まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

ロハスでいこう!

2011年10月31日 | 日記


公園の紅葉もしだいに「本格的」になって来た。
若葉の頃も好きだが、色づく木々を見るのはまた違った楽しみがある。



ジョギング帰りに芝生広場を通りかかると
恒例の「ロハスフェスタ」に大勢の人が集まっていた。
年に一回、東京と大阪で開かれる国内最大のイベントだと言う。
私も200円也の入場料を払い木製のバッジをもらって会場へ。
(料金を取るのはロハス的なのか?)



広い会場には200をこえるブースが点在し
こだわりの手作り雑貨や家具、食器、アンティークの店などが所狭しと並ぶ。



LOHASは(lifestyles of health and sustainability)の頭文字だ。
直訳すると「健康と地球環境を大切にするライフスタイル」・・・と言ったところか。
2000年頃からアメリカで始まった社会・啓蒙運動で
大量生産・大量消費による環境破壊を反省し、質素で自然志向の生活を実践する層を差す。
アメリカではロハス志向の人々は成人の三分の一にもなるとか。



人気があるのはやはり手作りの「雑貨」や「小物」の店だ。
ちょっと覗いて見ると「へえ、こんなものがこんなにするの!」という印象。
率直に言って「ロハスは高い!」
まあ、健康や自然志向の商品は結構な値段のするものが多いけれど・・・



これは「流木細工」の店。
オブジェ風の置物やインテリア、可愛いボタンなどが並ぶ。
なかなかオシャレで気に入ったのもあったが小さなボタンが1個120円もする。
貧乏人はついつい「拾って来たものなのに・・・」などと思ってしまう。



ひときわ賑わいを見せていたのが会場奥の飲食コーナー。
北は北海道から南は石垣島まで全国から馳せ参じた
「ロハス自慢」の屋台が自然食系のさまざまな食べ物を供している。
カレー、ハンバーガー、コロッケ、焼きそば、オムレツ、ナンにケバブ・・・



このスモークハムやソーセージを売る店の親爺は
まだ午前中なのに「もうあと○○個で売り切れだよ!」などと叫んでいる。
本当かねえ、目の前にまだ山のようにハムが並んでいるのに・・・



それぞれ買い求めて来た食べ物を並べ
秋晴れの空の下で皆さんピクニック気分で楽しくお昼ごはん。



会場で使われているのは「リユース食器」が多く
ゴミを出さないように食後は食器を洗って店に返す仕組みになっている。
なるほど「こういうのはいいな」と思う。



考えてみれば大震災や原発事故を体験したいま
日本人の生活意識やライフスタイルも大きく変わりつつあると思う。
生活の「豊かさ」や「便利さ」があらためて問い直されている。



今回の震災を「第二の戦後」と表現する人がいたが
しっかりとした戦後の総括もないまま高度成長をひた走って来た日本にとって
実際、この「震災」「原発」という未曽有の悲劇は大きな「しっぺ返し」でもあった訳で
もう一度、国のありかたも含めて、足元を見つめなおす機会にしなければならない。



さて、かく言う私はどうしたらいいのだろう。
健康にいいことはせいぜいジョギングぐらいでも酒もたばこもやめられない。
徹夜も多いし、時には暴飲暴食に走ることもある。
とても「ロハス」には程遠い生き方をしている。
だからせめて「身の丈に」あった暮らしをしたいと思うのだけれど・・・



会場ではベルギーから来日した女性歌手が気だるいボサノバを歌っていた。
これが妙に暖かく透明感のある「ロハス的」な声でちょっと聴き惚れてしまった。
「うーん、入場料の200円は安かったかも・・・」

人気ブログランキングへ


ドッグラン

2011年10月30日 | 日記
先日届いたコミュニティー誌にこんな記事があった。



ネットを通じてペット好きの人たちの交流が拡がっているらしい。
近所の公園に集まったり、ドッグカフェで喋ったり、一緒に犬連れで遠出をしたりと
ペットが縁で「新たな人間関係」が生まれていると言うのだ。
ネットの情報を通じて「同好の士」が集まって交流するというケースは
ペットに限らず、最近、とみに増えているようにように思う。



