まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

ハロウィンの満月

2012年10月31日 | 日記

ここ数日の朝の寒さは格別だ。
ジョギングに出かける頃には多少は温かくなって来るが
ひと汗かいた後はまた体が冷える。

そんな冷え込みで公園の木々も日増しに色づいて来た。
真っ赤な紅葉も目に鮮やかでいいけれど
こういう「黄葉」の色づきも気持ちが和むようで素敵だなと思う。

中でも「ゆりの木」は黄色に赤や緑も混じってカラフルだ。
公園のメインストリートが「ゆりの木通り」と名づけられているほど多い。
秋空に高々と聳え立って、パラパラと落ち葉を散らす。

池のほとりの「ラクウショウ」も色づいて来た。
なかなか渋い色合いだ。
この季節は赤錆色と緑色が混在してなかなか味わいがある。

池にはカモも帰って来た。
はるばる北のシベリアあたりから飛んできたのだろうか。
疲れも見せず元気に泳ぎ回っている。

カモは人懐っこくて可愛い。
着用のウェットスーツがみごとに水をはじいている。
公園を代表する冬鳥で、これからいよいよ彼らの季節が始まる。

その池のほとりで女の子が遊んでいる。
♪ かごめかごめ かごの中のとりは いついつ出やる・・・
今どきの女の子がそんな歌をうたっているのにちょっと驚いてしまった。

秋はモノ思う季節・・・
オジサンは何を考えているのであろうか?
さて、これから打ち合せだ!
打ち合せばかりでちっともお金が入って来ないぞ!

地下鉄の駅に併設の商業施設で
ハロウィンの風船がフワフワと揺れていた。
そうかハロウィンの季節か・・・と思うがまったく馴染みがない。
ハロウィンがどこの国のお祭りなのか
カボチャがどういう関係があるのか、まったく知識がない。

クリスマス然り、バレンタインデー然り
日本人はどうしてこんなに節操がないのかと嘆きたくなる。
嘆きたくはなるが、まあ「目くじら」を立てることでもないかと思う。

打ち合わせの帰り、何気なく買った文芸春秋。
地下鉄の車内で読んでいたが、ふと気がついた表紙の絵に心惹かれた。
日本画家・松村公嗣氏の「秋けぶく」という作品で
晩秋の木曽川の河原で農家の人たちが落ち葉や稲藁を燃やす風景を描いている。
そう言えば私の故郷でも刈り入れの終わった晩秋の田畑で
あちこちで煙が立ち上っていた光景を思い出す。
あの長閑さ、あの匂い・・・「秋けぶく」とはいいタイトルだなあ、と思った。

その夜はみごとなハロウィンの月だった。
雲間にのぞく冴え冴えとした満月に桑名正博のあの晴れやかな笑顔が重なり
思わず「月のあかり」を歌いたくなった。
今朝は作家・藤本儀一氏の訃報、関西の才能が次々と消えていく。

 


雨上がりの詩情

2012年10月30日 | 日記

昨日は朝から自転車で病院へ。
月に一回、数値検査と投薬のための通院。
オジサンもこの歳なると持病の一つや二つは仕方がない。

途中、こんな光景に出くわした。
雨上がりの木立から「木洩れ日」がいっぱいに差しこんでいる。
思わず見とれてしまった。

風が吹くと雨粒がキラキラと輝きながら降って来る。
おお!などと声をあげてしまった。
自転車通勤の人たちが訝しげな顔で追い越していく。

エノコログサも水滴をたっぷり纏って輝いている。
うーん、詩情を感じるなあ・・・素敵だ!

みずみずしいレタスのようだ!
胡麻ドレッシングをかけて食べたくなる。
いや、胡麻ドレはカロリー高いからちょっとマズイか・・・

雨で散り落ちた枯れ葉・・・詩情がいたるところに転がっている。



ベンチの上に降り積もった落ち葉。
いいなあ、絵になるなあ・・・と思わずパチリ。



撮っている間にも枯れ葉がハラハラと舞い落ちてくる。
カメラを向けるが・・・なかなか上手く撮れない。

枯れ葉を撮るのは難しい。
でも、撮りながら秋の風情を全身で感じる。

地面から湯気が立ち昇っている。
水分を含んだ土が太陽に温められて水蒸気を発しているようだ。
雨上がりならでは光景だなあ。

雨上がりの澄み切った空を枯れ葉が舞う。
ふと、ダカーポの「結婚するって本当ですか」を思い出した。

  ♪ 雨上がりの朝 とどいた短い手紙
    ポストのそばには 赤いコスモス 揺れていた
    結婚するって 本当ですか 机の写真は 笑っているだけ
    ほんの小さな出来事で 別れて半年 たったけれど
    やさしい便りを まっていた まっていた

