和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

6月17日(水)のつぶやき

2015年06月18日 01時45分43秒 | 今日の俳句

ブログを更新しました。 『革心40/小説「新・人間革命」』
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ブログを更新しました。 『雷鳥/名字の言 ≪第.1806号≫』
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革心41/小説「新・人間革命」

2015年06月17日 06時58分44秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月17日(水)より転載】

【革心41】

 天津では、男女学生が中心となって、帝国主義国家への抗議の声が大きく広がっていった。十万人の国民大会やデモ行進も行われた。
 軍隊、警察の弾圧は激しくなった。同志が不当逮捕されるという事件も起こった。その抗議に行った周恩来も逮捕された。学生たちは、警察の責任者の厳重処分を要求するとともに、授業をボイコットして抵抗した。
 周恩来たちは、獄中にあっても、ハンストを行うなど、闘争を続けた。
 穎超は、二十数人の学生と共に、布団を持って警察に行き、座り込んだ。勾留されている同志を即時釈放し、私たちを代わりに捕らえよ――というのだ。
 警察は、その要求を聞き入れることはなかったが、世論は、勇敢な彼女たちの抗議を支持した。やがて、周恩来らは釈放される。
 自分が身代わりとなって釈放を求めた穎超らの行動は、同志の信頼を確固不動のものにしていく。エゴに走れば、相互不信を煽るが、同志のためにという勇敢な戦いは、団結の絆を、太く、強くする。
 一九二〇年(大正九年)夏、穎超は女子師範学校を卒業し、北京の小学校に教師として赴任した。まだ十六歳の教師の誕生である。
 また、周恩来は、「覚悟社」の二人のメンバーと共にフランスに留学することになる。留学といっても、「勤工倹学」(働きながら、節約を重ねて学ぶこと)であり、広く近代的な知識を身につけて、新社会建設に生かすためであった。
 働きながら学ぶとはいえ、渡航費用などがまず必要である。周恩来は、南開学校の創立者らの支援を得て、留学が実現したのだ。ほかの二人は、経済的な心配はなかった。
 穎超にも、“留学し、世界を自らの目で見て勉強したい”という強い希望はあったが、もとより、そんな余裕はなかった。
 周恩来は、穎超に、必ず手紙を書くことを約束する。別離にあたって彼女は、彼にセーターを編んで贈っている。裏に、「あなたに温もりを」と小さく刺繍して。


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雷鳥/名字の言 ≪第.1806号≫

2015年06月17日 06時35分32秒 | 今日の俳句




  雷鳥の遊ぶ岩根の捨扇
       木原白眼


  雷鳥のすこしにんげんくさくなる
       松澤昭


  雷鳥や雨に倦(う)む日をまれに啼く
       石橋辰之助


  雷鳥の巣にぬくみある夕立かな
       吉田冬葉


  夕闇に雷鳥まぎれ岩残る
       岡田日郎




※ 雷鳥
 キジ科ライチョウ科に属する留鳥である。
 日本アルプス、立山や白山などの二千メートル越える高山に棲息する。
 日本では特別天然記念物として保護している。
 冬は白色となり雪に紛れる保護色となり、夏は岩の色にも似た黒地に茶の斑があり、腹部は白い。
 動作は鈍くあまり高く飛ばないので猛禽類から襲われやすく、朝夕の薄明かりの時や雷雲が近づいた時などに姿を見せるのでこの名がある。

【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】




     ※わが友に贈る※


  青年部が弘教に奮闘!

  壮婦も一体となって

  真心の励ましを!

  創価家族の団結こそ

  広布拡大の原動力なり!


