄瀬戸」の美しく深い味わいはいいですねえ。
ぜひ一つ欲しいと思いますが・・・


<反鉢 備前 江戸時代>

私の大好きな「備前」の大皿です。
釉薬をかけずに素焼きにするのが特徴で
土の性質と炎だけで生みだされる素朴な肌合いは素晴らしいです。
以前、備前焼の人間国宝・藤原雄さんお会いして備前の大ファンになりました。


<織部開扇向付 江戸時代>

千利休の弟子だった古田織部が開祖の「織部焼」です。
この渋い緑色の釉薬が特徴ですが、デザインの斬新さも目をひきます。
こんな向付に手作りの「塩辛」などをのせて一杯やったらいいなあ・・・などと思います。


<白釉建水 仁清 江戸時代>

陶芸を芸術の域にまで高めたと言われる有名な「仁清」の作品です。
思わず見とれてしまうほどのシンプルさ、その完成度!
野々村仁清は「ろくろ」の名手だったと言われているそうですが
これほど「豊か」に「薄く」仕上げられる腕には、ただただ圧倒されますねえ。

さて・・・ついでに我が家の「お宝」も掲載。
先程の備前焼の人間国宝・藤原雄さんに頂いた「ぐい呑み」です。
備前独特の肌ざわり、ポッテリとした重量感、そして飲み口の頃合いの薄さ。
どれをとっても素晴らしく、毎日これで至福の一杯をやっております。
ちなみに高島屋の個展に出品された同じ「ぐい呑み」には
なんと5万円の値札がついていました。

人間が生まれ変わるかどうかはわかりませんが
もし生まれ変わることが出来たら「陶芸家」になりたいなあ・・・と思うのです。
どこか人里離れた山中に小さな登り窯などを建てて
好きな器だけを焼きながら晴耕雨読の暮らしをしたいなあ・・・などと
見果てぬ夢を夢想した晩秋の午後でした。

 


根付けの世界

2012年11月27日 | 日記

上野・東京国立博物館。
話題の「出雲展」が終わると言うのでもう一度出かけました。

会期中の入場者数は10万人を超えたと言います。
出雲出身者としてはちょっと鼻高々。
いかに日本人には「古代史ファン」が多いかと驚いてしまいます。
詳しい内容は11月2日のこの記事で・・・

http://blog.goo.ne.jp/kunkun2807/s/%BD%D0%B1%C0%C5%B8

せっかくの機会なのでゆっくり館内を見て回ることにしました。
実は以前から興味のある展覧会がありました。
高円宮殿下が寄贈されたという「根付け」のコレクション展です。

恥ずかしながら・・・
根付けに関しては「江戸時代の工芸品」という
何とも大雑把でいい加減な知識しかありませんでした。
あまり関心がなく、じっくり見た経験もないままで今日まで来ました。

根付けとはポケットがなかった江戸時代
印籠や巾着、煙草入れなどを腰の帯にぶら下げて携帯する時に
紐の先に結んで使う「滑り止」めだったそうです。
日本独自の細密彫刻で「装飾美術品」の域にまで発展したと言います。

とにかく多種多様と言うのか
さまざまに意匠が凝らされていて思わず目を見張りました。
手のひらに乗るほどの小ささながら、独特な存在感が感じられます。

これは「イクラ」の軍艦でしょうか。

これは「リンゴ」ですねえ。
どの作品もユーモアと遊び心に溢れています。

餌をねだる「ツバメ」のヒナたち。

舌の上で飴玉を転がす「ガマガエル」(?)

ご存じ「福禄寿」も・・・

目が可愛い「フクロウ」君もいます。

これは「イルカ」でしょうか。
根付けには必ず紐を通す穴が開いていて
今で言うならキーホルダーとか携帯電話のストラップみたいなものですね。

秋らしい「ドングリ」と「栗」です。
それにしてもよく出来てるなあ・・・と愉しくなって来ます。

うーん、これは「ハロウィン」か・・・
高円宮コレクションは現代的な根付けも多くて実に愉快でした。
こんなのをぶら下げて歩くと気分もウキウキするんだろうなあ・・・と思いつつ
もう少し館内を見て回ることにしました。
明日もお楽しみに・・・


 

 


散りぎわの美学

2012年11月26日 | 日記

もうすっかり晩秋の候。
美しく色づいた公園の樹木も次々と葉を散らす。



真っ赤だったケヤキの大木も
もう半分ぐらい葉が散り落ちてしまって寒そうだ。

こちらのイチョウはいまがピークだが
周囲の木は次々と散り果てて、中には丸坊主もある。



写真を撮る女性の傍らで
ハラハラと銀杏の葉が舞い落ちて行く。
その光景を見ながら「散りぎわの美学」なんて仰々しいことを思った。



もちろん「散りぎわの美」とは枯れ葉のことではない。
爛漫と咲き誇った桜の花が潔く一斉に散って行く様を言ったものだ。
古来、桜の花の美しさ、その儚さは
日本民族の心の奥深くに刻み込まれて来た。

  敷島の 大和心を人問えば 朝日に匂う 山桜花

本居宣長のオジサンの歌も、そんな散りぎわの美しさを前提にしたものだ。

森の中に入るとひっきりなしに落ち葉が舞い落ちる。
木洩れ日に照らされて葉がキラキラと輝く。
桜の花びらのような華やかさはないが、独特の侘び寂びた風情がある。

    木洩れ日や 落ち葉踏みゆく 音愉し (杉作)

「散りぎわ」は人の「退き際」にも例えられる。
最近は地位や権力にや金に恋々とする人間ばかりで
退き際、往生際がみっともない政治家や企業人がいかに多いかと思う。
敷島の大和心を持つ日本人が、ドンドン劣化している。



決定的瞬間を撮ったぞ!
と一瞬思ったけれど、これは散り際ではなく「落下」だなあ・・・
危うく頭の上に落ちそうになった。

落ち葉が落ちて来る瞬間を撮りたい・・・
と思ったのだけれど、うまくいかないので途中で断念。
広い公園でそんな馬鹿なことをしているのは、多分私一人だったと思う。



しがないフリーランスの身には「散り際」も「退き際」もない。
悠々自適の「余生」などにも縁がない。
ただ、黙々と愚直に働くしかないのだなあ、と運命を呪う。
これは退き際の「美学」ではなく「悲劇」だろうか・・・