雨上がりの朝をさまざまな思いで迎える人がいる。
でも、さわやかな朝は一日の始まりに勇気を与えてくれる。

雨上がりに見とれて病院に遅刻しそうだった。
数値は順調でホッとひと息。
病院の後は手紙を書いて、銀行と郵便局に行って
午後からは打ち合わせと忙しい一日だった。
日毎に秋が深まっていく。

 


ロハスの犬たち

2012年10月29日 | 日記

公園の「ロハスフェスタin東京」は
人も多かったけれど、気がつくと犬たちも多かった。

会場は犬の入場もOKだった。
これだけまとめて犬を見る機会がなかっただけに
人もそれぞれだけど、犬もそれぞれだなあ・・・と妙に感心した。

これは確かコージーとかいう犬だ。
私の実家で飼っているから馴染みの顔である。
人混みの中、棒にくくりつけられて、ちょっと不安そうな表情だった。

これもお馴染みのダックスフンド・・・だったかな?
洒落たオベベを着せてもらって、しきりに匂いを嗅いでいた。
短い脚が可愛いとも思えるが、見方によっては「不憫」にも感じる。

これはプードルだったか・・・
いつも思うのだが犬を乳母車に乗せるのはどういうことなのだろう。
人間の赤ちゃんと同じ感覚なのだろうか。
過保護にも思えるのだが、深い仔細があるのかも知れない。

これは初めて見た犬だ。
名前は知らないが気品のようなものが漂っていた。
顔もちょっと哲学的だ。

こちらは色違いと言うか柄違いと言うか・・・
大型犬にしてはおとなしくて威圧感がなかった。
きっと温和で思慮深い性格なのだろう。

普段、公園で見かける犬はヤンチャも多いが
ロハスで出逢った犬は吠えもせず、みんな「いい子」ばかりだった。
これは元々の性格なのか、それとも躾の賜物なのか。
どの犬も可愛くて見るからに微笑ましかった。

今や犬は単なるペットではなくて家族だと言う。
昔も家族の一員ではあったが、今はその切実さが違うと言う。
一人暮らしのお年寄りは増える一方だし、男女とも未婚率が高まっている。
犬は何より「孤独」を癒してくれる存在となった。
煩わしい他人と暮らすより犬の方がよほど気楽で安らぐのかも知れない。
単なる家族というより、かけがえのない人生のパートナーである。



これはブルドッグ・・・ではないな。
ネットで調べてみたらボストンテリアに似ていたが、違うかも知れない。
いずれにしても人懐こい愛敬のある顔をしている。



ん、これは何という犬だろう!
細面だが体はかなりデカイ、思わずよけてしまった。
あたりを睥睨するかのようにノッシノッシと威厳たっぷりに歩いていた。

これも見たことがある犬だが・・・
世の中は人種もそれぞれだが「犬種」も実に多彩である。
顔つきや姿かたちが違えば、性格もそれぞれに違っているのだろう。
そう考えるとまさしく人間と同じである。
犬を愛する人たちの気持ちがちょっと理解出来たよう思えた。

土曜日はいい天気だったが
日曜日のロハスフェスタは一転、雨となってしまった。
過保護な犬たちは風邪をひかないだろうか、などと心配になった。

 


ロハスな人たち

2012年10月28日 | 日記

昨日はさわやかな「ロハスの日」だった。
毎年秋、公園で開かれる「ロハスフェスタin東京」である。

関西では10月の始め大阪万博公園で開かれた。
ロハスのイベントとしては国内最大級というフレコミである。
朝から大変な賑わいであった。

こういうのがロハスのイメージらしい。
パンフレットには「おしゃれに楽しく身近なことからエコを実践しよう」とある。
ロハスは2000年にアメリカを中心に始まった社会啓蒙運動で
健康や環境を重視するライフスタイルのことだ。

