まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

忘れじのトルファン

2012年07月31日 | 日記

連日の猛暑が続いている。
全く雨が降っていないから公園も乾燥しきっていて
ちょっと風が吹くと土埃が舞い上がる。



ジリジリと照りつける太陽の下を走りながら
今まで体験した最も「暑い場所」はどこだったろうか・・・などと考えた。
すぐに浮かんだのがシルクロードの「トルファン」だった。

トルファンは中国新疆ウイグル自治区の首都ウルムチから
150キロほどの内陸部に位置するシルクロードのオアシス都市である。
20年近く前、西遊記の玄奘三蔵をモデルにした
ドラマ&ドキュメンタリーのシナリオハンティングで出かけた。
タクラマカン砂漠の端っこだけに、ご覧の通り、見渡す限りの砂漠地帯である。
昼間の気温は40度を越え、逆に夜は氷点下となる。

西遊記にも登場する「火焔山」は文字通りメラメラと燃え立つような灼熱の世界。
中国からインドへと旅した三蔵法師の足跡をたどる壮大な計画だったから
シナリオハンティングも西安から天山山脈の彼方を目指し
二台の四輪駆動車でひたすらシルクロードを走るという難行苦行の旅だった。



トルファンの近くにあるのが井上靖の小説でも名高い「敦煌」である。
砂漠の真ん中に忽然と現れる「仏教彫刻」の大回廊。
大小700あまりの石窟の中には仏教美術の最高傑作と呼ばれる
壁画や仏像群がズラリと居並び、ただただ圧倒される。

 トルファンは「ウィグル族」の街である。
中央アジア風の独特の顔立ちが特徴で人懐っこくて親切だ。
庶民の交通手段はほとんどが「ロバの荷車」である。
移動も運搬作業もすべてこれ一台、ロバ君の健気さには本当に感心してしまう。
今ではもうすっかり車社会になってしまっているのだろうか。

街のバザールでは羊の肉やナンを売る人が多い。
可愛いイスラムの帽子がトレードマークで、市場ではウイグル語が飛び交う。
私は「バザール大好き人間」なので興奮しっぱなしだった。



トルファンの名物は何と言っても「ブドウ」である。
街のあちこちに葡萄棚が設けられていて涼しい緑陰をつくっている。
昼間の陽射しはそれこそ眩暈がするほどに暑いけれど
この葡萄棚の木陰に入ると汗がいっぺんに引いて行く心地がする。
高温多湿の日本とは違って乾燥した大陸性の気候だがらジットリした暑さはない。



どうです、こんな緑陰の下でのんびり昼寝してみたいと思いませんか?
名物の葡萄からつくった絶品の「ワイン」に酔いながら・・・



この葡萄棚の下で毎夜、ウイグルの民族舞踊が繰り広げられる。
リズミカルでコサックダンスのような独特の踊りだ。
ウイグルの女性はとにかく美しい。
異国情緒あふれる面立ちに、どこか恥じらいを秘めたような笑顔が印象的で
当時、まだ若かった私は大いに心ときめかせたものだ。

トルファン市街から望むはるか天山山脈の峰々。
その雪解け水を引いた「カレーズ」と呼ばれる水路が町を縦横に走り
いたるところで清冽な水しぶきを上げる・・・まさしく砂漠の「オアシス」なのである。
もう一度訪れたいと願いつつも、もう二度と訪れることはないだろうなと思う。
蒸し暑い東京砂漠で、忘れじのトルファンを思う。

 


夏休みの子供たち

2012年07月30日 | 日記

夏休みに入って一週間あまりが過ぎた。
当然のことに公園でも子供たちの姿が目立つ。
みんな、わが世の春ならぬ「わが世の夏」を全身で謳歌している。

ボールを追うサッカー少年たち。
オリンピックでも日本サッカーは男女ともに好調のようだ。
ひょっとすると、この中から第二、第三の「香川真司」が出てくるかも知れない。

普段は忙しいお父さんと
思い切り遊べるのも夏休みの醍醐味かも知れない。
サッカーよりもお父さんと一緒なのが楽しくて仕方がない・・・といった感じ子だった。

グランドを黙々と走る父子連れ。
なるほど、ボクの方はちょっと「太め」だなあ。
お父さんがゲームとスナック菓子ばかりの息子を見かねて
「今年の夏は頑張って痩せよう!」と号令をかけたのかも知れない。
オジサンもなかなか痩せないけど・・・少年よ頑張れ!