わが公園でも「ペット交流」の現場を毎日のように目にする。
互いに「犬くらべ」をしながらお喋りに花が咲いている。
人間だけでなくペット同士も楽しく交流しているように見える。
無趣味の私は同好の士など集いようもなく、ちょっと羨ましいような気分になる。



以前に訪れた代々木公園には「ドッグラン」なるものがあって
週末など、飼い主に連れられた犬たちが大集合してなかなかの盛況だった。
まわりがフェンスで囲われているからリードを外しても心配なく
犬たちも実に気持ちよさそうにノビノビと走りまわっている。
こういう施設が各所にあれば「ペットトラブル」もかなり減るのではなかろうか。



飼い主たちも安心して「犬談義」に夢中になっている。
初対面でも共通の趣味があれば気軽に声をかけられたりするのだろう。
ひょっとしたら誰かと話したくてドッグランにやって来る人もいるのかも知れない。



犬たちだって「世間」を知るいい機会の筈だ。
普段は狭いマンションの中で飼われて
お義理程度の散歩しかさせてもらえない犬たちも多いと想像する。
人見知りや内弁慶の犬たちだっているだろう。
ドッグランで思い切り走りまわれば運動不足解消にもつながるし
何より「他者」とふれあうことでストレスから解放される。



老いも若きも、デッカイのも小さいのも
一緒になってじゃれあったり、追いかけっこをしている。
時にはワンワン、キャンキャンとけたたましい喧嘩になることだってあるが
でも人間と同様、それが「世間」というものだ。



考えてみれば、私たちは驚くほど狭い人間関係の中で生きている。
特に私などの年齢になると、これから新しい友人をつくるのもなかなかに至難だ。
そういった意味で言えば、ネットにしろドッグランにしろ
ペットを通じて「新たな人間関係」が生まれるのはとてもいいことだと思う。
この際、いっそのこと公園には「ドッグラン」の設置を義務付けたらどうだろう。
ペットだけでなく、他ならぬ人間のために・・・



但し、問題はその人間たちだ。
公園にはこの手の張り紙があちこちにあるのだが、最近、また増えた。
いったいどういうつもりなのだろうかと、見るたびに心が曇る。
無論、それぞれ事情があってのことだろうが
どんな理由があるにせよ「捨てていい命」などこの世にない。



こんな貼り紙もある。
もう二ヶ月近くになるのにまだ見つからないようだ。
飼い主の「悲痛」が目に浮かぶようだ。
小さな命をゴミのように捨てる人があれば、必死で我が子の行方を捜し回る人もいる。
ペットブームにさまざまな思いが去来する。

人気ブログランキングへ

美人首相

2011年10月29日 | 日記


タイの「洪水被害」が深刻さを増している。
「微笑みの国」の人たちが笑ってなどいられない状況になっている。
テレビのニュースなどで見る限り雨など降っていないのに
チャオプラヤ川の水位は上昇を続け、ついに首都バンコクにまで流れ込んだ。



市民生活は完全にマヒ状態。
商売どころではなく人々はひたすら「土のう積み」に追われる。
避難場所になっていた空港にまで水が押し寄せ国内線は運航停止に追い込まれた。



もともと国土の高低差が少なく洪水の多い国ではあったが
今年は幾つもの台風が勢力を温存したかたちでインドシナ半島で猛威をふるい
その大量の雨がゆっくりと河口に向かって流れあふれているのだ。



産業セクターへの影響はさらに深刻だ。
近年、自動車や精密機器メーカーを中心に日本企業はこぞってタイに進出。
タイは今や日本の工業生産の屋台骨を支えるバックヤードだが
現地工場が次々に水没、休業状態となっている。
この影響はこれからボディーブローのように日本経済を蝕んでいく。
それにしてもなぜこんなことになったのか・・・