会場には200近いブースが設けられ
おしゃれな「ロハス女性」たちでごった返していた。
手づくり雑貨、アンティーク、クラフト、ファッション、家具インテリア、美容関係・・・
あらゆるエコ商品が集結している。

鉢植えや観葉植物一つとってもオシャレだ。

古着の店も多かった。
使い古しにも関わらず結構な値段がついている。
ロハスは高邁な理念ではあるが決して安くはないのである。

こういうブースもあった。
物々交換という響きがいいよなあ・・・

ロハス関連の市場規模は40兆円とも言われる。
アメリカでは今や成人の三分の一が「ロハス志向」だとも聞いた。
新しい消費スタイルが確実に根付きつつある。

会場の一角がフードコートになっている。
自然食材にこだわったスローフードの店に長蛇の列が出来ていた。
東北関係の出店も多かった。
私も芝生に寝ころんでケバブで生ビールを・・・と思ったけれど
ジョギング中なのでぐっと我慢の子であった。

藍染の布地に「ふんどし」とある。
最初は意味がわからなかったのだが・・・・



見ての通りの「ふんどし」の店であった。
何ともオシャレで、私にはTバックにしか見えないけれど。
店員さんによると「ふんどし」は体を締め付けない健康的でエコな衣類だと言う。
それはそうだが、うーん、なんだかなあ・・・

激しく反応して購入寸前のご夫婦がいた。
うーん、体型からすると「LL」か「3L」か、かなりの布地が必要だなあ。

会場は規模の大きい「フリマ」という印象だった。
確かにどの商品も健康や環境に配慮したものばかりで、しかも洒落ていた。
リーマン・ショックから東日本大震災を経て
日本も生活のあり方、ライフスタイルを大きく見直す時期に来ている。
さしずめ「原発」はその象徴かも知れない。
いつまでも「大量生産・大量消費」ではやがて地球は立ち行かなくなる。
身の丈に合った国、身の丈に合った暮らしを目指さなくては・・・



この猫の「湯飲み」が妙に気に入った。
ロハスフェスタは27日、28日と開催されているから
明日、買いに来ようかな・・・

 


西日を浴びて

2012年10月27日 | 日記

昨日も午後からのジョギングだった。
家を出たのが2時半、もう太陽が西に傾きつつあった。

ジョギングはやっぱり朝だとは思うが
この時間帯も風景にちょっと「翳り」のようなものがあっていい。

人影の少ないジョギングロードを黙々と走る。
路面に差しこむ木々のシルエットもボンヤリとして朝とは全く違う雰囲気だ。
昨夜は徹夜したので何となく体が重い、息も荒い。

向こうからスケボー野郎が疾走して来た。
牛歩のごとき私を嘲笑うようにスイスイと走りぬけて行った。
人生もそんな調子でいくとは思うなよ!

桑名正博さんが亡くなった。
闘病三ヶ月、結局、奇跡は起こらぬままだった。
倒れて以来、ほとんど「植物人間」状態で意識が戻ることはなかった。
高額の医療費がかなりの負担だという噂も聞いた。
不謹慎だがご家族にはホッとする思いもあったのではなかろうか・・・

大阪時代に一、二度、ライブを見たことがある。
妻のアン・ルイスさんと離婚された直後だったような記憶がある。
まことにノリいい大阪のニーチャンといった感じだったが
歌声は実にセクシーで男の私でさえ魅了されるようなところがあった。
新地の酒場でもお見かけしたことがある。
見るからに「ヤンチャ坊主」といった憎めない笑顔で
いつも大勢の仲間とともに陽気に豪快に飲んでおられた。

桑名正博氏は私と同い年である。
誕生日もごく近く、星座も同じ獅子座である。
だからという訳でもないが「他人事ではないなあ・・・」思う。
考えても仕方のないことではあるが、いろいろと身につまされてしまう。



公園のモニュメントが西日を浴びて輝いている。
私も今や人生の「西日」をたっぷりと浴びる年齢だが
果たして輝いているのだろうか・・・



こちらにもスケボーの「ヤンチャ坊主」がいる。
彼はこの直後、ステップ台を踏み外して大きく転倒した。
人生、いつ何があるかわからない。

イチョウ並木も西日を浴びている。
真っ赤な紅葉もいいが黄色もいいなあ・・・

今年はいろいろな人が亡くなった。
心に残る人が多く、人の死が妙にこたえる。
大阪のヤンチャ坊主に合掌!