こちらは「魚捕り」のようだ。
こういう時は「父権回復」のために、俄然、お父さんは張り切る。
張り切るけど、なかなか魚が捕まらない。
酒の肴は得意でも、本物の魚は思うようにはならないのだ。



ベンチで一休みしていると
遠くを黄色い帽子の一年生が歩いて行く。
ああ、いい光景だな、ぶら下げている荷物はプールの用具だろうか。
そう言えば「プール登校日」なんてあったな・・・と遠い昔を懐かしく思い出す。

クヌギ林の前を通りかかると
これも小学生らしき二人が熱心に土を掘り返している。

   「ねえ、何してるの?」
   「カブトムシ探しているんだ」
   「へえ、カブトムシいるの?」
   「いるよ、ゴロゴロいるよ」

なるほど・・・昆虫ケースの中にゴロゴロいる。
最近これほどカブトムシを見かける夏はちょっと珍しいかも知れない。
やはり何か「異常気象」の影響だろうか。

   「オジサン、飼うんだったらあげようか?」
   「いやあ、いいよ。オジサン飼い方わからないし」
   「ボクが教えてあげようか」
   「うーん、オジサン、苦手なんだよね、カブトムシ」
   「ハハ、苦手なの、大人のくせに」

飼うのは勘弁してもらって、写真を撮らせてもらった。
せっかく土の中で寝ていたのに、強引に起こされてポーズまで取らされて
カブトムシもさぞかし迷惑なことだと思う。
小学生はしきりに「僕の写真も撮って」と要求していたが無視した。

帰りにバードサンクチュアリを覗くと
少年が食い入るように望遠鏡を覗きこんでいた。
彼の夏休みの「自由研究」は野鳥観察日記だろうか。

外に出たら一人で昆虫網を振り回している子がいた。
一人で遊んでいる子供を見かけるとちょっと心配になったりもするのだが
楽しそうだから、まあ、大丈夫だろう。



夏休みの思い出と言えば、本当に山ほどある。
8月の終わりになると決まって「手つかず」の宿題を前に
泣きたい気持ちになったものだが、それでもやはり夏休みは楽しかった。
スイカ、蚊取り線香、家族旅行、花火大会、盆踊り、プールに海水浴・・・
どの言葉一つとっても、めくるめくような日がよみがえる。
皆さんはどうですか?
忘れられない夏休み、心に刻んだ夏休み、ありますか?

 


暑中にて御座候

2012年07月29日 | 日記

所用があって池袋に出かけた。
東京には新宿や渋谷といった盛り場は多いが
池袋が一番肌に合うような気がする。

メトロポリタンビルの窓から見た新宿方面。
曇っている訳ではなくすさまじい「熱気」で霞んでしまっている。
ホント、うだるような暑さだった。

所用を済ませた後、東口は混んでいるので西口をブラリ。
あまりの暑さに一瞬立ちつくすと、目に飛び込んで来たのが裸の美女二人。
どういうモニュメントか知らないが涼しそうではあった。

西口公園の噴水でひととき涼をとり、煙草を一服。
家にこんな噴水があったら涼しいだろうなあ・・・などとバカなことを思う。

公園では「フラダンスフェスティバル」なるものをやっていた。
まだ開演前で人影はまばらだったが、楽団が入って賑やかに景気づけの曲をやっていた。
映画「フラガール」の大ヒット以来、フラダンス業界は大いに盛り上がっている。
前々から映画の舞台となった「常磐ハワイアンセンター」へは
一度行ってみたいと思いつつ、なかなか機会がない。