インドシナ半島では経済成長により急激に森林伐採が進んでいる。
とくにタイの森林減少率はは東南アジア諸国連合(ASEAN)の中でも最大で
この10年間で年率3.3%、国土に占める林野の割合は25%まで急落した。
また山間部では少数民族による「焼き畑」農業が今も続いていて
年間40万ヘクタールの森林が失われていて、その跡地への植林・造林は皆無。
つまり森林の保水能力が失われ、今回のように南アジア全域に大雨がふると
雨水は計り知れない量となってチャオプラヤ川に押し寄せる。



この「天災」とも「人災」とも言える異常事態に取り乱し
右往左往するのが才媛の誉れ高いインラック首相。
ご覧の通りなかなかの美人である。
街で見かけたら思わず振り返ってしまうかも知れない。



インラック首相はご存じの通りタクシン元首相の妹君だ。
タイ財閥の令嬢に生まれ地元のチェンマイ大学からアメリカに留学。
今年の選挙で首相になったばかりだった。
まだ44歳の若さで、就任前からその指導力を懸念する声はあったが
今回の事態で図らずもそれが「現実」になってしまった。
二転三転する洪水対策や情報開示の遅れに市民からは批判が続出。
この美しい顔を歪めて「半狂乱」になっている姿が浮かぶようだ。



彼女の発案かどうかは定かではないが
政府は川に漁船やボートを並べ、そのスクリューの力で水を押し流すという
とんでもない「奇策」に出たが・・・効果はなく一日で中止。
大自然を前にそんなアホなことが通用する筈もなく、まさに笑止であった。
いかに対策が「思いつき」「場当たり」かの証明だろうか。



天災とは言え一国が「水没」するなど前代未聞のことである。
国民の苦難を思うと本当に他人ごとではない気がする。
しかし、テレビのニュースで報道記者が市民にインタビューすると
人のよさそうなオジサンが「日本こそ震災で大変だろう、頑張ってくれ!」と
逆に記者に握手を求めて来たシーンには感動してしまった。
まさにそれが「微笑みの国」の人のやさしさなのたろう。



美人首相は嫣然と微笑むが、本当に今は「笑っている場合」ではない。
今こそ歯を食いしばり、髪を振り乱してリーダーシップを発揮して欲しい。
遠い日本からエールを送る。

人気ブログランキングへ

クレーンの愉しみ

2011年10月28日 | 日記
この記事を書く前にちょっと迷った。
いや、大いに迷った。
こんなことを書いたら世間様に笑われるのではなかろうか。
笑われるのはいいが倒錯した人間のように思われるのではなかろうか。
やっばりヘンな奴と呆れられて仕事が来なくなるのではなかろうか。
いろいろと案じつつ、勇気を奮って書くことにした。
クレーンのことである。



私はクレーンを見ると妙に興奮する「性癖」がある。
街の工事現場で巨大なクレーンを見かけると嬉しくなってついカメラを向ける。
何か「儲けたような気分」になって一日が楽しい。



どんなクレーンでも、という訳ではない。
建設中の高層ビルやマンションのてっぺんで働いているあの巨大クレーン。
業界では「タワークレーン」と呼ぶそうだ。
マゾヒズムの人たちは「切腹」という言葉を聞いただけで興奮するそうだが
私は「タワークレーン」という言葉だけで興奮してしまう。



友人や知人に話してみても奇異な目で見られるばかりである。

「そんなこと考えたこともないですねえ」
「クレーンの運転手になりたいとか、そういうことですか?」
「意外に上昇志向が強いんじゃないの?}
「そんな上ばかり見て歩いていたら危ないですよ」
「ああ、クレーンがあるなあ・・とは思いますけど」

共通の「性癖」の持ち主は誰もいないのである(淋)