        2015年6月16日





     ※☆*寸 鉄*※


言葉は魂の息吹であるー哲人(ギリシャ)。自分自身の歓喜を語れ。大情熱は必ず通ず

     ◇

茨城の日。日本一朗らかな民衆城をわが郷土に!青年を先頭に拡大へ驀進

     ◇

列島に梅雨前線。無冠の友の日々の労苦に感謝。呉々も無理せず無事故で

     ◇

信心は急速に良く変わっていく実践活動だー恩師。勝利の黄金譜を師と共に

     ◇

米首都(ワシントン)で20年ぶりに原爆展。核廃絶へ。悲惨直視し対話の場となること願う






     ※名字の言※


直木賞作家の田中小実昌さんの作品には、平仮名が、ふんだんに使われている。だが、単に多用しているのではなく、例えば、意味の違いで、「前」と「まえ」に表記を使い分け、編集者にも、原稿の平仮名を漢字に直さないよう注文を付けていた



たった一字でさえ、それを記すのに苦慮を重ね、たった一字の中に思いを凝縮する。それが「表現する」ということだろう



震災復興関係の書籍出版に携わる友に聞いた話。直しの入ったゲラ刷りが、著者から戻ってきた。三陸沿岸について記述した「津波常襲地」という言葉の「襲」の字を「習」に置き換える修正が入っていた



三陸に長年住み、海の怖さだけでなく恵みも知り尽くす人々にとって、「海」は人々を「襲う」だけの存在ではない。糧としながら、畏敬し、学び、共に生きる相手ーーそんな思いを「習」の一字に込めたのだろう。著者は、実地調査を重ね、見聞し、確かめた事実を重視する研究者だという



日蓮大聖人が「立正安国論」を著す際、「国」に「囻」の字を多く用いられたことは以前、小欄でも触れた。国は為政者のためではなく、そこに暮らす「民衆」の幸福のためにある、との意思が拝せられる。一字の中に、万年を開く人間主義の哲学が宿っている。          (白)





【聖教新聞:2015年(平成27年)6月17日(水)付】 



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革心40/小説「新・人間革命」

2015年06月17日 04時22分22秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月16日(火)より転載】

【革心40】

 「覚悟社」の結成にあたって、周恩来が起草したのが「覚悟社宣言」である。そこには、「革心」と「革新」の精神を根本にして、運動を進めていくことが述べられている。
 社会の「革新」のためには「革心」すなわち、心を革めることが不可欠である――そのとらえ方に、若き周恩来の慧眼がある。
 日蓮大聖人は、「ただ心こそ大切なれ」(御書一一九二ページ)と仰せになっている。心は、一切の根本をなす。ゆえに、その心を常に磨き抜いていくことが肝要となるのだ。
 社会改革がなされ、いかに優れた制度をつくり上げたとしても、それを運用していくのは人間である。
 したがって、人間の心の改革がなければ、制度は形骸化され、悪用されるという事態も起こりかねない。そうなれば、より良き社会を築くことも、人びとが幸せを享受することもできない。改革の理想は、藻屑のごとく、権力を得た者の欲望の海にのみ込まれ、消え去ってしまう。
 自身を見つめ、正すこと、すなわち「革心」なくしては、真の社会改革もない。
 「覚悟社」の青年たちは、自らの改革を怠らず、先駆的な識者などを招いて講演会を行い、懸命に、貪欲に学び、さまざまなテーマを設けて研究にも努めた。穎超は、家庭の改造の研究に取り組んだ。
 「覚悟社」では、会報『覚悟』を創刊する。政府が監視の目を光らせているなかでの出版である。
 メンバーは、危険を避けるために、番号をもとにした仮名を使うことにした。
 穎超は、会報には「壱」というペンネームで、「なぜ……?」と題する一文を寄せ、学生の思想、生き方に、鋭い問いを発した。
 「なぜ、人を軽蔑するのか?」「なぜ、人を嫉妬するのか?」「なぜ、悪い習慣に染まるのか?」「なぜ、無益な本や雑誌を見る必要があるのか?」など、学生たちの高邁な主張と、現実の考え方や振る舞いとの乖離、矛盾を突いていったのである。


■ 小説『新・人間革命』の主な参考文献
 参考文献
 西園寺一晃著『穎超』潮出版社  『人民の母――穎超』高橋強・水上弘子・周恩来 穎超研究会編著、白帝社
 ハン・スーイン著『長兄――周恩来の生涯』川口洋・美樹子訳、新潮社



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6月16日(火)のつぶやき

2015年06月17日 01時45分11秒 | 今日の俳句

【中国発狂】”中国ナチス宣言”に中国人記者が goo.gl/MiG8BV


ブログを更新しました。 『【中国発狂】”中国ナチス宣言”に中国人記者が『見苦しい大醜態を晒して』発狂。』
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老鶯(ろうおう)/名字の言 ≪第.1805号≫

