(愛知県清須市西枇杷島町小田井)
文明十三年(1481)尾張守護斯波氏臣織田敏定が清洲城の出城として築城し、敏定の弟、久孝が居城した。久孝は、城地に神明社を創建し、土地の守り神としたという。
天正八年(1580)頃、時の城主織田(津田)忠辰は、羽柴秀吉によって城を追われ廃城となった。
庄内川を堀として利用した城であるが、現在、城跡は公園や宅地となり、遺構は全くみられない。古城、城並等の地名のみが往時の歴史を伝えている。
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何でも知ってるkoureiさんて歴史博士?
小田井は、お城があるということで知るようになりました。