園内にはすでに屋台も並んで営業中。
うーん、焼き鳥に生ビールでも・・・と思うが、ここはぐっと我慢。

トロピカルな雰囲気の「フラガール美女」を発見。
とても涼しげな呼び声に惹かれる。
うーん、「かき氷」もいいなあ・・・と思うが、見るだけで我慢。

で、いつものようにデパ地下で好物の「御座候」を購入。
池袋に来ると決まってここに足が向いてしまう。
オジサンのスイーツはトロピカルではなく、やっぱりアンコだね。

帰り道、西武線で乗り換えて中井の商店街をブラリ。
全国的に商店街は「苦戦中」だが
ここは乗り換え駅に隣接しているせいか、いつも賑わっている。

♪ 窓の下には 神田川ァ・・・
条件反射のようにメロディーを口ずさむが、夏向きの歌ではないな。

商店街の上にこんな横断幕が・・・
地元の小学校出身の女性がロンドンオリンピックに出るらしい。
そうか、三井梨紗子さんか・・・シンクロは苦手だが名前は覚えておこう!

と言う訳で、帰宅後、熱いお茶を淹れて「御座候」を頂きました。
暑い盛りに熱いお茶は心も体もシャキッとするし
夏バテ気味の時は無性に「甘いもの」が欲しくなるものでございます。

 


遠い日のオリンピック

2012年07月28日 | 日記

東京には「高温注意報」が出ていた。

まあ、とにかく暑い。
言ってもしょうがないことだけど暑い。
しかし、熱中症に怯えつつも、8時過ぎにはいつものランニングに出発。
最近は汗をかくことがちょっとした快感になっている。
この稼業をしていると、かくのは「冷や汗」や「あぶら汗」ばかりだから
実に気持ちのいいことではある。

ロンドンオリンピックが開幕した。
特に関心があるわけではないが、オリンピックと言えば特別な思い出がある。
今から48年前の「東京オリンピック」を私はテレビではなく生で見ている。
詳しい経緯は省くが、当時、私は愛知県内のとある「肢体不自由児施設」にいた。
自治体なのか、どこかの福祉団体の計らいなのかは記憶にないが
その施設から二人だけ東京オリンピックの「開会式」に招待されたのである。
比較的症状が軽くて自分で歩行も可能だった私が
もう一人の車椅子の少女とともに、施設を代表してオリンピック見物の栄誉に浴した。

開業して間もない新幹線に乗せてもらった。
当時10歳の少年だった私は、終始、目を丸くしていたことだろうと思う。
車内で食べた「駅弁」が涙が出るほど美味しかった記憶がある。

会場は東京国立競技場。
用意されていた席はメインスタンドのほぼ中央、聖火台の下の特等席だった。
田舎育ちだからそんな大群衆を見るのは生まれて初めてだった。
戦後、焦土から奇跡の復興を遂げた日本は「高度成長」の真っただ中。
オリンピックは経済大国の「国力」を誇示する最高の舞台だった。
子供心にも、その唸るようなパワーを感じたものだ。

開催国として大選手団を送り込んだ日本。
赤と白のユニホームは今となってはかなりダサイのだが
当時は実に誇らしく見えたものだ。

聖火台に火がともされた瞬間は
背中にズーンと震えが来るような感動があった。

その後、ブルーインパルス飛行隊が轟音とともに飛来し
上空に五輪マークを鮮やかに描き出した。
一瞬の出来事だったが、ただ口をあけて空を見上げていた。

開会式だけの招待だったから、実際の競技を観戦する機会はなかった。
大会の話題をさらったのはやはり
大松博文監督率いる「東洋の魔女たち」の大活躍だった。
施設に帰ってテレビで必死に応援した記憶がある。
本当に「神がかり」的な強さだった。

個人的に競技の一番の思い出は・・・
やはり男子マラソンの円谷幸吉選手の銅メダル獲得である。
優勝したのは「裸足の鉄人」と呼ばれたエチオピアの英雄アベベ。
円谷は二位で国立競技場に入って来たが
最後、トラックでイギリスのヒートリーに抜かれて惜しくも三位。
テレビの前で誰もが悲鳴のような歓声を送っていた。
しかし、東京オリンピックでは陸上競技における日本の唯一のメダル。
称賛して余りある「快挙」だった。