2015年06月16日 06時46分23秒 | 今日の俳句
  老鶯や貴船鞍馬の幾つ谷
       松根東洋城


  老鶯をきくズロースをぬぎさして
       辻 桃子


  老鶯の遍路の森に隠れなす
       秋山深雪


  老鴬の遠音に厄を落とせしこと
       栗林千津


  老鶯やしんしん暗き高野杉
       石塚友二



※ 老鶯・老鶯(おいうぐいす)・夏鶯・残鶯(ざんおう)
 高原や山岳地帯では夏になってもまだ鶯が鳴いている。春を過ぎて繁殖のために山にあがってきて鳴いている鶯を老鶯といい、必ずしも老いた鶯と考えなくてもよい。
→鶯(春)・笹鳴(冬)

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】




     ※わが友に贈る※


  決意即実践だ。

  「さあやろう!」

  そう決めた瞬間から

  勢いよく行動を!

  断じて時を逃すな!


        2015年6月16日




     ※今週のことば※


  人間革命は会うことから

  広宣流布は語ることから

  皆が幸福をつかむ

  創価家族の世界へ

  一人でも多くの友を!


        2015年6月14日





     ※☆*寸 鉄*※


後継の未来部が研修会。未来は君の双肩に。学びに学び、羽ばたけ鳳雛よ。

     ◇

福島女性の日。うつくしくまを照らす婦女の行進!福光の主役を諸天も讃嘆

     ◇

「いつも・たいせず信ずるなり」御書。持続の人に栄冠。水の流れる如く

     ◇

外国人観光客向けに観光ルートを選定ー観光庁。心の交流のチャンスにも

     ◇

高齢者の地方移住を政府が促進。地域の絆、生きがいの確保等、具体策図れ






     ※名字の言※


「貧乏、ということは、気位が高い人間のことだと思いこんでいた」。作家の石牟礼道子さんが、『父』(藤原書店)の中で書いていた。石牟礼さんのお父さんは石工で、学校には小学校4年までしか行かなかったという                    



「親の背を見て子は育つ」とも、「子は親を映す鏡」とも言う。「わたしは極貧の中で育ったが、いじけるということは無かった。人間的プライドを、無学な父から教わったように思う」。石牟礼さんの文章を読むと、これまで出会った、無数の「広布の父」が心に浮かんでくる                 



ある壮年が久方ぶりに郷里に帰った時、何人もの人に頭を下げられた。そして、必ず言われた。「お父さんには、本当にお世話になってね……」。壮年の父は地域のリーダーで、人に尽くす人だった。多くの人の心に父が生きていることを、壮年は知った



父の口癖があった。「人はのぉ、面倒を見た分しか育たんぞ」。父が伝えようとしたことが、自分が家庭を持って父となり、地域広布に走る今、初めて分かる気がするという



「父の恩の高いことは、須弥山さえも、なお低いほどである」(御書1527ページ、通解)。親孝行は照れくさいもの。だが、どんな人も笑顔になる“魔法の贈り物”がある。それは「ありがとう」の言葉である。          (川)



【聖教新聞:2015年(平成27年)6月16日(火)付】 



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6月15日(月)のつぶやき

2015年06月16日 01時45分42秒 | 今日の俳句

ブログを更新しました。 『青葉木菟(あおばずく)/名字の言 ≪第.1804号≫』
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青葉木菟(あおばずく)/名字の言 ≪第.1804号≫ goo.gl/WSVPq1



青葉木菟(あおばずく)/名字の言 ≪第.1804号≫

2015年06月15日 05時30分31秒 | 今日の俳句
青葉木菟(あおばずく)/名字の言 ≪第.1804号≫



  夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟
       橋本多佳子


  恋の句の一つもなしよ青葉木菟
       高島 茂


  焦土にも道あり遠き青葉木菟
       瀧 春一


  百遍の嘘も本当に青葉木菟
       北原武巳


  横顔は猛禽のもの青葉木菟
       茨木和生



※ フクロウ科の夏鳥。背部は黒く、尾羽には灰褐色の帯斑がある。山麓または平地の森林に多くいるが、村落、都会の神社などの木立にも生息する。
 昼は梢で眠っているが、夜になるとホーッ、ホーッと一種特異な寂しい暗い声で鳴く。青葉の眩しい五月ごろ渡来。秋に南方に帰る。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