先日、いつもは「見上げている」クレーンを上から「見下ろす」機会があった。
ちょっと印象が違うから・・・と期待したのだが、同じように興奮した。



ビルの上で働く「パワーショペル」を見てもワクワクしてしまった。
どうやら「見る位置」の問題ではないらしい。
我ながらいったいどういう心理なのか・・・一度、心理学者の聞いてみたい。



息子がまだ幼児の頃「トミカ」のミニカーが好きで大量に集めていた時期がある。
それが終わったら今度は「働く車」に興味が移り
ダンプやブルドーザー、パワーショベルなどの玩具に夢中になった。
男の子は例外なく「乗り物好き」だから、そういう心理の名残りだろうか。
要するに「幼児性」の問題なのか・・・



深い悩み(?)を抱えながら今日もクレーンを見上げる。
あの「赤白」の模様は上空を飛ぶ航空機から識別しやすくするためのものとか。
そんな事実にも大いに感心したりする。
天高く聳え立ちながら黙々と鉄骨を積み上げていくタワークレーン。
これからどんな建物を創り上げていくのだろうと思うと胸が躍る。
「愚直」「孤高」「偉大」などという言葉が浮かぶ。
やっぱりちょっとおかしいのだろうか・・・



実は私が描くスケッチにもクレーンがしばしば登場する。
これは全く無意識だったが最近気がついた。
私の「クレーン好き」は潜在意識にまで根ざした筋金入りのようである。
だれか私と同じような人はいませんか?


人気ブログランキングへ

大宮盆栽村

2011年10月27日 | 日記


「円空展」を見に行った帰り・・・
ブラブラと歩いていると、こんな道路標識に出くわした。
その名の通り盆栽業者や盆栽愛好家が集まる日本で唯一の町だ。
正式には「さいたま市北区盆栽町」だが
ちゃんと地名表示になっているところがスゴイ!



その閑静な住宅地の中心にあるのが「さいたま市大宮盆栽美術館」。
以前、何かのテレビで見たことがあるのを思い出す。



盆栽に格別の興味はなかったが入館料300円を払って中へ。



ロビーを入ると、いきなり立派な盆栽が!
私がいつも公園で見かける「花梨の木」が見事な枝ぶりで鉢に鎮座している。
その「威風堂々」たる姿にちょっと感動してしまう。



館内は展示の盆栽を観賞しながら庭園を歩く仕組みになっている。
「盆栽回遊式庭園」といったところか。
盆栽は年寄りくさい趣味の代表選手のように思っていたが
今や「BONSAI」の名で世界的にも知られる芸術品で
ここを訪れる外国人客も多いと言う。



秋空の下で静かに盆栽を味わう熟年ご夫婦。
「あなた、この松の枝ぶりは最高ね」
「ああ、この角度を出すのがなかなか難しいんだ」
「うちの庭に置いたらいいでしょうねえ」
「お前が気に入ったのなら買えばいいよ」
「ここカード使えたかしら」
などという会話が交わされているような気がしたのだが・・・



大きく右側に湾曲した「黒松」の造形美。



小じんまりとした「イチョウ」が古木の趣を醸し出す。



こちらの「黒松」は屈伸前屈運動のように鉢の下まで枝を伸ばす。
こんな風に「変形」させるのはずいぶんと時間と根気がいるに違いない。



私が一番気に入ったのはこの「寿雲」と題された「真柏」の木。
高山や海岸の崖など厳しい環境に生える木らしいが
白く風化したような木肌がその風雪をみごとに表現している。



季節とともに紅葉が始まった「楓」の木。
盆栽とは小さな鉢の中に壮大な「自然」を創り出す芸術作品。
生きものだけに常に変化しているから永遠に「完成」することはないと言う。
私もまだまだ「未完成」だ!



館内のミュージアムショップでこんなサイダーを見つけた!
その名も・・・



世の「サイダーブーム」に新たな大物登場か?


人気ブログランキングへ