ご存じのように、その後、円谷選手は
銅メダルの栄光とプレッシャーに押しつぶされ、27歳の若さで自殺。
両親に宛てた「幸吉はもうすっかり疲れきってしまって走れません」の遺書は
ライバルの君原健二を始め陸上関係者に大きな衝撃を与え
川端康成は「千万言も尽くせぬ哀切」と評した。



そんな私が、あのオリンピックから48年後・・・
東京の公園を毎日エッサオッサと走っているとは夢にも思わなかった。
少年老い易く、人生とはまことに奇縁なものである。

 


神戸を愛した画家

2012年07月27日 | 日記

日本で一番美しい「都会」は神戸だと思っている。
山と街と海がこれほどみごとに溶けあっている都市はないと思う。

その神戸も17年前の阪神淡路大震災では壊滅的な被害を受けた。
美しい港も、山の手の瀟洒な洋館も
愛する灘や長田の下町もことごとく崩れ落ちて炎にまみれ
6000人以上もの死者を出した。
震災一週間後に街を歩いたが、息をのむような惨状に涙があふれた。
その神戸もようやく復興をとげ、昔の輝きを取り戻しつつある。
再開発ですっかり町並みが変わったところも多いが、それでもやはり美しいと思う。

神戸の六甲アイランドに「神戸市立小磯記念美術館」がある。
明治に活躍した洋画家・小磯良平の業績を記念して建てられた美術館だ。
個人美術館としては日本でも屈指の規模を誇る。

美術館の敷地には生前のアトリエ&自宅も保存されている。
小磯は神戸二中(兵庫高校)から東京芸術大学の西洋画科を卒業。
同じ神戸二中から東京芸術大学に進んだ同世代の画家に東山魁夷がいる。
卒業後も長い間、世に認められず辛酸をなめた東山に対して
小磯は大学在学中から脚光をあび「若き天才画家」と呼ばれた逸材だった。

神戸中山手の貿易商の息子に生まれた小磯良平は
良くも悪くも神戸の「ハイカラ」を身にまとったモダンな画家であった。
熱心なクリスチャンで決して声を荒げたことのない温厚な人柄だったと言う。
東山魁夷が画題を求めて日本全国からヨーロッパまで放浪を続けたのに対して
ひたすら神戸で生き、神戸で描いた画家だった。

大学在学中の卒業作品「彼の休息」。
ラガーマンのモデルは生涯無二の親友だった神戸の詩人・竹中郁。
当時はまだ珍しいラグビーのユニホームに西洋ランプ
モネの画集やビーチパラソルまで描きこんだ、みごとなモダニズムである。
この作品は芸大はじまって以来の98点という最高点を獲得。
天才画家として注目を浴び、大学を首席で卒業する。

女性を描かせたら天下一品の画家だった。
その抜群のデッサン力で素早く、的確に女性の個性を写し取る。
大胆に描いた「素描」ですら美しいと思わせる腕があった。

中でも女性の「群像」を描かせたら右に出る画家はいなかった。
素人が考えても群像というのはとても難しいと思う。
限られた時間に複数の個性を描き分けるのは至難の技であるし
人物の配置やバランス、全体の躍動感を出すのも相当な技術がいる。
それが出来る画家であった。

で、長々と「番組宣伝」になってしまったが
今回の「美の巨人たち」で取り上げるのがこの「斉唱」である。
昭和18年、太平洋戦争開戦前夜に描かれた小磯の代表作だ。
そんな時代にも関わらず絵には「暗さ」が微塵もない。
いかにも平和を象徴するような女学生たちの清らかな合唱風景。
モデルは神戸松陰女子学院の生徒たちと言われているが
まるで少女たちの澄み切った美しい歌声さえも聴こえて来そうな静寂の画面。
しかし、この時の小磯は苦悩のどん底にいた。
果たしてなぜか・・・

この「斉唱」は小磯記念美術館ではなく
兵庫県立美術館の「小磯良平記念室」に展示されている。
神戸にお出かけの際はぜひ訪ねてみられてはいかがかと思う。

「美の巨人たち」は明日、7月28日夜10時から
テレビ東京系全国ネットで放送されます。
よかったらぜひ見てね!