◆ーー山間地帯の子どもを支援 中華文化促進会の高占祥主席が創立



     北京山花プロジェクト慈善基金会が
     池田大作名誉会長を名誉国際顧問に

 【北京10日】中国の山間地帯の子どもたちを支援する「北京山花プロジェクト慈善基金会」(高占祥名誉理事長)が、池田大作名誉会長を「名誉国際顧問」に迎えた。授与式は10日午前、北京市内の国家オリンピック体育センターで挙行され、同基金会の韓理事長、王冰副理事長が出席。日中友好青年交流団団長の橋元青年部長に、証書が託された。
日中は一衣帯水の隣国 教育交流の「金の橋」を


 「山花プロジェクト」は、中華文化促進会の高占祥主席(同基金会名誉理事長)が、中国国内の山間地帯で貧困に苦しむ子どもたちを支援したいと、2006年にスタートさせた。
 これまで、数十カ所の山間地帯で3000人を超える児童に教育の機会を与え、各界から称賛の声が高まっている。
 授与式が行われた国家オリンピック体育センターは、北京オリンピックの競技会場となった場所。世界の賓客を招いた優美な貴賓室で、授与式は執り行われた。
 授与式では、同プロジェクトの中心的な支持者である、北京電影学院の兪剣紅副学長があいさつ。日本と中国は歴史、文化、地理的にも一衣帯水の隣国であると述べ、「その関係を発展させるためには両国間の民間交流が重要である」と強調。「特に私たちは、創価学会と連携を深め、中国の教育に貢献していきたいと願い、全会一致で、池田名誉会長を『名誉国際顧問』にお迎えすることを決定したのです」と語ると、会場は大きな拍手に包まれた。
 さらに兪副学長は、名誉会長が平和提言で提唱した“東アジアのレジリエンス(回復力)交流の強化”に賛意を示し、特に防災教育の分野において日中両国はより協力していけると語った。


【聖教新聞:2015年(平成27年)6月15日(月)付】 



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6月14日(日)のつぶやき

2015年06月15日 01時45分17秒 | 今日の俳句

【民主党】「委員長に飛びかかるよう」文書で指示、派遣法改正案 goo.gl/1CXg0O


ブログを更新しました。 『【民主党】「委員長に飛びかかるよう」文書で指示、派遣法改正案』
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夜鷹/名字の言 ≪第.1803号≫

2015年06月14日 06時53分41秒 | 今日の俳句
  夜明てもくらしと夜鷹鳴きつづく
       水原秋桜子


  夜鷹鳴く鳥海までの真の闇
       山口青邨


  夜鷹鳴き霧の吹き入る行者小屋
       羽田岳水


  闇よせぬ幹は白樺夜鷹なく
       井沢正江


  夜鷹鳴き山の齢を深めたり
       上田日差子



※ 夜鷹・怪鴟(よたか)・蚊吸鳥
 ヨタカ科の渡り鳥で、キョ、キョ、キョと鋭い声で鳴き、低山などに生息する。夜行性で、飛びながら昆虫類、主として蛾や蚊などを捕食する。
 夕方と払暁前後に鳴くことからヨメオコシ、鳴き声からキュウリキザミなどの方言がある。全体に灰褐色で大きさは鳩ぐらい。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





     ※わが友に贈る※


  人間革命は会うことから

  広宣流布は語ることから

  皆が幸福をつかむ

  創価家族の世界へ

  一人でも多くの友を!


        2015年6月14日





     ※☆*寸 鉄*※


「私たちは誰もが変化をもたらすことができる」偉人(パークス)。さあ大胆に挑戦!

