(愛知県新城市乗本)
天正三年(1575)五月八日、武田勝頼は一万五千の軍で長篠城を包囲した。その時、対岸乗本に五つの陣砦を築き、守兵一千を配して包囲した。その中の一つが標高およそ150mに設けられた鳶ヶ巣山陣砦であり、主将には信玄の弟である武田(河窪)信実が務め、信実臣小宮山信近も騎を配した。
同月二十日の夜、織田徳川軍酒井忠次は、四千の兵と五百丁の鉄砲隊を引き連れ南隣吉川の松山峠を越え五砦の背後に迫った。そして二十一日朝、酒井勢が攻め込み、信実陣は壊滅に至ったのである。
その光景を知っているだろうといわれる「天正の杉」の倒木が今も横たわっている。
また、8月15日には戦死者の霊を弔うために始まったとされる、乗本万灯の送り火行事が、鳶ヶ巣山一角の万灯山で行われる。
(関連記事:姥ヶ懐 中山 君ヶ伏床 久間山 舟津 大通寺 医王寺山 天神山 設楽原竹広 柳田前)
天正三年(1575)五月八日、武田勝頼は一万五千の軍で長篠城を包囲した。その時、対岸乗本に五つの陣砦を築き、守兵一千を配して包囲した。その中の一つが標高およそ150mに設けられた鳶ヶ巣山陣砦であり、主将には信玄の弟である武田(河窪)信実が務め、信実臣小宮山信近も騎を配した。
同月二十日の夜、織田徳川軍酒井忠次は、四千の兵と五百丁の鉄砲隊を引き連れ南隣吉川の松山峠を越え五砦の背後に迫った。そして二十一日朝、酒井勢が攻め込み、信実陣は壊滅に至ったのである。
その光景を知っているだろうといわれる「天正の杉」の倒木が今も横たわっている。
また、8月15日には戦死者の霊を弔うために始まったとされる、乗本万灯の送り火行事が、鳶ヶ巣山一角の万灯山で行われる。
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