     ◇

女子部「華冠G」(かかんグループ)結成記念日。社会に喜びを送る美の創造者(クリエーター)。皆幸福たれ

     ◇

御書根本が創価の誇り。栄光人生の道と。教授補登用講座申込きょうまで

     ◇

指導とは激励なりー恩師。納得・共感・勇気の光を!地道な訪問激励を基軸に

     ◇

いじめられた経験のない小学生は1割ー白書。心に寄り添い兆候(サイン)見逃すな


     ※名字の言※


ナポレオン最後の決戦「ワーテルローの戦い」から18日で200年。当地では今月、再現イベントの予定もあるという



ユゴーはこの古戦場を訪れ、『レ・ミゼラブル』の一編を費やして、戦の顛末を描いた。皇帝の敗北を歴史の必然としながらも、文豪は、英国のウェリントン将軍でもプロイセンのプリュッヘル元帥でもなく、負けた皇帝の一近衛兵カンブローヌこそ勝者と書いた。ユゴーならではの民衆史観である



戦いの大勢が決した時、勇戦の近衛兵に敬意を表し、連合軍が降服を呼び掛ける。するとカンブローヌはただ一言。こう答えるのだ。「くそっ!」



皇帝と共に落日の運命を引き受け、その積年の恩顧に報い、殉じょうとする無名の兵。そこにユゴーは極限の勇気、精神の高貴さ、すなわち「人間としての勝利」を見た。それを描くことによって、すばやく時流におもねり、皇帝を裏切った人間たちを見下ろしたのだろう



事業の破綻で、学会の理事長を追われた戸田第2代会長が、一人支える池田名誉会長に贈った一書に、ユゴーがあった。四面楚歌の師を弟子が守り、あだを討ち、未来を勝ち開くーーここに創価の師弟の真髄がある。歴史を学ぶとは、歴史を身に当てることであり、常に自身に問い掛けることである。          (飛)





【聖教新聞:2015年(平成27年)6月14日(日)付】 



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6月13日(土)のつぶやき

2015年06月14日 01時45分53秒 | 今日の俳句

革心39/小説「新・人間革命」

2015年06月13日 06時42分05秒 | 今日の俳句


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月13日(土)より転載】

【革心39】

 梅園新村記念館を参観しながら、山本伸一は、峯子に言った。

 「周恩来総理は、本当に偉大な指導者であられた。今回は、北京で奥様の頴超先生とお会いできるんだね。楽しみだな。

 先生は、周総理と共に、新中国建設に人生を捧げてこられた。“人民の母”として誰からも慕われ、愛され、今も、周総理の遺志を受け継ぎ、人民の幸福のために、奮闘し続けておられる……」                                   

 彼女の生涯は、まさに、疾風怒濤であった。艱難辛苦であった。

 --頴超は、一九〇四年(明治三十七年)に中国の広西省南寧で生まれた。父親の庭忠は地方の役人をしていたが、新疆へ流罪され、彼女が幼少期に他界。中国医学を学んだ母親の楊振徳が、広州、上海、天津などを転々としながら、女手一つで娘を育てた。

 成績優秀な頴超は、わずか十二歳で、天津の直隷第一女子師範学校の本科に進学した。そして、一九年(大正八年)、十五歳の時に、あの「五・四運動」に参加したのである。

 それは、山東省でのドイツの権益などが、中国に返還されるのではなく、日本に譲渡されることに対する、日本をはじめ西欧列強、北京政府への、学生たちの怒りのデモから始まった反帝・反封建運動である。

 頴超は、天津にあって、北京の学生たちへの支援を呼びかけ、天津女界愛国同志会に加わり、講演隊長を務めた。中国人民を差別し、虐げる、列強の理不尽さを見過ごすわけにはいかなかったのである。

 このころ、日本留学から帰国した周恩来と出会う。彼は男子学生の天津学生連合会に入り、運動に情熱を注いでいたのだ。

 そして、天津学生連合会と天津女界愛国同志会が合流し、中核メンバーで結成されたのが「覚悟社」であった。ここでいう「覚悟」とは「悟って、覚醒する」の意味である。

 若き日をいかに生きるかが、一生を決定づけるーー人びとの幸福の実現という、崇高な目的に生きる時、青春は最も高貴な光を放つ。



■ 小説『新・人間革命』の主な参考文献
 西園寺一晃著『頴超』潮出版社
 『人民の母ーー頴超』高橋強・水上弘子・周恩来 頴超研究会編著、白帝社
 ハン・スーイン著『長兄ーー周恩来の生涯』川口洋・美樹子訳、新潮社



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